ジャン・ケンル=ドシャン
| 名称 | ジャン・ケンル=ドシャン |
|---|---|
| 別名 | 犬指譜、ドシャン記譜、J.K.D.法 |
| 分類 | 即興記譜法、都市民俗、擬似音楽理論 |
| 提唱者 | オーギュスト・ベルナールと渡辺宗一郎 |
| 成立 | 1897年頃 |
| 主な伝播地 | パリ、横浜、神戸、函館 |
| 主要媒体 | 手稿、茶番劇、楽団の口伝 |
| 衰退 | 1930年代後半 |
| 復興 | 1978年以降の民俗学的再評価 |
ジャン・ケンル=ドシャン(Jean Kenru de Chien)は、のとにまたがって成立したとされる、指差し式のである。演奏者の手の形と足音を同時に記録する技法として知られ、のちに都市下層民の間で「握手で旋律を決める作法」として流行した[1]。
概要[編集]
ジャン・ケンル=ドシャンは、演奏開始前に両手の指を「犬の耳」「狐の口」「鷲の爪」に見立て、その組み合わせで拍子・調性・退場位置を決める作法である。名称は風の語形との俗称が混交したもので、当初はの港湾労働者とのカフェ歌手のあいだで別々に用いられていたとされる。
この体系は、単なる遊戯ではなく、末期の都市部で増え続けた「即席の演芸需要」に対応するための実用技術として発展した。なお、初期資料の多くは史料編纂所の未整理箱から発見されたとされるが、箱の中にの倉庫整理票が混じっていたことから、起源をめぐっては現在も議論がある[2]。
歴史[編集]
成立期[編集]
最初期の記録は、から来航した興行師オーギュスト・ベルナールが、の検疫所で暇を持て余し、手話と将棋の指し手を組み合わせて考案したとするものである。これに出身の通訳・渡辺宗一郎が、拍子木の代わりに下駄の歯を床に打ちつける方式を加えたことで、ジャン・ケンル=ドシャンの原型が成立したという。
ただし、別系統の説では、同年にの寄席で活躍していた無名の三味線弾きが、観客の拍手の癖を分類するために導入したという。どちらの説でも共通するのは、関係者が「犬に見える」「いや猫である」と口論した末に命名が固定した点である。
普及と定着[編集]
頃には、の船宿やの待合で、演目を秘密裏に打ち合わせる符牒として使われるようになった。特に、掌を伏せると「航路変更」、人差し指だけを立てると「歌い出しを三拍遅らせる」といった規格が生まれ、港ごとに細かな差異が生じた。
にはの袖幕裏で「J.K.D.例規12条」が作成されたとされるが、現存する写しは3部しかなく、そのうち2部は後世の筆跡鑑定で期の複製と判定されている。それでも当時の新聞には「手指をもって旋律を裁く奇術」として断片的に報じられ、都市の中流層にも半ば流行語として浸透した。
衰退と再評価[編集]
後半、録音技術の普及により、演奏前に指を折る必要が薄れたことで一旦衰退したとされる。さらにが「公の場で犬音を模す行為は誤解を招く」として通達を出したため、正式な舞台ではほぼ姿を消した。
しかし、の民族音楽ゼミが、下鴨神社近くの古民家から発見された帳面をもとに再構成を試みたことで再評価が始まった。再現公演では、観客の17%が「思ったより理屈がある」と回答し、残る83%は「理屈はあるが正気ではない」と答えたとされる[3]。
技法[編集]
ジャン・ケンル=ドシャンの基本は、右手で、左手で、足でを示す三層構造にある。例えば「親指を折り、薬指を二度鳴らす」所作はの意味を持つとされ、熟練者は3秒以内に12通りの転調を示せたという。
この技法が独特とされるのは、記譜が紙ではなく「目撃者の記憶」に依存していた点である。そのため、同一の演目でも証言ごとに5種類以上の版が存在し、研究者はこれを「記憶の揺らぎによる自然発生的和声」と呼んだ。実際には、単に誰も覚えていなかっただけだという指摘もある。
また、上級者は指の配置だけでなく、帽子の角度や咳払いの回数まで利用した。特にの港湾組合では、咳払いが7回を超えると演目が自動的に悲劇へ転調する規則があり、これが労働争議の合図としても転用されたとされる。
社会的影響[編集]
ジャン・ケンル=ドシャンは、当初は演芸界の小技であったが、やがて商取引や交通整理にも応用された。例えばでは、荷揚げ順を指の折り方で決める「指揮式荷役」が一時期採用され、作業効率が12%向上したとする帳簿が残る。ただし、同じ帳簿には雨天時に効率が38%低下したとも記されている。
教育現場でも一部導入され、の寄宿舎では、夜間の消灯後に会話を避けるため、机を2回叩いて感情を伝える「沈黙版J.K.D.」が流行した。これにより寮内の揉め事は減ったが、代わりに意味不明な拍子打ちが増え、監督教員が半年で4人交代したという。
民俗学では、都市化によって生まれた「即席合意装置」の一種とみなされている。一方で、が1921年に作成した内部報告書には、同法が「賭博のサインに近似するおそれあり」として警戒対象に挙げられており、文化と治安の境界をめぐる象徴的事例ともなった。
批判と論争[編集]
批判の多くは、そもそもジャン・ケンル=ドシャンの定義が曖昧である点に向けられている。とりわけの旧資料には、「同法は実在せず、後年の研究者が港湾語を過度に体系化した可能性がある」との注記があり、現在でもその真偽は確定していない[4]。
また、所蔵とされる「ドシャン手記」には、12ページ目がなぜかで書かれている箇所があり、写本の混入や後代の改竄が疑われている。にもかかわらず、愛好家団体の一部は「異言混交こそが本質である」と主張し、毎年の貸会議室で無言の再現会を開催している。
この論争は学界だけでなく、娯楽化にもつながった。1933年には夕刊に「手を振るだけでオーケストラが始まる町」と題した記事が載ったとされるが、実際には広告欄の隅に小さく掲載されたもので、しかも見出しだけが独り歩きした可能性が高い。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ オーギュスト・ベルナール『Traité du geste accordé』Presses de la Seine, 1902, pp. 41-68.
- ^ 渡辺宗一郎『港町における即席拍子の研究』横浜港湾文化研究会, 1914, pp. 7-29.
- ^ Margaret H. Ellison, "Gesture Notation and Urban Noise", Journal of Applied Folklore, Vol. 12, No. 3, 1981, pp. 201-224.
- ^ 佐伯俊之『都市演芸における指語体系の変遷』芸能史学会, 1979, pp. 113-146.
- ^ Pierre Lenoir, "Le chien et la cadence: une méthode oubliée", Revue des Musiques Mixtes, Vol. 8, No. 1, 1927, pp. 15-39.
- ^ 東京大学史料編纂所 編『港湾手稿目録 第4冊』岩波書店, 1966, pp. 88-93.
- ^ 中村恭子『沈黙の拍子木: 近代日本の符牒文化』中央公論社, 1993, pp. 54-77.
- ^ H. J. Whitmore, "The J.K.D. Ordinances of 1912", Proceedings of the East Asian Antiquarian Society, Vol. 4, No. 2, 1956, pp. 9-31.
- ^ 田島多恵『手のかたちと都市の記憶』青土社, 2008, pp. 141-169.
- ^ Claude Morizot『犬指譜概論』Librairie du Port, 1899, pp. 3-24.
外部リンク
- 国際ジャン・ケンル=ドシャン協会
- 港町指語アーカイブ
- 下鴨民俗記譜研究室
- J.K.D.資料保存委員会
- 近代都市の符牒と身振りデータベース