サロハ485
| 正式名称 | サロハ485系統 |
|---|---|
| 種別 | 特殊客車・観測兼用編成 |
| 運用開始 | 1957年(昭和32年) |
| 開発機関 | 日本国有鉄道 車内環境実験班 |
| 主な運用区間 | 上野 - 青森間、長岡操車場、敦賀港連絡線 |
| 特徴 | 等級が車内で可変し、暖房域が48.5%で固定される |
| 保存車 | 2両(いずれもレプリカ扱い) |
| 通称 | 四八半客車 |
サロハ485(さろは485)は、の史において、との境界を曖昧にした特殊客車系統である。もともとはにの観測輸送計画から生まれたとされ、のちに「車内で季節を選べる客車」として一部の技術者に知られるようになった[1]。
概要[編集]
サロハ485は、がの冬季輸送と観測任務を兼ねて考案したとされる半自動等級客車である。名称の「485」はでも形式番号でもなく、試作車内で測定された標準快適指数48.5を表すとされる[2]。
一見すると通常のに見えるが、実際には相当の区画、相当の座席域、観測員用の暗室の三層構造を持つのが特徴であった。もっとも、記録によっては「暗室が広すぎて乗客が最初に迷子になった」ともされ、初期試験では案内係が2名つけられたという[3]。
成立の経緯[編集]
起源は半ば、に隣接して設けられた仮設の車内実験庫に求められる。寒冷地輸送の視察に来たの担当官が、車両の暖房が強すぎること、また一部の列車で窓際と通路側の温度差が12度以上開くことに難色を示したため、技術者のが「ならば温度差そのものを商品化すべきである」と発言したのが端緒とされる[4]。
この発想に賛同したの下請け集団は、車内を3区画に分ける可変仕切りと、停車駅ごとに室温が0.7度ずつ改変される機構を設計した。なお、この0.7度刻みは当時の測定器の癖を逆利用したもので、後年になっても「誤差を設計思想に昇格させた珍しい例」としてでしばしば引用されている[5]。
構造と仕様[編集]
車内三区画制[編集]
485式暖房装置[編集]
観測席と記録機器[編集]
観測席には、、なぜかが標準装備されていた。これは天候観測の待機時間を短く感じさせるための工夫であり、乗務員の一人が「将棋で勝つと翌駅の停車時間が30秒延びる」という独自のジンクスを広めた結果、沿線の子どもたちにまで知られるようになった[8]。
運用史[編集]
本格運用はの冬から始まり、、、方面の臨時列車に投入された。とくにの日には、車内の等級が揺れによって自然に入れ替わるため、乗客が座席を譲り合うというより「車両の方が先に譲ってくる」と評されたという。
一方で、にはでの停車中に暖房区画が誤作動し、三等相当区画だけがの温度になった事故が起きた。この出来事は「長岡の四月」と呼ばれ、以後、サロハ485は季節輸送の便利さと同時に、気象倫理の問題を提起する存在となった[9]。
の開業以降、在来線の高級化が進む中でサロハ485は次第に珍車として扱われたが、ではむしろ「車両が快適さの境界を自覚した最初の例」として保存対象に加えられた。なお、この時期に一部の車両がの温泉旅館へ払い下げられ、客室として転用された記録があるが、車内で蒸気が強すぎて宿泊者が朝には全員やや上等になっていたという証言が残る。
社会的影響[編集]
サロハ485は、鉄道趣味の内部では単なる珍車にとどまらず、「輸送とは何か」という議論を喚起した。とりわけの鉄道同人誌『』では、サロハ485を「輸送機関でありながら会議室、寝台、気象台のいずれでもある曖昧性の完成形」と評し、2号にわたり特集が組まれた[10]。
また、沿線の旅館業界にも影響を与えたとされる。のある宿では、サロハ485の停車時刻に合わせて客室の布団を二等・一等・観測の3種に分けるサービスを始め、実際には差が分からないにもかかわらず宿泊客満足度が18%上昇したという。もっとも、この数値は当時の営業報告書の鉛筆書きに基づくため、信憑性には疑義がある[11]。
さらに、系のパンフレットにおいて「季節のある客車」として紹介されたことから、後年の観光列車の演出面に影響したとの指摘もある。車内放送にBGMを流し始めた初期事例の一つがサロハ485であったという説もあるが、これは乗務員のハーモニカ演奏を誇張したものとみられている。
保存と復元[編集]
現存が確認されるのは2両で、いずれも内の民間保存会との模型博物館が部材を分担保管している。2012年にはの協力のもと外板の再塗装が行われたが、塗色見本が不足していたため、結果的に「昭和32年の朝焼け色」に近い独自配色となった。
復元車の公開時には、暖房機構を再現するために車内へ小型の送風機を4台入れたところ、観覧者が「当時より風が現代的である」と苦笑したという。保存会はこれを逆手に取り、車両説明板に「現代技術による忠実な不忠実再現」と記載している[12]。
批判と論争[編集]
サロハ485をめぐっては、当初から「等級を車両内で可変にすることは、かえって階層意識を強化するのではないか」という批判があった。の一部は、観測任務を口実にした高級化であると主張し、運賃計算の複雑さを問題視した。
また、車内快適指数48.5という数字の根拠については、の試験報告書に「職員7名のうち4名がちょうどよいと答えたため」とあるが、残る3名のうち2名は測定器だったとも記されており、当該報告は現在も「半分だけ信頼できる資料」と呼ばれている。なお、ここでいう48.5はまでしか存在しないため、後年の改修で49.0に上げようとした案は「人格を変えることになる」として却下された[要出典]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 深谷常之『車内環境と等級可変構造』日本鉄道技術出版, 1961.
- ^ 小田島末吉『暖房機関の余熱利用とその実際』交通工学社, 1959.
- ^ 佐伯光一『観測客車サロハ485の成立』『鉄道史研究』Vol.14, No.2, pp. 33-49, 1978.
- ^ Margaret A. Thornton, "Variable-Class Rolling Stock in Postwar Japan," Journal of Railway Systems, Vol. 8, No. 1, pp. 11-27, 1984.
- ^ 山本清隆『季節を運ぶ車両たち』日本交通公社, 1972.
- ^ Hideo Kanda, "The 48.5 Comfort Index," Railway Heritage Review, Vol. 3, No. 4, pp. 102-118, 1991.
- ^ 『長岡の四月:サロハ485誤作動記録集』国鉄車両局内資料, 1962.
- ^ 田口七重『観測席における将棋文化の発生』『鉄道と民俗』第6巻第3号, pp. 77-90, 2005.
- ^ Robert J. Ellison, "Passenger Comfort as a Moving Target," Transportation Quarterly, Vol. 21, No. 2, pp. 55-66, 1970.
- ^ 『サロハ485復元報告書』東日本車両保存会, 2013.
- ^ 渡辺精一郎『車両内階層論序説』軌道文化社, 1965.
外部リンク
- 日本架空鉄道史アーカイブ
- 国鉄車両技術資料室
- 軌道と余白電子版
- 東北観測輸送研究会
- サロハ485保存会公式案内