サリーとアンと控えめなジェシー課題
| 分野 | 発達認知・架空推論心理学 |
|---|---|
| 主要現象 | 確信の抑制を通じた他者視点の推定 |
| 代表的刺激 | 人形(サリー、アン、ジェシー)を用いた隠し物語 |
| 計測指標 | 発話の強度・応答時間・正答率の同時推定 |
| 典型的対象 | 6〜11歳程度の参加者 |
サリーとアンと控えめなジェシー課題(よみ、英: Sally, Anne, and the Modest Jessie Task)とは、の用語で、においてがを行うである[1]。
概要[編集]
サリーとアンの“視点ずれ”を扱う課題は、他者の信念を推定させる枠組みとして知られているとされる。しかし本項目で扱うサリーとアンと控えめなジェシー課題は、同系統の設定をそのまま踏襲しつつ、決定的に「控えめな第三者(ジェシー)」を加える点で一線を画す。
この課題では、参加者は当てっこを行うだけでなく、「言い切らない態度」が成績に影響するよう設計されるとされる。具体的には、正解を知っていても、回答時の自信表明を抑えるほど“メタ的に正しい推定”が出るという、奇妙に社会的なバイアスが観察されると報告されている[2]。
日本語圏では、東京都の教育心理系研究会で「正しさより空気を読む工学」として紹介され、教材化の話がしばしば持ち上がったが、いくつかの追試で再現性が揺れたため、研究者の間では「半ば儀式、半ば測定」という位置づけが定着したとされる[3]。
定義[編集]
サリーとアンと控えめなジェシー課題とは、において、を含む事象を提示した際に、がする心理的傾向を測定する課題である[1]。
ここで「控えめなジェシー」とは、第三者が常に“最後まで言い切らない”ように描写される人形または役割であり、参加者はその態度を手がかりに「相手の理解の程度」を推定するとされる。結果として、応答には2つの成分が分離して現れるとされ、(1)出来事理解、(2)自信の抑制(あるいは抑制の演技)という成分の混合が、正答率と発話強度の相関として観察される[4]。
なお、課題名は一見物語風だが、設計意図としては測定のための“社会的ノイズ”をわざと注入する点にあり、参加者が沈黙や言い換えを選ぶほど推定が安定するという主張が中心に置かれる[5]。
由来/命名[編集]
この課題は、頃に愛知県の私立研究施設「児童推論研究所(J-CAIR)」で行われた、教材開発プロジェクトから生まれたとされる。開発責任者の一人は、当時「教育現場では“当てること”より“言い方”が先に評価される」現象に着目していた渡辺精一郎であり、彼はカリキュラム会議で“控えめな第三者を入れない限り、子どもは自信に飲まれる”と述べたと記録されている[6]。
命名の由来は、当時の台本がA4用紙3枚分の会話劇として製作され、その中でジェシー役のセリフが「はい/いいえ」だけでなく、全部で“言い切り禁止語”を含むよう指定されていたことに由来する。さらに、課題採点用のスプレッドシートに、誤答の理由分類を、、で分けたところ、分類コードが偶然「S-A-J」と並び、研究室内の冗談で最初に「S-A-J課題」と呼ばれたことが、その後正式名称へと膨らんだとされる[7]。
なお、外部への発表時には、会話劇が“童話”として誤解されるのを避けるため、研究会ポスターではタイトルを太字にせず、代わりに「推定の確信制御」というサブタイトルが添えられたという証言もある[8]。
メカニズム[編集]
本課題で想定されるメカニズムは、参加者が「相手の理解」を、出来事の事実そのものではなく、相手の“確信の置き方”から推定してしまうという点にあるとされる。つまり、は理解を直接示さず、代わりに“確信の抑制”という手がかりだけを与えるため、参加者はその抑制を手掛かりに信念を推測すると考えられる[9]。
より技術的には、における自己反映が過剰に起きると、参加者は「自分が正しいと思うから相手も正しいはず」と短絡しやすい。しかしジェシーが言い切らないことで、参加者は自己反映を一度減速させ、「相手はどの程度“確信を持っていそうか”」に注意を向けるよう促されると報告されている[10]。
この結果として、(a)回答のタイミングが遅れる場合でも、(b)発話強度(声量、文末の硬さ)を落とした参加者ほど、信念推定の成分が増え、(c)同一正誤でも“言い方が正しい”という二重評価が成立する傾向があるとされる[11]。
実験[編集]
最初期の実験は、名古屋市内の公民館「東海中央学習館」で実施されたとされる。参加者はの児童で、総数は、性別比は「ほぼ同数(±3名)」と整理されていた[12]。
手続きは3条件で構成され、(1)サリーとアンのみ(ジェシーなし)、(2)サリーとアンに加えジェシーが“言い切る役”として登場、(3)サリーとアンに加えジェシーが“控えめな役”として登場、の3群であった。測定は正答率だけでなく、回答までの反応時間と、録音された発話の平均音量をとして算出するという、やけに実務的な指標が採用されたと記載される[13]。
結果として、正答率は(1)と(3)で大差がない一方、(3)では“言い切らなさ”スコアが高い参加者ほど、正答が安定して出現し、誤答時にも「理由づけのズレ」が小さいという観察が報告された。また、(2)で“言い切るジェシー”を入れると、反応時間が短縮される代わりに、自己反映が強まることで誤答の質が悪化したとされる[14]。さらに、条件(3)でのみ「最後の文末が“かもしれない”で終わる頻度」がを超える群が統計的に分離されたという主張がある[15]。
ただし、追試では音圧推定の校正方法が異なり、効果量が縮小したとの指摘もあり、「ジェシーの控えめさ」が心理学的効果なのか、収録環境由来の指標なのかが議論となったとされる[16]。
応用[編集]
この課題は、当初は理論研究に留まっていたが、次第に教育現場・対話設計・説明責任の領域に応用されるようになったとされる。特には、授業中の発話評価が“断定の強さ”へ寄ることへの対策として、控えめな言い回しを採点設計に組み込む試験を行ったと報告されている[17]。
また、対話AI設計の文脈では、ユーザが誤りを確信しているときに、システムが“言い切りを避ける表現”を採用することで、ユーザのメタ推定を促す可能性があるとして、東京都のベンチャー「推論対話ラボ(DilaTec)」が実装デモを発表したとされる[18]。ただし、どの程度まで表現の控えめさを入れるかについては「下限があいまいで、上限を超えると自信低下で検索が止まる」という実務的な経験則が語られている。
臨床寄りの応用としては、で、説明の一貫性が崩れやすい参加者に対し、ジェシー役の“控えめな前置き”を会話プロトコルに組み込む試みが行われたとされる。ここでは、改善が見られたケースでも「“控えめ”が目的ではなく、推定の再点検が目的である」という注意書きが添えられていた[19]。
批判[編集]
批判の中心は、本課題が測定しているのが“他者の信念理解”ではなく、“言語表出の抑制”そのものではないかという点である。実際、控えめな発話は社会的望ましさに寄りやすく、採点が言い方に寄るほど、心理効果が観測されやすくなる可能性が指摘されている[20]。
また、課題設定においてジェシー役のセリフが台本で固定されすぎている点が、追試で問題になったとされる。あるレビューでは、ジェシーの控えめさを構成する語がと限定されており、方言環境や語彙習得の差を吸い上げる危険があると述べられた[21]。さらに、音圧推定値を用いる場合、録音機材とマイク位置の差が“効果”に見えることがあるとも指摘されている。
一方で擁護者側は、「誤答の理由づけが整う」こと自体が言語抑制以上の意味を持つと主張し、単なる演技の結果ではないと論じた。ただし、この擁護は“理由づけ”の符号化基準が研究室ごとに異なるため、比較可能性が低いという反論もある[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「確信制御による他者推定の遅延効果:サリーとアンと控えめなジェシー課題」『発達認知研究』第12巻第3号, pp. 41-63, 1998.
- ^ Margaret A. Thornton「Pragmatic Modesty Cues in Child Reasoning Tasks」『Journal of Fictional Cognitive Science』Vol. 9, No. 2, pp. 110-132, 2001.
- ^ 田中理沙「言い切り抑制が“理由づけ”を安定化させる条件」『教育心理学紀要』第55号, pp. 201-223, 2004.
- ^ A. K. Sato & E. R. Min,「Audio-pressure Proxies for Confidence Modulation」『Proceedings of the International Society for Speculative Psychometrics』第7巻第1号, pp. 77-96, 2006.
- ^ 李承熙「控えめ第三者によるメタ表象再編成」『応用認知学論集』第3巻第4号, pp. 9-31, 2009.
- ^ Catherine Dubois「When the Third Doll Speaks Softly: A Comparison of Scripted and Free Utterances」『Human Dialogue Review』Vol. 14, Issue 3, pp. 500-528, 2012.
- ^ 佐藤健太郎「“かもしれない”頻度と推定の再点検」『心理測定研究』第28巻第2号, pp. 33-58, 2016.
- ^ 【資料名】児童推論研究所 内部報告書「J-CAIR 台本改訂履歴(コードS-A-J)」児童推論研究所, pp. 1-44, 1997.
- ^ R. M. O’Connell「The modesty lever: a pseudo-causal account of belief inference」『Cognitive Myths & Methods』第2巻第1号, pp. 1-18, 2018.
- ^ 山口昭彦「サリーとアン再考:控えめジェシーの統計的分岐」『発達・推論学会誌』第19巻第1号, pp. 10-27, 2021.
外部リンク
- 推論対話ラボの実装ノート
- J-CAIR教材アーカイブ
- 発達認知研究会(記録)
- 架空心理測定ベンチマーク
- 教育評価プロトコル倉庫