ゴジラ対ゴリラ
| 作品名 | ゴジラ対ゴリラ |
|---|---|
| 原題 | Godzilla vs. Gorilla |
| 画像 | (架空)/GojiraTaiGorira_poster.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 監督 | 渡辺精一郎 |
| 脚本 | 結城朝凪 |
| 原作 | 津村澄人『怪獣相克記録』 |
| 制作 | 東海マーブル・怪獣実装機構(製作委員会) |
| 配給 | 東京縦断配給社 |
| 公開 | 1973年7月12日 |
『ゴジラ対ゴリラ』(ごじらたいごりら)は、[[1973年の映画|1973年7月12日]]に公開された[[東海マーブル]]制作の[[日本]]の[[特撮]]映画である。原作・脚本・監督は[[渡辺精一郎]]。興行収入は12.6億円で[1]、[[芸都映画祭]]の大衆技術賞を受賞した[2]。
概要[編集]
『ゴジラ対ゴリラ』(ごじらたいごりら)は、都市防衛を「怪獣政策学」として再解釈し、巨大生物の対立を娯楽映画の文法で見せることを狙って企画された作品である。監督の[[渡辺精一郎]]は、従来の怪獣映画が「恐怖の連続」で終わることに不満を持ち、勝敗を数字で管理する演出体系を導入したとされる。
同作は[[東京都]]の臨時港湾計画を象徴するセットを用い、観客が劇中の「怪獣対応手順」を家庭でも真似できるよう、パンフレットに手順書が付属した点で知られている。また、制作会社[[東海マーブル]]が前作から引き継いだ「黒光沢皮膜シェーダ」を、初めて対立構図(ゴジラ側/ゴリラ側)で色分けしたことが話題になった。
あらすじ[編集]
[[静岡県]][[沼津市]]の湾岸で、夜間潮位が通常より[[1.7m]]高くなる現象が観測された。調査は[[水路保全庁]]第九潮流技術局によって開始され、原因物質は「炭素同位体G-91」と推定されたが、同庁の調査書は保管期限前に閲覧不能になったとされる。
一方、[[ゴリラ]]は山中の採石現場に現れ、破壊ではなく運搬の目的で人員を避けて行動した。怪獣対応班は、[[対怪獣連絡通信所]]から提供された「三段階叫声同期(通称・三叫シンク)」を用いてゴリラを海側へ誘導しようと試みる。しかし、誘導用の低周波がゴジラにも作用し、[[ゴジラ]]は「同位体G-91の匂い」に反応する性質を発揮して港を占拠した。
終盤、舞台は[[東京湾]]の仮設跳躍防潮壁へ移る。壁は高さ[[42.3m]]、厚さ[[1.2m]]、補強梁が[[3,180本]]という仕様で作られ、怪獣の体重分布を前提にしていたとされる。ただし、壁はゴリラの機敏な移動で想定より斜めに踏み抜かれ、逆にゴジラが飛距離を得る結果となる。このため、決着は怪獣同士の格闘ではなく「誰がより速く“規格外の道”を選ぶか」という勝負にすり替えられ、最後はゴジラが壁の破断面を“足場”として撤退する形で幕を閉じた。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
[[結城ユイ]](声:[[佐藤麗音]])は、低周波同期装置の調整担当である。彼女は「ゴリラは恐怖ではなく段取りで動く」と主張し、三叫シンクのタイミングを[[1/48秒]]単位で修正したとされる。
[[渡瀬港湾司令]](声:[[中村蒼志]])は、[[水路保全庁]]出身の前線統括。彼は“怪獣に従うな、規格に従え”という方針を掲げたが、最終的に自ら規格外の退路を開くことで責任を取ったと描写される。
その他[編集]
[[対怪獣連絡通信所]]の技師[[磯貝オサム]]は、通信が途切れる直前に「バナナ味の煤が出た」と報告した。のちにこの発言は、後年の[[怪獣食性論]]の引用元のように扱われることがある。また、[[沼津市]]の漁師[[安倍長介]]は、ゴリラが暴れる前に必ず漁船のエンジン音を真似すると証言したとされる。
声の出演またはキャスト[編集]
本作では主に声と動作設計の役割分担が強調され、[[佐藤麗音]]、[[中村蒼志]]のほか、[[長谷川真琴]]、[[小野田尚樹]]らが技師役・記録係役として参加したとされる。ゴジラとゴリラの発声は俳優ではなく、[[東海マーブル]]の音響実験班が集めた環境音(潮、金属の摩擦、サイレンの残響)を合成して作られ、最終的に“鳴き声の帳尻”を合わせたとされる。
特にゴリラ側の咆哮は、録音に[[太平洋海底ケーブル]]の通電ノイズを混ぜた点が話題になった。ただし、この情報は宣伝資料内で“誤記”扱いとなり、のちの再上映時に「ノイズではなく反射波」と訂正された経緯がある。
スタッフ[編集]
映像制作[編集]
映像面では、怪獣の体表表現に「皮膜剥離テクスチャ」が導入された。[[東海マーブル]]は従来の紙焼き質感をやめ、撮影用ライトの角度を毎分[[0.8度]]ずつ変える“光の散歩”方式を採ったとされる。
また、都市セットは[[千葉県]][[習志野市]]に建てられ、地面の沈下量が記録として残されている。沈下は総計[[9.4mm]]で、これが怪獣の着地の重心移動に利用されたと制作資料にある。
製作委員会[編集]
製作委員会は「怪獣実装機構」を中心に、港湾工学系の学会支援、教育向け視聴覚教材会社の協力によって構成されたとされる。ナレーションは[[田園アカデミー]]の講師[[小沢明灯]]が担当し、作品内で出てくる“手順書”の口上は講義調で統一された。なお、ナレーション原稿は[[日本放送協会]]の公開講座台本と同じ書式を模したとされるが、実際の一致は確認されていない。
製作[編集]
企画の発端は、1970年代初頭に[[建設省]]系の研究班がまとめた「非常時における巨大対象の誘導モデル」であるとされる。監督の[[渡辺精一郎]]は、この論文の図をそのまま脚本の“動線”に変換し、怪獣バトルを計測可能な挙動に落とし込んだ。
美術では、防潮壁セットに[[42.3m]]の高さを採用する代わりに、実寸の[[1/15]]スケールで強度試験を実施した。試験結果は[[1.2m]]厚の壁材が「踏圧による剪断」で破れると推定されたが、現場では予想外に“裂けではなく曲がり”が先行したため、CGの破壊パターンが撮影後に修正されたとされる。
音楽は[[大島ハルキ]]が担当し、主題歌は「規格外の足音」(歌:[[森田コトミ]])である。主題歌はレコード盤の針ノイズをわざと混ぜる編集が行われ、当時の一部放送では「音が割れている」とクレームが来たとされるが、放送担当者は「録音の“恐怖成分”である」と説明したと記録されている。
興行[編集]
本作は[[東京湾]]沿いの都市部で先行上映され、宣伝ではキャッチコピーとして「叫べ、同期せよ、撤退を設計せよ」が用いられた。封切り週の興行成績は映画館ごとに異なり、初動の最大値は動員[[148,300人]]、最低値は[[19,240人]]と集計されている。
再上映は「夏の港湾防衛週間」と連動して行われ、[[1981年]]と[[1996年]]にテレビ放送が予定された。テレビ放送では視聴率が[[24.1%]]を記録したとされるが、同時刻に特番が組まれた日もあり、裏取りのための統計が混在しているという指摘がある。
海外では、通称“Feigned Chronicle”として英語圏に紹介され、翻訳字幕があえて技術用語を誤解させる形式になっていた。配給収入の内部資料では「国内の[[1.08]]倍程度」とされ、実数は公開されなかった。
反響[編集]
批評面では、怪獣映画としての迫力に加え、手順書形式の演出が評価された。[[芸都映画祭]]では大衆技術賞を受賞し、編集部門のノミネートも獲得したとされる。もっとも、学術側からは「巨大対象を“運搬可能”とする心理描写が危険」という反論が出たとされるが、当時の同賞の審査員名簿には政治的配慮が記載されており、単純な否定とは言い切れない。
一方で、作品の“勝敗の定義”が曖昧である点は批判され、観客アンケートでは「戦いの勝者を選べない」との回答が[[17%]]を占めたとされる。ただし、アンケート手法の母集団が劇場ごとに偏っていたことがのちに判明し、批評の確度が揺らいだ。
製作側はこの反響を受け、続編である『ゴリラ対セントルイ』(1980年)では「勝利条件を時間で固定する」と明記した。さらに、その条件が“時間を固定したことで余計に混乱が増えた”として議論を呼んだことが、後年の研究会報告で触れられている。
テレビ放送[編集]
テレビ放送は[[日本]]の地上波で複数回行われた。初回放送では怪獣の着地音を抑える編集が加えられたとされ、以後の放送では逆に音圧を上げる方向へ補正されたとされる。
また、放送枠の都合で脚本の“手順書読み上げ”部分がカットされる回があり、これが視聴者の理解度を分けたと指摘される。制作資料には「理解度は手順の有無で[[1.3倍]]変化する」とあるが、裏付けのある調査としては提示されていない。
関連商品[編集]
映像ソフト化は[[VHS]]と[[β]]の双方で行われ、ジャケットには“撤退設計図”と題した図版が印刷された。のちのDVDでは、黒光沢皮膜シェーダの色味が変化したとされ、視聴環境によっては肌色が暗く見える「DVD色調問題」が話題になった。
関連商品として、パンフレット、設定資料集『怪獣政策学の基礎』(ISBN 4-9999-0123-7相当・架空)が販売され、さらに低周波同期装置の“おもちゃ”として「三叫シンク練習器」も発売された。これは実装ではなく娯楽用の表示装置でありながら、販売当時に子どもの誤使用が報告されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
参考文献[編集]
(架空)
脚注
- ^ 渡辺精一郎「怪獣は政策で動く——『ゴジラ対ゴリラ』脚本体系の再構成」『月刊映像設計』第12巻第4号, pp.33-58, 1974.
- ^ 結城朝凪「三叫シンクの時間割——低周波同期演出の音響学」『日本音響映画研究』Vol.6 No.2, pp.101-119, 1975.
- ^ 大島ハルキ「主題歌『規格外の足音』における残響設計」『作曲工学レビュー』第3巻第1号, pp.10-27, 1973.
- ^ 小沢明灯「講義調ナレーションの効果測定——大衆技術賞受賞作の分析」『放送文体年報』第9号, pp.200-223, 1976.
- ^ 佐藤麗音「声の演技と動作設計の境界」『俳優音声学ジャーナル』Vol.2 Issue.3, pp.77-86, 1982.
- ^ 東京縦断配給社編『1973年興行収入の分布と例外処理』東京縦断配給社, pp.14-29, 1974.
- ^ 水路保全庁第九潮流技術局『潮位上昇事例集(第九暫定版)』pp.5-62, 1972.
- ^ 『芸都映画祭 審査総括1973』芸都映画祭事務局, pp.1-40, 1973.
- ^ Katsumi Yamamoto, “Measuring Monster Choreography by Procedure,” Journal of Spectacle Engineering, Vol.8, No.1, pp.44-63, 1977.
- ^ Margaret A. Thornton, “Giant-Scale Induction in Japanese Pop Cinema,” International Review of Film Experiments, 第11巻第2号, pp.88-105, 1979.
外部リンク
- 東海マーブルアーカイブ
- 怪獣政策学資料室
- 芸都映画祭データポータル
- 三叫シンク非公式手順集
- 東京縦断配給社 放送履歴