クラッカー・カシノミア
| 氏名 | クラッカー・カシノミア |
|---|---|
| ふりがな | くらっかー・かしのみあ |
| 生年月日 | 1947年3月18日 |
| 出生地 | 東京都墨田区向島 |
| 没年月日 | 2009年11月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 舞台芸人、放送作家、イベント演出家 |
| 活動期間 | 1966年 - 2008年 |
| 主な業績 | クラッカー芸の体系化、祝祭演出理論の提唱 |
| 受賞歴 | 日本演芸協会特別功労章、東京パフォーマンス賞 |
クラッカー・カシノミア(くらっかー・かしのみあ、 - )は、の舞台芸人、放送作家、イベント演出家である。紙吹雪と短冊状の菓子を融合させた「クラッカー芸」の創始者として広く知られる[1]。
概要[編集]
クラッカー・カシノミアは、日本の舞台芸人である。1960年代後半にの寄席文化との販促実演を横断し、箱を開いた瞬間に音・紙片・甘味を同時に放出する独自の「クラッカー芸」を確立した人物として知られる[1]。
また、系の深夜番組や地方局の年末特番において、観客参加型の演出を定着させたことでも知られる。弟子筋の証言によれば、彼の現場は常に「床に落ちた紙片の枚数まで演出の一部」であったとされ、制作現場では「カシノミア式」という言い回しが半ば業界用語化していた[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
1947年、墨田区向島に生まれる。父・柏野卯之助は沿いの紙器職人で、母・とめは近隣の和菓子店で箱詰めを担当していたとされる。幼少期のカシノミアは、包装紙を破る音に異様な興味を示し、家業の端材を用いて「鳴る箱」を作っていたという[3]。
小学校時代にはの縁日で即席の口上を披露し、箱の中に落花生と色紙を仕込む小芸で注目を集めた。なお、本人は後年「最初に笑いを取ったのは中身ではなく、開けた人の顔だった」と回想しているが、記録映像は確認されていない。
青年期[編集]
、の演芸場で小間使いとして働き始め、の裏方に出入りするうち、舞台転換の合図と拍手のタイミングを独学で身につけた。には門下の舞台補助に就き、口上の間合いと小道具の扱いを学んだとされる[4]。
この頃、見よう見まねで作った「紙吹雪入り菓子箱」が地方営業で受けたことをきっかけに、クラッカー芸の原型が固まった。の百貨店催事で、試食用の飴と紙片を同時に飛ばしたところ、売場の責任者が「宣伝と祝儀が一体である」と評し、以後この演出が改良されていった。
活動期[編集]
、独立して「カシノミア式祝祭演出研究会」を名乗り、地方の開店記念、の劇場イベント、の商店街パレードなどに出没した。彼の代表作とされる「三段式クラッカー」は、第一段で音、第二段で紙、第三段で砂糖衣の短冊を放出する構造で、当時の業界誌は「もはや菓子ではなく儀式」と評した[5]。
また、にはの年末企画で、視聴者投稿の紙片をスタジオに集める公開演出を担当し、全国から送られた約3万6,400枚の色紙を天井から降らせた。番組後、床清掃に要した時間が通常の4倍に達したため、局内では「カシノミア案件」と呼ばれるようになったという。
には講演活動も行い、からまで年間40回前後の公演をこなした。本人は「祝祭とは、開ける前より開けた後のほうが面白い」と述べたと伝えられるが、この発言は複数の版があり、どれが原文かは定かではない。
晩年と死去[編集]
に入ると、健康上の理由から大規模な紙吹雪演出を控え、の小劇場で回想講演を中心に活動した。晩年は「小さな音で大きく祝う」ことをテーマに、豆菓子を用いた簡易版の演目を開発したとされる[6]。
11月2日、東京都内の病院で死去した。享年62。告別式では、遺言に基づき参列者へ一人一個ずつ簡易クラッカーが配られ、最後に鳴った音だけが会場の録音に残ったとされる。このエピソードはしばしば美談として語られるが、実際には式場の設備不良による偶然だったとの証言もある。
人物[編集]
カシノミアは、几帳面でありながら妙に即興性を重んじる人物であったとされる。台本は1ページごとに折り目がつけられ、右上には必ず「飛ぶ」「鳴る」「笑う」の三語が書き込まれていたという。
また、楽屋ではを冷まして飲む癖があり、温度が高いと演出の判断が荒れると本気で信じていたらしい。関係者の間では、彼が紙吹雪の落下速度を見て天候を予測したという逸話も残るが、これは本人が酒席で語った冗談が独り歩きしたものとみられる[7]。
一方で、客に対しては極端に丁寧で、地方公演では必ず会場の最寄り駅から舞台袖までの導線を自ら確認した。これにより、の一部劇場担当者からは「異様に交通に詳しい芸人」として記憶されていたという。
業績・作品[編集]
クラッカー芸の体系化[編集]
最大の業績は、単なる爆竹的道具を「開封前の期待」「開封時の音響」「開封後の残骸」という三相に分けて設計した点にある。彼はこれを「祝祭の三原則」と呼び、に私家版の手引き『紙片と歓声の設計学』を配布した[8]。
この手引きでは、紙片の長さを18ミリから27ミリの範囲に収めること、箱の角度を12度以上にしないことなど、きわめて細かい基準が示されていた。なお、角度の数値は会場の空調に左右されるとして、後年の改訂版ではやや曖昧になっている。
主な作品[編集]
・『祝祭の開封』()- で上演された舞台作品。3幕構成で、観客が客席でクラッカーを鳴らす珍しい形式を採用した。終幕では約1,200個の紙片が降り、ロビーの清掃が翌朝まで持ち越された。
・『カシノミア・レビュー 紙は鳴る』()- とを巡業したレビュー公演。歌手、司会、箱職人が一体化した構成で、当時の地方紙は「商店街の福引きと前衛演劇のあいだ」と評した。
・『開ける人たち』()- の特番。視聴者から届いた開封失敗談をもとに再現劇を行ったもので、クレーム件数は少なかったが問い合わせ電話は通常の7倍に増えたという。
受賞と評価[編集]
に特別功労章、にを受賞した。授賞理由には「祝祭の構造を家庭用サイズへ還元した功績」が挙げられたとされる。
また、業界内では彼の発明した「予備音」という概念が高く評価された。これは、箱を開ける直前にわずかに鳴る仕掛け音を指し、観客の注意を一点に集める効果があるとされた。もっとも、複数の演出家からは「ほとんど脅しである」と批判された。
後世の評価[編集]
死後、カシノミアはとをつなぐ過渡的存在として再評価された。とりわけ後半以降、地方自治体のイベント計画書において「カシノミア式導線」の語が準正式に使われたことがあり、行政文書への浸透が話題となった[9]。
一方で、過剰な紙片使用による環境負荷を問題視する声もあり、頃には「紙吹雪を撒くなら再生紙を」とする市民団体の提案が相次いだ。もっとも、同団体の活動報告には彼の名が毎回引用されており、批判と敬意が入り混じった受容であったといえる。
では2018年に小規模展が開かれ、来館者アンケートでは「芸人なのか発明家なのか判断できない」が最頻回答だった。これは、彼の存在が人物伝としても作品史としても収まりきらないことを示している。
系譜・家族[編集]
父は紙器職人の柏野卯之助、母は柏野とめである。兄・柏野三郎はで看板書きを営み、妹・柏野ひさ子はの喫茶店で接客をしていたとされる。いずれも一般人であるため公的記録は少ないが、地元の聞き書きでは「柏野家は箱を作り、開け、片付ける家」と呼ばれていた[10]。
妻は舞台衣装係の澤井美弥子で、に結婚した。二人の間に子はなく、晩年は弟子の一人を事実上の後継者として育てたとされる。その弟子は後に「カシノミア一門」を名乗り、やで小規模な継承公演を行った。
なお、本人の戸籍名をめぐっては「柏野一也」説と「柏野和彦」説があり、本人が芸名を名乗り続けたため、最終的な確定は見送られている。
脚注[編集]
[1] 初期公演のチラシでは「紙片芸人」と記されている。
[2] 『演芸と販促の交差点』編集部による聞き取り記録。なお、同記録には確認不能な発言が複数含まれる。
[3] 向島地区の町内会誌『すみだの箱』第14号、1979年。
[4] 三遊亭円扇の弟子帳には「柏野一也」の名があるが、後年の追録で削除されている。
[5] 『月刊レジャー演出』1980年8月号、pp. 42-45。
[6] ただしこの発明は、既存の落花生菓子とほぼ同型であったとの指摘がある。
[7] の地方公演パンフレットに同様の記述が見られる。
[8] 私家版のため一般流通はしていない。
[9] 自治体向けイベント設計資料『来賓動線と祝祭性』、2010年版。
[10] 郷土史研究会『隅田川東岸の職能家族』、2007年。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯真一『紙片と歓声の設計学』南雲堂, 1978.
- ^ 山岸玲子『浅草と祝祭芸の戦後史』河出書房新社, 1986.
- ^ M. Thornton, "The Japanese Crackling Performance and Consumer Spectacle," Journal of Popular Ritual Studies, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 201-219.
- ^ 小林俊介『開ける芸の研究』国立芸能研究所, 1994.
- ^ 石田和夫『テレビ年末特番の演出技法』NHK出版, 1997.
- ^ Emi Watanabe, "Confetti as Narrative: Media Events in Urban Japan," Asian Cultural Review, Vol. 8, No. 2, 2002, pp. 55-73.
- ^ 柏木透『カシノミア式導線論』青弓社, 2008.
- ^ 『月刊レジャー演出』1980年8月号, 第14巻第8号, pp. 42-45.
- ^ 『演芸と販促の交差点』調査報告書, 日本大衆文化研究会, 2009.
- ^ 鈴木さやか『祝祭の残骸をめぐる社会学』みすず書房, 2012.
- ^ Michael R. Harlow, "Soft Explosions and Public Joy," Review of Performance Objects, Vol. 5, No. 1, 2015, pp. 11-29.
外部リンク
- 日本祝祭演出アーカイブ
- 向島紙片文化研究会
- カシノミア一門公式記録室
- 東京パフォーマンス資料館
- 地方公演年表データベース