シーバット (SSN-881)
| 艦名 | シーバット |
|---|---|
| 艦種 | 攻撃型原子力潜水艦 |
| 艦番号 | SSN-881 |
| 建造者 | ニューポート・ニューズ造船所 |
| 就役 | 1989年 |
| 退役 | 1997年 |
| 全長 | 約138.4m |
| 乗員 | 136名 |
シーバット (SSN-881) は、が末期に試験的に運用したとされるである。艦内での静粛性と“海底外科”と呼ばれる特殊作業能力を両立させた艦として知られ、後にの前史に位置づけられたとする説が有力である[1]。
概要[編集]
シーバットは、ので建造されたとされるの原子力潜水艦である。公称上はの後継実験艦とされたが、実際には「深海の補助航空母艦」を目指す計画の一環として設計されたという異説が存在する。
艦名の由来は、艦内で試作された低周波探知装置がコウモリの超音波反響を模したことにちなむとされる。ただしの1988年報告では、命名は当時の艦長候補であった少佐の姓を短縮したものと記録されており、起源には諸説ある[2]。
開発の経緯[編集]
シーバット計画は、にの海中機動班が作成した「海底長時間滞在・機関分離型試験計画」から派生したとされる。背景には、沖での潜航監視任務が増大し、従来艦では三十六時間を超える低速巡航時に乗員疲労が限界に達していた事情があった。
初期設計案では、船体中央に二つの耐圧区画を設け、片方で静音航行、もう片方で水中ドローン整備を行う構想であった。だがの会議で、ある技術将校が「整備中に潜れる艦を作るべきだ」と発言し、そこから“潜ったまま修理する”という極端な仕様が採用されたと伝えられる[3]。
設計[編集]
船体と静粛化[編集]
船体はの流体抵抗理論を発展させた独自の涙滴断面を採用しており、艦首に設けられた三枚の可動フラップは「海中の耳」と呼ばれた。これにより、試験航行ではでの潜航時にも、艦内厨房の皿が一枚も割れなかったという記録が残っている。
また、船体外板にはと“藻類抑制塗料”が重ね塗りされ、半年ごとに塗装班がで儀礼的な再塗装を行った。塗装作業は常に夜間に限定され、光を嫌う艦の“性格”に合わせたものとされた。
艦内区画[編集]
艦内は、前部から「指揮区画」「音響区画」「外科作業区画」「茶葉保管区画」の四層に分かれていたとされる。とくに茶葉保管区画は、海底で長期任務に就く乗員の士気維持を目的として設置され、専用の温湿度管理が施された[要出典]。
この艦の特徴として、艦中央に「無言の廊下」と呼ばれる長さ47mの通路があり、会話を禁止して足音だけで意思疎通を行う訓練が実施された。海軍心理研究所によると、この訓練後の乗員は指差しだけで12種類の魚類を識別できたという。
運用史[編集]
北太平洋試験航海[編集]
最初の試験航海は10月、の近海で行われた。目的は、極低速での姿勢保持と海底送電線の監視であったが、艦は想定を超えて安定し、3日目には海中に設置された観測ブイを“寄港”先と誤認したとされる。
この航海中、シーバットは深度で12時間停止し、乗員が艦内食として配られた缶詰の番号を暗記するという暇つぶしが公式記録に残っている。また、潜航中に艦尾の微振動がの地震計に誤検知され、地域ニュースで「未知の海底生物の接近」と報じられた。
地中海展開と“海底外科”[編集]
にはの付属艦としてへ展開し、沿岸監視と機器回収任務に従事した。ここで“海底外科”と呼ばれる特殊作業が初めて実施され、沈没した偵察装置のネジ1本を交換するために潜水士が不要となったとされる。
とくに沖での作業では、艦内整備員がマニピュレーター越しにボルトを締める際、誤って艦のマスコット人形を海底に埋め込んだことが発覚した。のちにその人形は“守り神”として艦橋に固定され、帰港まで外されなかったという。
最後の任務[編集]
退役前の最終任務は冬、沖での通信ケーブル保護作戦であった。任務中、艦は氷海下で二週間にわたり浮上せず、乗員は日付感覚を失ったため、食堂の壁に貼られたからまでの紙を順番に剥がして生活したとされる。
この時期に艦長の大佐が「潜水艦は海の上を走る必要はない」と演説し、艦内に拍手が起きた。なお、記録上は拍手音が艦内静粛基準を超過したため、後日“静かな拍手”の訓練が導入された。
社会的影響[編集]
シーバットは、海軍技術史において「潜航しながら自己完結する艦」の象徴とみなされ、のちの自律型無人潜水艇研究に大きな影響を与えたとされる。とくにでは、シーバットの艦内動線を模した講義室が作られ、学生は廊下の曲がり角ごとに異なる信号を出す訓練を受けた。
一方で、乗員の士気維持のために導入された紅茶配給制度が、艦の性能評価と混同されたことから、1980年代末の軍需予算審議では「茶文化に何百万ドルを支出したのか」という批判も出た。これに対し国防総省は、茶葉は戦略資源であると説明したが、議会記録には長く冗談扱いで残った[4]。
批判と論争[編集]
シーバット計画には、当初から過剰設計であるとの批判があった。特にの監査報告では、艦の計器盤に温度計が17本、湿度計が9本、そして用途不明の“気分計”が2本取り付けられていたことが問題視された。
また、艦名をめぐっては、海軍内で「Seabat」は海洋哺乳類ではなくコウモリ類の誤記であるとする指摘が続き、正式名の決定に半年を要したという。さらに退役後、艦内茶葉の一部が研究用にへ移管された際、保存容器のラベルに“飲用可”と記されていたことが発覚し、展示部門と資料部門の間で小さな論争が生じた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Edward J. Mallory『Silent Hulls and Tea Cabinets: Experimental Submersibles of the Late Cold War』Naval Institute Press, 2004.
- ^ Margaret L. Henshaw『The Seabat Project Papers』Vol. 12, Journal of Undersea Systems, pp. 44-79, 1998.
- ^ 田所 恒一『米海軍潜水艦技術史――静粛化と艦内文化』海文堂出版, 2011.
- ^ Robert H. Seabright『Memorandum on Deep-Quiet Hull Form』U.S. Naval Technical Archive, 1988.
- ^ Daniel P. Wexler『Submerged Maintenance and the Rise of the Sea Surgery Doctrine』Vol. 7, International Journal of Maritime Engineering, pp. 201-233, 2006.
- ^ 渡辺 俊介『原子力潜水艦の生活空間設計』第3巻第2号, 防衛科学研究, pp. 15-41, 2009.
- ^ Cynthia M. Bell『The Strange Case of SSN-881』Naval Review Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 88-112, 2001.
- ^ John A. Pritchard『Thermal Tea Logistics aboard the Seabat』Proceedings of the Maritime Human Factors Society, pp. 5-19, 1995.
- ^ 海軍歴史遺産委員会『1988年度 艦名・略号対照表』ワシントンD.C., 1989.
- ^ Eleanor P. Whitcomb『Quiet Applause: Crew Cohesion in Extended Submergence』Journal of Naval Psychology, Vol. 4, No. 1, pp. 1-26, 2002.
外部リンク
- Naval Submersible Heritage Archive
- Undersea Systems Review
- Pacific Fleet Oral History Center
- Maritime Oddities Index
- Bethesda Defense Memoranda Repository