デョピデョピ
| 名称 | デョピデョピ |
|---|---|
| 別名 | 反響歩法、軒先符牒、二拍子囁音 |
| 分類 | 都市民俗・音響技法 |
| 起源 | 1920年代後半の東京下町 |
| 伝承地 | 東京、横浜、名古屋、大阪、札幌 |
| 主な用途 | 合図、商談、児童遊戯、混雑回避 |
| 記録者 | 早川音平、三橋さだ子、R. G. Ellison ほか |
| 最盛期 | 1934年-1941年 |
| 衰退 | 1950年代以降 |
| 特徴 | 口唇を強く閉じずに発する二連の擬音と、足元の拍を組み合わせる |
デョピデョピ(でょぴでょぴ、英: Dyopi-Dyopi)は、初期の下町で生まれたとされる、微細な反響音を利用して意思伝達を行うための半儀礼的技法である。後に・・へと応用され、日本各地に奇妙な流行を残したとされる[1]。
概要[編集]
デョピデョピは、短い吸気音と子音の連打を組み合わせ、相手に意味を直接伝えるのではなく、周囲のを読ませることを目的とした技法である。明確な文法を持たない一方、商店街、路地、駅の跨線橋など、音が散りやすい場所ほど精密に用いられたとされる。
一般には子どもの遊びとして知られることが多いが、実際には末期から初期にかけて、魚河岸の仲買人や看板職人のあいだで発達したとされる。なお、同時代の衛生局が「不必要な口腔運動」として調査した記録があるとされるが、実物の所在は確認されていない[2]。
歴史[編集]
起源と成立[編集]
起源については、にので行商人の呼び込みが誤って笛音を真似たことに始まるとする説が有力である。これが路地裏の子どもたちに模倣され、口の中で「デョ」と「ピ」を交互に作ることで、遠くの仲間へ合図を送る遊びへ変化したという。
一方で、の架空電波干渉説を唱える研究者もおり、電灯の変圧器が発する高周波を真似るうちに成立したとする。もっとも、この説はの『市街雑音と少年遊戯』に一度だけ登場するだけで、その後の引用はほとんどない。
普及と制度化[編集]
ごろになると、浅草の寄席周辺で「二拍子の合図」として半ば公認され、露店の開店時刻を知らせるために用いられたとされる。特に周辺では、同じ「デョピデョピ」でも語尾の上げ下げで三種類の意味を持たせる慣習があり、熟練者は12メートル先の相手に7割以上の成功率で伝達できたという[3]。
またの児童向けラジオ番組で、放送禁止用語を避ける代替発声として紹介されたことから、全国の小学校に急速に広まった。学校側はこれを「集団発声訓練」として整理し、には東京都内だけで214校が教材に採用したとされる。
戦後の変質[編集]
になると、デョピデョピは商業用途よりも、駅のホームでの待ち合わせや、闇市における価格交渉の前置きとして使われることが増えた。特に周辺では、語尾の「ピ」を長く引くと「値切り可能」、二度叩くと「本日限り」と解釈されるなど、即興性の高いローカル規格が生まれた。
しかしの『都市騒音対策要覧』で「耳鳴りとの区別が困難」と批判されたことを境に、急速に衰退した。なお、同書の著者であるは自著のあとがきで、孫がデョピデョピを覚えたため家中の会話がすべて暗号化したと記している。
技法と作法[編集]
デョピデョピの基本は、息を短く吸い込んで「デョ」、続けて舌先を硬口蓋に当てて「ピ」と発する二段構えにある。これを1秒間に2回から4回の範囲で繰り返すのが標準とされ、熟練者は相手の足音や傘の角度を見て間合いを調整した。
作法としては、屋外では左手をポケットに入れたまま行うのが無礼にあたらず、屋内では障子の前で行うと音が「曲がる」と信じられていた。また、の一部の喫茶店では、砂糖壺を軽く回してから行うと「商談開始」の合図になるとされ、店主の側もこれを当然のように受け入れていたという[4]。
社会的影響[編集]
デョピデョピは、単なる遊戯にとどまらず、都市生活の速度を可視化する文化装置として評価された。特に後の再建期には、瓦礫の多い路地で声を張り上げる代わりに使えるため、工事現場と商店街の双方で歓迎されたとされる。
一方で、意味が曖昧であるがゆえに誤解も多く、では「空腹の合図」、では「取引成立前の保留」、では「寒さで唇が動かない人の弁明」と解釈されるなど、地方差が著しかった。これが後年、言語学者による「都市擬音の方言化」理論へつながったとされる。
批判と論争[編集]
デョピデョピは、その実用性よりも過剰な象徴性ゆえに批判の対象となった。とりわけは、児童が授業中に窓際でデョピデョピを交わすことにより、教室内の統率が17分ほど崩壊するとして、1939年に注意文を出したとされる。
また、伝承団体の一部は「本来のデョピデョピは音ではなく視線である」と主張し、発声派と無音派が対立した。この論争はの『都市符牒の倫理』で再燃し、最終的には「どちらも後世の創作である可能性がある」と著者が記したことで、かえって信奉者を増やした[5]。
保存運動と現代の受容[編集]
以降、デョピデョピは忘れられた下町文化として再評価され、を模した私設展示や、各地の町おこしイベントで披露されるようになった。とくにの「下町音声民俗フェス」では、来場者1,842人のうち約3割が意味を理解できなかったにもかかわらず、8割が「なぜか懐かしい」と回答したという。
現在では、若年層の間で「既読を付けずに気配だけ送る行為」の比喩として使われることもある。もっとも、実演できる者は少なく、保存会の登録者237人のうち、連続三回以上正確に発音できるのは41人にとどまるとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 早川音平『下町反響誌』浅草文化研究会, 1938年, pp. 41-63.
- ^ 三橋さだ子『子ども遊戯と都市雑音』日本民俗刊行会, 1941年, pp. 112-129.
- ^ 佐伯準一『都市騒音対策要覧』港出版社, 1956年, pp. 9-18.
- ^ R. G. Ellison, "Echo-Syllables in East Asian Street Traditions," Journal of Urban Folklore Studies, Vol. 7, No. 2, 1964, pp. 88-104.
- ^ 村山静夫『都市擬音の方言化』東都書房, 1962年, pp. 201-220.
- ^ 小堀玲子『戦後商店街の音声文化』青葉館, 1971年, pp. 55-79.
- ^ Margaret L. Henshaw, "Minimal Vocal Codes in Crowded Markets," Anthropology Quarterly, Vol. 19, No. 4, 1978, pp. 301-319.
- ^ 高瀬光彦『デョピデョピ入門——二拍子囁音の理論と実践』北窓社, 1984年, pp. 3-26.
- ^ A. S. Weller, "The Problem of Dyopi-Dyopi in Schoolyards," East-Asian Sound Review, Vol. 12, No. 1, 1990, pp. 15-33.
- ^ 『市街雑音と少年遊戯』東京市街研究所, 1931年, pp. 7-14.
- ^ 中村えりか『既読なき通信の民俗誌』新潮社, 2016年, pp. 144-160.
外部リンク
- 下町音声民俗アーカイブ
- 東京擬音研究所
- 全国デョピデョピ保存会
- 都市符牒データベース
- 江戸東京音響文化資料室