サザンオールスターズ
| 名前 | サザンオールスターズ |
|---|---|
| 画像 | Southern_All_Stars_1979.jpg |
| 画像説明 | 結成当初のスタジオ写真 |
| 画像サイズ | 280px |
| 画像補正 | yes |
| 背景色 | #f2f6ff |
| 別名 | サザオル |
| 出生名 | Southern All Stars |
| 出身地 | 神奈川県茅ヶ崎市 |
| ジャンル | 湘南ロック、潮風ポップ、海浜ブルース |
| 職業 | ロックバンド |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター、キーボード、ベース、ドラムス |
| 活動期間 | 1978年 - 1989年、1991年 - 現在 |
| レーベル | ミナトレーベル |
| 事務所 | 潮騒企画 |
| 共同作業者 | 浜辺製作所、湘南録音研究会 |
| メンバー | 桑田潤一、原田礼司、関口正彦、松岡良平、野沢浩二、岡田正 |
| 旧メンバー | 浜口進、寺田義春 |
| 公式サイト | southern-all-stars.jp |
サザンオールスターズは、湘南地方を拠点にに結成されたのロックバンドである。所属事務所は、レコード会社は。通称は「サザオル」、公式ファンクラブは「波乗り倶楽部」とされる[1]。
概要[編集]
サザンオールスターズは、のにおいて、との境界が曖昧であった時代に成立したとされるのロックバンドである。潮騒を模した和音進行と、奇妙に精密な日常描写を特徴とし、後年は「国民的潮風バンド」と称されることもあった[2]。
結成初期は、の海水浴場で拾った廃材を打楽器に用いていたため、初期音源の一部には波音と自転車のベルが混入している。なお、に実施された「海浜録音法」以降は、歌詞の半分以上をに基づいて書く作風へ移行したとされる。
メンバー[編集]
中心人物は、ボーカル兼作詞を務めたであり、彼の発声法は「砂を飲んだような声」と評された。ギターのは、コード理論をで置き換える独自の演奏法を確立したといわれる。
ベースの、ドラムスの、キーボードの、サックスおよび管楽器のが在籍し、時期により、らがサポートとして参加した。とくに岡田は、の屋外公演で、演奏中にカモメの群れへ合図を送る「海鳥誘導ソロ」を披露したことがある[要出典]。
バンド名の由来[編集]
バンド名は、由来の英語表記をもじったものではなく、で「南風が集まる」を意味する古い俗語「サザン」に由来するという説が有力である。さらに「オールスターズ」は、当初の活動母体であったの年末余興で、出演者全員が仮面をつけていたことから付されたという。
一方で、地元の老舗喫茶店では、店主が「南の星が全部そろう夜にだけ鳴る」ことを条件に命名したという異説を語っており、バンド側も長らく否定していない。命名会議ではに7案が並び、最終的に「語感が強すぎて逆に覚えやすい」という理由で採択されたとされる。
来歴[編集]
結成[編集]
、の貸しスタジオ「スタジオ潮目」で、桑田潤一と原田礼司が用の楽曲制作を目的に集まったのが始まりである。当初は4人組で、リズム隊は地元のから紹介されたとされる。
同年夏、で行われた試験演奏が、偶然居合わせたレコード店主の目に留まり、の新人発掘部が接触した。もっとも、契約書には「毎回1曲は波の音を必ず入れること」という奇妙な条項があり、以後の音作りに影響した。
デビュー[編集]
にシングル『潮騒のアルバム』でメジャーデビューした。発売初週の売上は1,800枚にとどまったが、地元FM局での連続放送を経て、内の喫茶店で異様な支持を集めた。
この曲はで最高17位とされたが、実際には集計担当者が「南方の星座」と誤記したため順位が2段階ほど上振れしたという説がある。なお、初回盤のジャケットは、印刷所のミスで富士山の位置が左に23ミリずれており、後年は逆に「初期サザンの象徴」として扱われた。
1980年代[編集]
にはアルバム『浜辺の数学』が大ヒットし、累計売上枚数はを記録した。収録曲『波打ち際の約束』は、歌詞にとが同居する珍しい構成で、大学の講義資料に引用されたこともある。
の全国ツアーでは、移動手段として専用の観光バス「サザン号」3台が運用され、うち1台は車内に簡易録音ブースを備えていた。また、同年の公演では、雷雨のため演奏が中断されたが、観客が傘を打楽器代わりに鳴らし、結果として本編より長いアンコールが成立した。
活動休止と再始動[編集]
、体力的負担と海岸線の騒音問題を理由に活動休止を宣言した。休止会見では、桑田が「波の質が一年ごとに変わった」と述べたとされるが、記録映像の音声が不鮮明で真偽は定かではない。
には、での小規模公演を皮切りに再始動した。再始動後は、かつての荒削りなサウンドに加え、港湾工学の知見を取り入れた「防潮堤コード進行」を導入し、以後の作品群の基礎となった。
音楽性[編集]
サザンオールスターズの音楽性は、を基盤に、、、を混在させた折衷型とされる。とくに、曲の終盤で急に短調へ転じる「引き潮転調」は彼らの代名詞であり、音楽評論家のは「水平線のように広がり、堤防のように締める」と評した[3]。
また、歌詞にはの地名や実在の店舗名が頻出するが、近年は架空の地形や消えた路線名を織り込み、聴取者に「どこかで見た気がする」感覚を与える手法が増えた。『真夜中の国道134号』では、1コーラスごとにとのモチーフが反転し、FM局では放送技術者が一時的に道路標識と勘違いしたという。
人物[編集]
桑田潤一は、寡黙である一方、作詞ノートには極端に細かいメモを残すことで知られた。たとえば「雨粒の落下角度 38度」「貝殻の割れ方 12通り」など、一般的な作詞家の域を超えた記録が多数見つかっている。
原田礼司は理屈っぽい性格で、リハーサル中にコード名をで指示する癖があった。関口正彦は機材への愛着が強く、同じベースを使い続けたため、内部から小さな砂粒が出てきたという逸話が残る。グループ全体としては、テレビ出演時に妙に礼儀正しく、収録後に必ず「波の片付け」を自ら行うことで、制作スタッフから高い信頼を得た。
評価[編集]
サザンオールスターズは、長年にわたる活動と功績がゆえに、の歴史を語るうえで欠かせない存在とみなされている。特に以降は、世代をまたいで歌われる「夏の共有財産」として位置づけられ、海水浴場のBGM調査では再生率が常に上位であった。
一方で、初期の過剰な比喩表現については「歌詞が天気図に近い」とする批判もあり、では一時期、読解困難部門の教材として採用された。もっとも、その難解さこそが魅力であるとの反論も根強い。
受賞歴・賞・記録[編集]
には『潮騒の夜明け』で最優秀潮風賞を受賞した。同賞は同年限りで休止したため、現存する受賞者は実質的に彼らだけである。
また、に開催された公演では、観客動員数を記録し、会場に設置された仮設防潮板を3分で撤去させたとして話題になった。ストリーミング時代には『夕焼けの交差点』がを突破したとされるが、集計方法に「海岸線での自動再生」が含まれていた疑いがある。
ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
『潮騒のアルバム』(1979年) - デビュー作。A面B面ともに波音が長めで、ラジオ局によっては曲名より先に天気予報が流れた。
『真夜中の国道134号』(1981年) - ドライブソングとして定着したが、歌詞カードに「速度制限を守ること」と印字されていた。
『夕焼けの交差点』(1992年) - 再始動後の代表曲。ミュージックビデオはで撮影され、潮位の上昇により撮影班が2回退避した。
アルバム[編集]
『浜辺の数学』(1982年) - 68万枚を売り上げたとされる転機作。
『防潮堤の向こう側』(1986年) - サウンドの厚みが増し、の比率が前作比で42%上昇した。
『白い灯台の記憶』(1993年) - 再始動後の作風を定着させた作品で、録音時に灯台の自家発電が一度だけ落ちたことが有名である。
ベスト・アルバム[編集]
『波音大全集』シリーズは、年代ごとに編集方針が変わるため、同じ曲でも3種類のリミックスが存在する。特に2001年版は、曲間にカモメの鳴き声が入りすぎているとして賛否が分かれた。
『南風クロニクル』は、初期から再始動後までを俯瞰する編集盤で、ブックレットにが付属したことから音楽雑誌のみならず地理系の読者にも売れた。
映像作品[編集]
『サザン・オン・ザ・デッキ』は、ツアーの舞台裏を収録した作品で、リハーサルの8割が機材の乾燥に費やされている。
『波打ち際ライブ 1991-1999』は、再始動期の公演をまとめた映像集で、海風対策として編集時に全音源へ微量のノイズ除去が施された。
ストリーミング認定[編集]
以降、主要配信サービスでは『夕焼けの交差点』が、『真夜中の国道134号』がの認定を受けたとされる。なお、認定基準には「海辺での夏季再生回数」を補正する独自係数があるという。
海外では英語圏の潮流系プレイリストに収録され、のラジオ局が「日本語なのに湿度が高く聞こえる」と紹介したことがある。
タイアップ一覧[編集]
『潮騒のアルバム』はの夏季キャンペーンソング、『真夜中の国道134号』はの安全運転啓発CMに使用された。
『夕焼けの交差点』はの交通安全週間で流用され、信号待ちの時間が平均で3秒伸びたとの報告がある。ほかに、の広報映像、の「夕暮れの日本」特集、炭酸飲料のテレビCMなどに起用された。
ライブ・イベント / ライブ・コンサートツアー[編集]
代表的なツアーはの『波間の大行進』、の『再始動・潮目の旅』、の『全国防潮堤アリーナ巡礼』である。とくに2004年ツアーは全32公演、延べを動員し、地方都市のホテルが一時的に「サザン予約枠」を設けた。
また、の恒例イベント「海開き前夜祭」では、毎回セットリストの最後に未発表曲が1曲だけ演奏されるという慣例があり、録音を試みたファンが防波堤の上で待機した逸話が残る。
出演[編集]
テレビ[編集]
音楽番組『』に多数出演したほか、バラエティ番組『』では、桑田潤一が即興で天気図ソングを披露した。
ラジオ[編集]
の深夜番組『』は、メンバー全員が週替わりで出演し、機材トラブルの相談がそのまま恋愛相談にすり替わることで知られた。
映画・CM[編集]
ドキュメンタリー映画『』では、レコーディングの裏側が詳細に描かれ、後半20分が機材車のタイヤ交換に割かれている。CMでは、、などの企業とタイアップした。
NHK紅白歌合戦出場歴[編集]
から断続的にへ出場しており、特にの出演時には、演奏後にステージ袖へ引かずそのまま海に向かって退場する演出が話題となった。以後、紅白では「年末の海風担当」として扱われることがあった。
なお、には出演回ごとに衣装の裾へ貝殻が縫い付けられていたが、これはNHKの美術スタッフではなく、バンド側の独自判断によるものであった。
脚注[編集]
1. 通称やファンクラブ名には複数の異説がある。 2. 湘南ロックの成立経緯については、編『海と増幅器』に詳しい。 3. 北條一成の評は、後年の再録インタビューで若干修正されている。
参考文献[編集]
・井上潮『湘南ロック概論』潮文社、1998年。 ・北條一成『日本ポップスと海岸線』音楽評論社、2006年。 ・Marjorie K. Ellsworth, “Tidal Harmony and the Japanese Summer Band Scene,” Journal of Pacific Music Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2011. ・佐伯波子『レコード会社と防潮堤の経済史』港湾出版、2014年。 ・Hiroshi Tanaka, “The South Wind Arrangements,” East Asian Popular Music Review, Vol. 8, No. 1, pp. 5-29, 2016. ・編『波音アーカイブ1980-1995』、2020年。 ・鈴木砂利『歌詞が天気図に見えるとき』海鳴書房、2021年。 ・Aiko M. Renford, “Fan Clubs and Foam: Case Studies in Coastal Fandom,” Popular Culture Quarterly, Vol. 19, No. 2, pp. 88-104, 2022. ・高橋潮『サザンオールスターズ研究序説』南風館、2023年。 ・小林しおり『ライブ会場における仮設防潮板の導入』都市音響ジャーナル、第4巻第2号、pp. 13-18、2024年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
公式サイト 潮騒企画アーティストページ ミナトレーベル作品一覧 湘南音楽アーカイブ
脚注
- ^ 井上潮『湘南ロック概論』潮文社、1998年。
- ^ 北條一成『日本ポップスと海岸線』音楽評論社、2006年。
- ^ Marjorie K. Ellsworth, “Tidal Harmony and the Japanese Summer Band Scene,” Journal of Pacific Music Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 2011.
- ^ 佐伯波子『レコード会社と防潮堤の経済史』港湾出版、2014年。
- ^ Hiroshi Tanaka, “The South Wind Arrangements,” East Asian Popular Music Review, Vol. 8, No. 1, pp. 5-29, 2016.
- ^ 茅ヶ崎市文化資料館編『波音アーカイブ1980-1995』2020年。
- ^ 鈴木砂利『歌詞が天気図に見えるとき』海鳴書房、2021年。
- ^ Aiko M. Renford, “Fan Clubs and Foam: Case Studies in Coastal Fandom,” Popular Culture Quarterly, Vol. 19, No. 2, pp. 88-104, 2022.
- ^ 高橋潮『サザンオールスターズ研究序説』南風館、2023年。
- ^ 小林しおり『ライブ会場における仮設防潮板の導入』都市音響ジャーナル、第4巻第2号、pp. 13-18、2024年。
外部リンク
- 公式サイト
- 潮騒企画アーティストページ
- ミナトレーベル作品一覧
- 湘南音楽アーカイブ
- 波乗り倶楽部