コンゴ・ウインコ
| 名称 | コンゴ・ウインコ |
|---|---|
| 分類 | 民俗鳥類学・港湾伝承・鳴禽装置 |
| 初出 | 1824年ごろとされる |
| 発祥地 | コンゴ盆地沿岸部 |
| 主な利用 | 儀礼、通信、見世物、航海標識 |
| 日本伝来 | 明治初期の横浜港経由 |
| 象徴色 | 濃緑と黄銅色 |
| 関連組織 | 帝国鳥類蒐集局、横浜博物同盟 |
コンゴ・ウインコは、ので成立したとされる、模様・鳴き声・集団行動を同時に鑑賞するための鳥類文化装置である。のちにの航海記を経て、では「反復で鳴く緑色の小鳥」を指す民俗名として定着したとされる[1]。
概要[編集]
コンゴ・ウインコは、単なる鳥の一系統ではなく、流域の交易民が用いた「鳴き方で潮位と帰帆時刻を知らせる装置的な鳥」を指す語であるとされる。もっとも、19世紀末の期に欧州側の記録係が、実在の小型インコと儀礼用の首輪、さらに案内役の少年たちの掛け声を一括して記載したため、概念が半ば神話化したともいわれる[2]。
日本では12年の横浜港の観測報告において「こんごゐんこ」と表記されたのが最初期の事例とされる。ただし同報告には、体長が「七寸五分から一尺二寸」、群れの移動速度が「汽船の半分ほど」といった、やや測定不能な記述が含まれており、後年の研究者からは「記録というより印象画である」と評された[3]。
起源[編集]
港湾伝承としての成立[編集]
起源説の一つでは、下流の河港において、荷揚げの合図を鳴禽の群れに覚えさせたのが始まりであるとされる。荷役人の長であったは、毎朝六時二十分に笛を二回吹き、鳥が一斉に鳴くことで倉庫の開扉を知らせたという。この方式は港の騒音に埋もれにくく、最盛期には17の埠頭で採用されたとされるが、同時代の帳簿には「鳥の維持費」として麦芽糖が月14箱分計上されており、実務と儀礼の境界は曖昧であった。
また、群れの先頭に立つ個体に真鍮製の小鈴を付ける慣行があり、これが「ウインコ」の語源ではないかという説がある。なお、この鈴はの工房で作られたとの伝承があるが、実際には製だったとする異説もある。
植民地博物学との接触[編集]
、の若手観察員が、現地語の「winko」を「wing co.」と誤読し、羽根の商社名と解釈したことが、学術的混乱の始まりであるとされる。彼は標本の脚環に「Kongo-Winko, 4 pairs」と書き残したが、これは4つがいの鳥ではなく、儀礼で用いる二重輪の数を示していたという説が有力である。
デュレの報告はで小さな反響を呼び、翌年にはの展示台に「KONGO-WINKO」として出品された。来館者はそれを珍しい南方鳥と理解したが、実際の展示物には鳥の剥製のほか、現地の歌詞カード、乾燥したヤシ片、そして用途不明の小さな鍵が含まれていた。後年、この鍵が展示台の引き出しを開けるためのものであったことが判明したが、引き出しの中身は空であったという。
日本への伝来[編集]
横浜港の「三重の鳴き声」[編集]
日本への定着は、に入港した商船『号』が持ち込んだ鳥籠から始まったとされる。乗組員は「これはで最も気性の穏やかな鳥で、夜明け前に三回鳴けば安全」と説明したが、実際には朝方に必ず七回鳴く個体が多く、港湾監視局ではこれを「三重の鳴き声」と呼んだ。
という通訳官がこれを『港の時報に使えるのではないか』と発案し、の裏庭で試験飼育が行われた。結果は概ね失敗であったが、鳥が毎回決まった方向に飛ぶため、倉庫番が荷役の順番を覚える補助にはなったという。これが「ウインコを見れば雨棚を閉める」という港の慣用句の始まりであるともされる。
博覧会ブームと俗語化[編集]
のでは、コンゴ・ウインコの展示区画が「異国鳥類と機械鳴禽の間」として設置され、入場者数の約12%が立ち止まったとする報告がある。展示係は午前と午後で餌を変え、午前は白粥、午後は干し海老を与えたが、鳥はどちらよりも来場者の笛に反応したため、見物客のあいだで「人間を鳴かせる鳥」とも呼ばれた。
この頃から、関西圏では気まぐれに集団行動する人物を「ウインコが回る」と形容する俗語が生まれたという。もっとも、の小記事以外に裏づけは乏しく、言語学者のあいだでは要出典扱いになりやすい。
生態と特徴[編集]
コンゴ・ウインコは、羽色が濃緑から青緑に変化し、胸部に黄銅色の小斑がある個体が好まれるとされた。成鳥は体長24〜31センチメートル、尾羽は環境によって最大で18センチメートル伸びると記録されるが、この数値は標本ごとにばらつきが大きく、の台帳では「測定者の気分により上下」と注記されている。
鳴き声は単音ではなく、短い三拍子の反復と、最後に息を吸うような音が付くのが特徴である。この音型が港湾の口笛や蒸気汽笛と混同され、1900年代初頭には列車の発車ベルにまで採用が検討された。なお、夜間に群れが一斉に東へ向かう習性があるとされるが、実際には月明かりを避けているだけだという説と、港の酒場の明かりに誘導されているだけだという説が併存している。
社会的影響[編集]
コンゴ・ウインコは、単なる珍鳥ではなく、交易・儀礼・通信の三分野を結ぶ存在として語られた。特に周辺では、鳥の鳴き声を真似て合図を送る「半鳴き通信」が広まり、行政文書の簡略化に寄与したとされる。1920年代には、の沿岸警備隊がこの方式を真似しようとして、かえって隊員同士が合唱を始めた事件もある。
日本でも、期の都市雑誌が「都会の速度に疲れた者はウインコを一羽置くべし」と紹介し、観葉植物と並ぶ新しい室内趣味として人気を得た。もっとも、飼育実態はかなり特殊で、餌箱の横に時刻札を置く必要があったため、一般家庭に普及したのは一時的である。1934年には東京都内だけで推定3800世帯が飼育したとされるが、この数字はの手元メモにしか残っていない。
批判と論争[編集]
学術的には、コンゴ・ウインコは「鳥」なのか「役務付きの飼育体系」なのかで長く争われた。とくにのは、1931年の論文で「ウインコとは鳥名ではなく、鳥に指示を与える行為群の総称である」と主張し、これに対して側は「羽毛がある以上は鳥である」と反論した。
また、にの教養番組が特集を組んだ際、映像に映った個体が実は近縁種の改変品であったことが後年判明し、番組制作班は「現場で最もよく鳴いたのがそれだった」と説明した。これにより、研究史上の同定がいっそう難しくなったとされる。一方で、側の民俗研究者からは、欧州と日本が鳥を分類しすぎた結果、本来の儀礼性を見失ったという批判もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エミール・デュレ『Notes sur le Kongo-Winko』Bulletin de la Société Royale de Géographie, Vol. 18, pp. 41-67, 1879.
- ^ 福澤辰之助『横浜港鳥類試験記』神奈川港湾資料刊行会, 1891.
- ^ 白川譲二「ウインコ概念の行為論的再検討」『帝国博物学会雑誌』第12巻第4号, pp. 233-251, 1931.
- ^ Margaret H. Ellison, 'Auditory Signaling among Port Parrots', Journal of Colonial Ornithology, Vol. 7, No. 2, pp. 112-139, 1906.
- ^ ルイ・ド・カステル『Kongo Birds and the Brass Bell Myth』Éditions du Fleuve, 1912.
- ^ 東京市養鳥会編『都市養鳥年鑑 昭和九年版』東京市養鳥会出版部, 1934.
- ^ 河村宗一「港湾口笛と鳥類模倣の相互作用」『民俗動物学報』第5巻第1号, pp. 9-28, 1949.
- ^ H. T. Wilmot, 'On the Threefold Cry of Kongo-Winko', Proceedings of the East African Naturalists, Vol. 11, pp. 201-219, 1928.
- ^ 佐伯晴子『鳥の時報と都市のリズム』岩波港湾新書, 1962.
- ^ D. A. Mercer, 'A Curious Error in the Taxonomy of Kongo-Winko', Cambridge Review of Tropical Fauna, Vol. 3, No. 1, pp. 1-17, 1958.
- ^ 中村操『コンゴ・ウインコ図説』博覧会図書館, 1902.
外部リンク
- 横浜港民俗鳥類アーカイブ
- ベルギー植民地博物学データベース
- 帝国鳥類蒐集局文書室
- 東京養鳥史研究会
- コンゴ川口伝保存協会