ジョン・マリウス
| 名称 | ジョン・マリウス |
|---|---|
| 英語名 | John Marius |
| 成立 | 1878年ごろ |
| 提唱者 | J. M. Marius, E. H. Bell, 渡辺精一郎 |
| 分類 | 航海認証制度・商業帳票・準軍事的通行札 |
| 主な運用地域 | 北大西洋、英領、横浜、 |
| 廃止 | 1909年ごろ |
| 影響 | 近代的な通行証・船員台帳・荷主責任制度に影響したとされる |
ジョン・マリウス(英: John Marius)は、後半の横断航路において整備されたとされる、通信・航海・身分証明を兼ねた複合式のである。しばしば「近代の原型」とも呼ばれるが、その成立には系の商人、ロンドンの保険業者、そして横浜の税関吏が奇妙に関与していたとされる[1]。
概要[編集]
ジョン・マリウスは、もともと時代の国際航路で用いられた実務書類の一種であり、個人の氏名、船歴、保険引受先、さらには好物の茶葉の種類まで記載されたとされる。形式上は人名であるが、実際には制度名、帳票名、あるいは運用担当官の総称として混用されてきた。
その奇妙な成立経緯から、後世の研究者は「とが偶然に握手した瞬間の産物」と評している。一方で、所蔵とされる初期版には紙質の問題があり、潮気を吸うと署名欄だけが異様に膨らむため、真贋判定が難しいともいわれる[2]。
名称の由来[編集]
名称は、出身の帳簿職人ジョン・マリウス・ケイフによる略称「JM」に由来するという説が有力である。もっとも、の研究班は、逆に「John Marius」という人物が先に存在し、その名を借りて帳票が作られたと主張している。
いずれの説でも共通しているのは、名称が人名としてあまりに平凡であったため、港湾当局が警戒しなかった点である。実際、のリヴァプール港記録では「Marius, J.」が船員欄ではなく「票券整理済」の欄に記されており、これが後の混乱の端緒になったとされる。
成立史[編集]
北大西洋通商圏での誕生[編集]
制度の原型は、—リヴァプール間の貨客船で発生した積荷盗難事件への対策として作られたとされる。船長は、乗客名簿と保険証券を一体化した紙片を考案し、これがジョン・マリウス第1様式と呼ばれた。
第1様式は、折りたたむと大、広げると相当になる複雑な構造で、雨天時に読みやすくするため魚油で軽く防水されていた。なお、この魚油処理が原因で、夏の検疫で「書類から磯の香りがする」と苦情が出た記録が残る。
横浜改訂と税関化[編集]
にはの職員、渡辺精一郎が制度を「通関補助票」として再設計し、乗客本人ではなく荷主の信用を記録する欄を追加した。これにより、ジョン・マリウスは船員証から準公的な信用証明へと変質した。
渡辺は、記入例として「趣味: 蒸気機関の観察」「既往歴: 台風に二度遭遇」などを載せたとされるが、同時代の公文書にはそのような自由記載欄は確認されていない。もっとも、横浜の古書店街では、欄外に『波浪に関する所感』が書かれた複写例が散見されるという。
保険業界への波及[編集]
ロンドンの系保険業者は、ジョン・マリウスの導入によって船籍不明の荷を引き受ける際の損害率を約17.4%下げたと報告した。これにより、保険料の算定に「署名の整い方」が組み込まれるようになったとされる。
ただし、保険業界ではすぐに「署名が美しいほど事故が少ない」という誤った相関が信じられ、筆跡の整った船長が優遇された。結果として、一部の船では航海士がわざわざ左手で署名して信用を下げるという逆転現象が起きたという。
運用[編集]
ジョン・マリウスの運用は、基本的に三層構造であった。第一層は本人の氏名と所属船、第二層は貨物保証人、第三層は「特記事項」であり、ここに天候、積荷の匂い、同行者の癖などが追記された。
この特記事項欄は当初、監査目的で設けられたが、次第に執筆者の筆が乗るようになり、には「当該乗客は夜間に詩を朗読するため、同室者への配慮を要す」といった記述まで現れた。こうした逸脱が制度の人気を高めた一因ともいわれる[3]。
社会的影響[編集]
ジョン・マリウスは、単なる書類を越えて「信用を携帯する」という発想を一般化させた点で重要である。都市部では、旅券、下宿契約、銀行口座の開設までがこの様式に倣って簡略化され、にはの商工会議所が「マリウス票」と呼ばれる推薦票を採用した。
一方で、制度が過剰に普及した結果、港湾労働者の間では「マリウスが通らなければ荷は通らない」という俗語が生まれた。これが転じて、後に日本の一部新聞で「マリる」という動詞が使われたとする説もあるが、語源的根拠は薄い[要出典]。
批判と論争[編集]
制度に対する批判として最も多かったのは、書類が多層化しすぎて本人より重くなったことである。実際、のの調査では、平均的なジョン・マリウス票は船員の私物を含めない状態で約420グラムあり、折り癖がつくと約1.8倍に増えたと報告されている。
また、初期版の署名欄に現れる「J. Marius」表記が、実在の複数人物を巻き込んだ名義貸し問題へ発展した。とくに支局で、同一人物の名が月内に6通りの筆跡で再現されていた件は、の議会答弁でも取り上げられたが、結局は「潮風による筆圧変動」として処理されたとされる。
衰退と後継[編集]
写真付き通行票への置換[編集]
に入ると、写真技術の普及により、ジョン・マリウスは顔写真付き通行票へと置き換えられた。もっとも、初期の写真は露光時間が長く、乗客が3分間も静止できないため、代わりに「もっとも信用できる顔つき」を描いたスケッチが添えられることもあった。
の改定令で公的運用は事実上終了したが、港湾の現場ではまで「マリウス式に見せておけ」という慣用句が残った。これは書類を整えているように見せつつ、実際は適当でよいという意味で用いられた。
現代における評価[編集]
研究者の間では、ジョン・マリウスは「書類に人格を与えた制度」として評価されることが多い。とりわけ東京大学の社会制度史研究では、情報の圧縮と可視化を両立した先駆例とされ、現代の電子署名や配送追跡番号との類似が指摘されている。
ただし、制度の中心にあったのは合理性だけではなく、港ごとに異なる例外処理を楽しむ文化であったともいわれる。ある資料では、支局の担当者が一年で41回も注記方式を改訂しており、制度が完成したのではなく、完成しないことそのものが信用を生んだと結論づけている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Arthur P. Henslow『The Marius Papers and North Atlantic Credit』Harbour Press, 1968, pp. 41-79.
- ^ 渡辺精一郎「横浜港における票券整合の試み」『海事史研究』第12巻第3号, 1892, pp. 114-128.
- ^ Margaret L. Rowe『Insurance, Ink, and the Marius System』Littoral Studies Quarterly, Vol. 8, No. 2, 1974, pp. 9-33.
- ^ 田所一馬「港湾書類の多層化とその副作用」『商業史紀要』第7巻第1号, 1931, pp. 201-219.
- ^ E. H. Bell『Notes on the Marius Ticket in Trans-Atlantic Service』Crown & Quay Publishing, 1884, pp. 3-26.
- ^ Claudia Meyer『Stamp, Seal, and the Body: Identity at Sea』Portsmouth Academic Books, 2001, pp. 88-117.
- ^ 小笠原義彦『通関補助票の近代化と信用の可搬性』港湾文化研究所, 1998, pp. 55-104.
- ^ Henry Ashton『A Practical Ledger for Passenger Confidence』Mersey Institute Press, 1880, pp. 1-14.
- ^ S. J. Carver『The Slightly Wet Archives of John Marius』North Sea Review, Vol. 3, No. 4, 1997, pp. 233-240.
- ^ 中村澄子「マリウス票の特記事項欄における詩的記述」『比較港湾学』第4巻第2号, 2010, pp. 77-95.
外部リンク
- 英国海事票券史協会
- 横浜港史デジタルアーカイブ
- 北大西洋認証制度研究会
- ロイズ書類文化コレクション
- 港湾筆跡分析ラボ