グランデスバル
| 名称 | グランデスバル |
|---|---|
| 分類 | 回転式星図舞踏儀礼 |
| 起源 | 1887年頃、パリ郊外の私設観測会 |
| 成立地 | フランス共和国・セーヌ県 |
| 伝来 | 1909年、横浜経由で日本に伝来 |
| 主用途 | 天文教育、社交練習、姿勢矯正 |
| 中心器具 | 八角回転床、真鍮製視軸、反射幕 |
| 流行期 | 1912年-1931年 |
| 標語 | 上を見よ、しかし回るな |
| 別名 | 大回転舞星法 |
グランデスバル(英: Grandes Bal)は、19世紀末ので成立したとされる、回転床上でとを同時に訓練するための複合儀礼である。後にの洋行帰りの実業家らによって日本へ持ち込まれ、期の都市文化に奇妙な影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
グランデスバルは、の位置を身体で記憶することを目的として考案されたとされる複合儀礼である。参加者は円形の床に乗り、製の支柱に沿ってゆっくりと回転しながら、指揮者の合図で足運びと視線の角度を変えた。
この方式は、当初はの観測愛好会で試験的に導入されたが、実際には上流階級の舞踏会に転用され、回転中に出るめまいを「高貴な集中状態」と呼んだことから人気を得たとされる[2]。なお、のちにが「青少年の平衡感覚を不必要に浪費する」として調査を行った記録が残るが、文書の末尾がコーヒー染みで読めないため、解釈は分かれている。
成立史[編集]
パリ郊外の私設観測会[編集]
最初期のグランデスバルは、、郊外の邸宅で開かれた「夜間図形研究会」に由来するとされる。主催者のは、天球儀を回す速度とワルツの歩幅に相関があると主張し、毎晩ちょうどだけ回転させる実験を繰り返したという。
この実験で参加者の約が「北斗七星を踊りながら覚えた」と証言し、残りはただ気分が悪くなっただけであったが、ルフォールはこれを成功と判定した[3]。
日本への伝来[編集]
、横浜港に入港した商船『リュミエール号』の貨物目録に「回転式天文台用床板三式」と記載があり、これが日本への最初の導入例とされる。輸入元はの楽器商で、彼は当初ピアノ部品だと思い込んでいたが、組み立てたところ床が回り出したため、逆に商品価値を見出したという。
北條はの学生向けに体験会を開き、参加者の一人がで帰り道を直進できなくなったことから、都市の迷路性を身体で学ぶ教育法として注目された。これが、のちの「都市歩行訓練」と結びついた要因である。
制度化と流行[編集]
期には系の委員会が、姿勢教育と天文理解を一体化した新しい余暇活動として半ば公認し、各地の女学校と実業学校に「簡易グランデス盤」が配布された。簡易版は回転半径が、耐荷重が、使用時の推奨菓子は「塩せんべい2枚まで」と定められていた。
の公演では、観客のうちが回転に酔って退出した一方、残った者の大半が「星座より肩こりが印象に残る」と感想を述べたため、新聞『都新聞』は「文化の新機軸」と「注意力の浪費」が同居する現象として報じた。
仕組み[編集]
グランデスバルの中心には、直径の八角回転床が置かれ、その周囲に製の視軸と反射幕が設けられる。参加者は左足を軸足、右足を補助足とし、刻みで身体を傾けることで、天球の傾きと社交上の礼節を同時に学ぶとされた。
最も特徴的なのは「逆礼」である。これは相手に一礼した直後、床の回転に合わせて自分の身体が半回転戻る現象を利用し、実際には二度会釈したように見せる技法である。東京の一部では、これを会得した者が「話しているのに聞いているように見える」として重宝された。
また、指導者は角度棒で参加者の頭部を軽く示しながら、「はここ、失敗はここ」と唱えるのが通例であった。もっとも、角度棒はしばしばただので代用され、結果として教育と体育の境界が曖昧になったとの指摘がある。
社会的影響[編集]
グランデスバルは、都市中間層の「知的でありたいが運動はしたくない」という欲求に奇妙に合致したため、の都市文化に広く浸透した。特にの百貨店屋上では、週末ごとに体験会が開かれ、参加者が回りながら自己紹介をすることで、名刺交換の所要時間が平均短縮されたとされる。
一方で、効果のほどには懐疑もあった。医師のは『回転礼節症候群』なる仮説を唱え、長時間の実践が「星に詳しくなる代わりに、階段を降りる速度が著しく低下する」と警告したが、当時の愛好家たちはこれを「熟達の証し」と解釈した[4]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、グランデスバルが本当に天文教育だったのか、それとも上流階級の娯楽を後付けで学術化しただけなのかという点である。のでの公開検証では、参加者中が北を見失い、残るが舞台袖で静かに休んでいたため、審査団は「学術的再現性に乏しい」と結論づけた。
また、戦前の一部資料では、グランデスバルが「家庭内の立ち居振る舞いを矯正する女性教育法」として推奨されていた記述があり、これに対して後年の研究者は「回転と規範の結びつきが強すぎる」と批判している。もっとも、当時の広告には「美しく回る者は美しく暮らす」といった文句が頻出しており、思想性より宣伝文句が先行していた可能性が高い。
衰退と再評価[編集]
初期には、映画とラジオの普及によりグランデスバルの集会は次第に減少した。さらに以降は資材統制の影響で、回転床に使う鋼材が「生活必需品ではない」とみなされ、各地の団体が木製版への切り替えを余儀なくされた。
しかし、の郷土史家が旧家の納戸から「回転床の組立図」と「星座別礼法早見表」を発見したと発表し、これを契機に復興運動が起こった。現在では一部のやで、教育イベントとして年に数回実演されているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ルフォール, エティエンヌ『Les mouvements du ciel social』Presses de la Sorbonne, 1891, pp. 41-68.
- ^ 北條松次郎『横浜輸入品雑記』港文堂, 1911, pp. 112-139.
- ^ 三浦静枝「回転礼節症候群の臨床的観察」『日本姿勢学雑誌』第8巻第2号, 1926, pp. 9-27.
- ^ 小笠原文一『失われた回転床の文化史』神奈川郷土出版, 1979, pp. 3-94.
- ^ A. Thornton, Margaret『The Ballroom and the Sphere: A Study of Rotational Pedagogy』Camden Press, 1904, Vol. 2, pp. 201-233.
- ^ Jean-Paul Varese『Astronomie de salon et autres usages』Éditions du Quai, 1899, pp. 77-105.
- ^ 田辺照雄「大正期都市部における回転儀礼の流行」『都市文化研究』第14巻第1号, 1984, pp. 55-79.
- ^ H. L. Mercer『On the Utility of Dizziness in Modern Civility』Oxford Civic Review, Vol. 6, No. 3, 1932, pp. 14-39.
- ^ 『グランデスバル簡易盤取扱説明書』東京回転器具協会, 1923, pp. 1-16.
- ^ 佐伯志郎『星と礼儀のあいだ』新潮社, 2008, pp. 120-147.
外部リンク
- 国際回転舞星協会
- 横浜回転史料室
- 神奈川郷土文化アーカイブ
- パリ私設観測会記録館
- 日本姿勢教育史研究ネット