コンデヤ・パタ
| 名称 | コンデヤ・パタ |
|---|---|
| 種類 | 多層式観測・巡礼塔(鐘楼兼方位盤) |
| 所在地 | 東霧谷地区 |
| 設立 | 10年() |
| 高さ | 31.7 m(塔身)/全高 44.3 m(風向標併設) |
| 構造 | 石造下部+木造上部(格子床)/二重回廊 |
| 設計者 | 測量師・宮大工の折衷者「渡辺 精方」(架空) |
コンデヤ・パタ(こんでや・ぱた、英: Kondeya Pata)は、にある[1]。現在では、霧の多い季節に自動開閉する鐘楼と、方位盤のように刻まれた外周レリーフで知られている[1]。
概要[編集]
コンデヤ・パタは、東霧谷地区に所在する多層式観測・巡礼塔である[1]。現在では、霧量に応じて鐘楼の扉が微開閉し、塔周囲の反響を一定化する仕組みがある建造物として知られている[2]。
この施設は、航路安全と信仰実務を同時に扱う「気象朗読建築」として、江戸期の北方開発における定点観測網の結節点に由来するとされる[3]。なお、当初は塔というより「方位を祈りに変換する機械室」と説明されていたとも伝えられている[3]。
名称[編集]
「コンデヤ・パタ」の名称は、アイヌ語系の地名断片と、交易の記録に現れる「パタ(段・平台)」という転写語が混ざったものとして説明されてきた[4]。市史編纂に関わった(架空)は、文献上の表記が8通りに揺れた事実を根拠に、語源が単一ではないとする立場を取っている[4]。
また、地域の口承では「霧が来る前に“コンデヤ(聞こえよ)”と“パタ(刻め)”を唱える」と語られ、塔の打音が合図に用いられたとされる[5]。一方で、近世の行政文書に「音響調整板」として扱われる記載があることから、名称が信仰と技術を往復する記号であった可能性が指摘されている[5]。
さらに、見学者向けの説明板には「平日と休日で呼び方が変わる」といった文言があるが、これは観光導線上の演出として後年に追記されたと考えられている[6]。
沿革/歴史[編集]
コンデヤ・パタは、10年()に建立されたとされる[1]。当時、北檜山一帯は冬季の視界が急激に悪化し、沿岸の小舟が「霧に紛れて同じ岩に戻る」事故が多発していたと伝えられる[7]。そこで、港と寺社の実務担当が連携し、方位と時間を同時に読み替える装置として塔の計画が進んだとされる[7]。
建立の指揮は、測量師である折衷型の技術者「渡辺 精方」が担ったと記録されている[1]。彼は塔の外周に合計 192 本の刻線(角度換算で 360 度を約1.875度刻みとする)を施し、風向の変化を“祈りの周期”に変換する設計だったとされる[8]。ただし、実測した職人の日誌では刻線の数が 191 本、また別の写しでは 193 本になっており、作業段階での微修正があったことがうかがえる[8]。
なお、塔の上層には「霧量判定のための板鐘」があり、海霧が一定の条件(湿度 88〜91%の範囲に達すると扉が 3〜6 mm 程度だけ開く)を満たすと鳴動する仕組みが採用されたと説明されている[2]。この数値設定は、当時の温湿度計が“湿り気”しか測れないため、鐘の反響時間を逆算する形で決められたとされる[2]。
明治期に入り、周辺の測候業務が制度化されると、コンデヤ・パタは観測よりも「巡礼の節目」に重点を移したとされる[9]。しかし昭和初期の一時期、停電時の代替サイレンとして用いられたとも記録されており、建造物が制度の変化に合わせて役割を更新してきたことが示唆されている[9]。
施設[編集]
コンデヤ・パタは、石造の基壇と木造上部から成り、二重回廊を備える構造として知られている[10]。基壇の外側には、方位盤のように円周レリーフが巡らされ、各区画には短い祈祷文と潮位の目安が彫り込まれている[10]。
塔身は 4 層で、第一層は「霧返し室」と呼ばれる通気間、第二層は「反響整列空間」、第三層は鐘楼、第四層は「方位朗読席」とされる[11]。とくに第三層の鐘楼は、扉が閉じたままでも音が透過する特殊な隙間(合計 27 箇所)を持つとされ、音が濁らないことが売りとして紹介されている[11]。
内部には、回廊床の下に 6 本の重り梁が配置され、風の方向が変わるたびに重りの“落ち方”が変わるため、音色も僅かに切り替わる仕組みがあると説明される[12]。この切替により、霧の濃い日には「聞く人が方位を当てやすくなる」と信じられた時代があったとされる[12]。
また、外部の風向標は後年の増築で、塔全高を 44.3 m とする要因になったとも伝えられている[1]。風向標の先端に取り付けられた小さな旗は、色分けが“季節ごとに変化する”ように見えるが、実際には塗料の劣化を見込んだ配合が選ばれていたという説がある[13]。
交通アクセス[編集]
コンデヤ・パタへのアクセスは、中心部から路線バスと徒歩を組み合わせる経路が一般的である[14]。最寄りの停留所は「東霧谷口」で、停留所から塔まではおおむね 1.6 km、所要時間は 22〜27 分と案内されている[14]。
自動車利用の場合、近隣道路の冬季通行規制があるため、タイヤ規格(チェーン装着前提の区画が 2 箇所)に注意が必要とされる[15]。鉄道に関しては、近年まで直通がなく、観光期には臨時シャトルが設定される年があるとされる[15]。
また、塔周辺は風の通り道として整備されているため、強風警報時には一部立入が制限される場合がある[16]。この制限は安全上の理由とされる一方、鐘楼の扉が完全に閉じることで“誤作動”が起きないようにする運用でもあると説明されている[16]。
文化財[編集]
コンデヤ・パタは、の「景観・音響遺産」として登録されている[17]。登録時の資料には、鐘楼機構の構造が「風向による共鳴制御」を目的とする点で希少であると記されている[17]。
建造物自体は、石造基壇・木造上部・回廊が一体として残っていることから、部材の劣化が少ない設計として評価されてきた[18]。さらに、外周レリーフの刻線が天文学的方位ではなく、当時の“航路事故の体感記録”に沿って調整された可能性があることが、文化財担当の研究メモに記されている[18]。
なお、第三層の鐘楼扉は、取り外しが可能な構造だが再組立手順が細かく、保存修理の際には 11 工程に分ける必要があるとされる[19]。一部の職人は「工程数は 10 のはずだ」と異論を唱えるが、最終的には現行の 11 工程版が採用されたと報告されている[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北檜山市史編集室『北檜山の霧と鐘—コンデヤ・パタ調査報告』北檜山市出版局, 1998.
- ^ 小樽 音響学会『回廊建築における反響制御の素朴モデル』第12巻第3号, 2007.(pp. 41-63)
- ^ 渡辺 精方『方位朗読の作法(復刻草稿)』北方測量叢書, 1921.(第2章「刻線数の再現」)
- ^ 山岸 霧成『音響遺産としての鐘楼—扉微開閉の設計史』『日本建築技術史研究』Vol. 18 No. 1, 2014.(pp. 12-29)
- ^ Kondeya Preservation Committee『Field Notes on Fog-Aware Bell Systems』Vol. 3, Issue 2, 2009.(pp. 77-98)
- ^ 田中 玲子『北方開発と巡礼実務の連結装置』大樹堂, 2011.
- ^ O. Marukawa, “Sermon-Compass Hybrids in Early Modern North Regions,” Journal of Architectural Folklore, Vol. 26, No. 4, 2016.(pp. 201-219)
- ^ 北海測候局『湿度標定と鐘鳴動の相関(内部資料)』第5輯, 1906.(pp. 3-15)
- ^ E. R. Whitcomb, “Geoacoustic Signals and Navigation Myths,” Proceedings of the Northern Maritime Institute, Vol. 9, 1994.(pp. 55-73)
外部リンク
- 北檜山市 観光・音響遺産ポータル
- 東霧谷 文化財ナビゲーション
- 気象朗読建築アーカイブ
- コンデヤ・パタ 保存修理記録データベース
- 北方測量叢書(閲覧)