トリケラトプスのオールナイトニッポン
| 番組名 | トリケラトプスのオールナイトニッポン |
|---|---|
| 放送局 | ニッポン放送 |
| 放送時間 | 毎週金曜 25:00 - 27:00 |
| 放送期間 | 1978年4月 - 1983年9月 |
| ジャンル | 恐竜擬人化トーク、リスナー参加型企画、地学講座 |
| 収録方式 | 一部生放送・一部洞窟中継 |
| 主な出演 | トリケラトプス伯、渡辺精一郎、三枝ミドリ |
| 制作 | 文化娯楽局 深夜編成班 |
| 名物コーナー | 角先案内人、火山灰リクエスト、絶滅相談室 |
| スポンサー | 東亜石灰、サンセット文具ほか |
トリケラトプスのオールナイトニッポンは、がから実験的に編成したとされる、深夜帯のである。三本角の恐竜であるトリケラトプスを“パーソナリティ”に据えた異色番組として知られる[1]。
概要[編集]
『トリケラトプスのオールナイトニッポン』は、東京都の本社から放送された深夜番組で、恐竜を模した着ぐるみではなく、実在の博物学者が“トリケラトプス伯”を名乗って進行する形式で知られた。番組は後半の深夜ラジオにおける実験企画の一つであり、当時の若年層に向けて「化石」「絶滅」「群れの移動」といった語彙を軽妙に語ることを目的としていたとされる[2]。
番組名に含まれる「オールナイトニッポン」は通常の冠タイトルであるが、本番組では放送開始当初、との共同企画により、毎回の冒頭で関東地方の地質活動に関する短い講釈が挟まれていた。また、ハガキ職人のあいだでは、角を持つ生き物に限らず、生活上の悩みを“草食動物的視点”で解決するコーナーが人気を博したという。
成立の経緯[編集]
起源は1977年冬、早稲田大学の博物館実習室で行われた座談会にさかのぼるとされる。番組プロデューサーのが、恐竜展の集客が伸び悩んでいることを受け、深夜ラジオと連動した“寝る前の古生物教育”を提案したのが始まりである[3]。
当初は『ステゴサウルスの夜更かし便』という仮題で進んでいたが、制作会議の末に、より角の多いキャラクターのほうが視覚的な記号性に優れるとしてトリケラトプスに変更された。なお、この変更には当時に在籍していた番組評論家・の助言があったとされるが、同時代の資料には記録が乏しく、要出典のまま残されている。
第1回放送はで、都内の貸しスタジオに小型の火山模型を持ち込んで行われた。初回の視聴率は0.8%程度だったが、翌週の“絶滅した恋の相談室”が若者の間で話題となり、メールならぬハガキが届いたとされる。
番組内容[編集]
オープニングと定番挨拶[編集]
番組冒頭では、トリケラトプス伯が「諸君、今夜も地層のように重ねる時間である」と述べるのが定番であった。続いて、アシスタントのが“湿地の気圧”を読み上げ、気象庁の観測値と照合するという、妙に厳密な段取りが取られていた。
この部分は一見すると学術番組に近いが、実際には毎回、前夜の放送終了後に編集された“角度の違う挨拶”が差し込まれ、同じ挨拶が3週連続で微妙に変化することがファンの研究対象となった。
角先案内人[編集]
最も人気のあったコーナーが『角先案内人』である。リスナーから寄せられた生活相談に対し、トリケラトプス伯が“角の使い方”を比喩にして答える形式で、進路、失恋、就職、親子関係までほぼ全てが角度問題として処理された。
1981年には、埼玉県の高校生が「試験で答案が真っ白です」と投稿したところ、伯が「まず机に角を立て、次に自尊心を横へ逃がせ」と返答し、後日その文言が受験参考書の帯に無断引用されたという逸話が残る。
火山灰リクエスト[編集]
音楽リクエスト枠は『火山灰リクエスト』と呼ばれ、当時流行した歌謡曲と、地質年代にまつわる断片的な解説が交互に流された。選曲の基準は不明瞭であるが、制作陣が“灰に埋もれた感じ”を重視していたため、バラード比率が高かったとされる。
また、富士山の噴火史を連想させるとして、1982年のある回ではの楽曲が3分20秒ちょうど流された直後に「この厚さの火山灰なら、キャベツは育つ」と解説され、リスナーから「役に立つのか不明だが妙に覚える」と評された。
絶滅相談室[編集]
『絶滅相談室』は、番組後半に設けられた人生相談コーナーである。失恋、受験失敗、下宿の騒音など、取り返しのつかない悩みを“絶滅した種の視点”から見直すという趣旨で、時に励ましよりも諦念を与えるとして賛否が分かれた。
1983年2月には、大阪府の主婦が「夫が毎晩帰宅しない」と相談し、伯が「それは夜行性の可能性がある」と述べた回が伝説化した。笑い話として定着した一方、心理的に追い詰められた聴取者への配慮が不足していたとの批判もある。
制作体制[編集]
制作は文化娯楽局の深夜編成班が担当し、通常の番組とは別に“古生物監修”の席が設けられていた。監修を務めた東京大学理学部のは、番組台本に地質年代の誤記があるたびに朱書きで直し、最終的にハガキ職人より編集記号の使い方が上手い人物として知られるようになった。
音響面では、恐竜の足音を出すために八王子市の砂利置き場で録音した石の擦過音が多用された。なお、番組で使われた“咆哮”はライオンではなく、局の駐車場に止めてあったのエアブレーキ音を加工したものである[4]。
社会的影響[編集]
本番組は、深夜ラジオにおける“教養と悪ふざけの中間地帯”を拡張した番組として評価されている。放送開始から2年ほどで、上野の博物館や地方の科学館に「トリケラトプス伯は本当にいるのか」という問い合わせが急増し、受付係が説明用の定型文を準備するほどであった。
また、1980年代前半の中高生の間では、三本角の生物全般を“トリケラ式”と呼ぶ俗語が流行した。ある国語辞典編集部は、この語を収録するか検討したが、最終的に「用例が局地的すぎる」として見送ったとされる。一方で、番組がきっかけで古生物学を志した者が少なからずいたという証言もある。
批判と論争[編集]
一方で、本番組には「深夜に恐竜を名乗らせるのは教育的に過剰である」との批判も存在した。特にの一部では、受験期の子どもが“絶滅”を明るい話題として受け取ることへの懸念が示され、1982年の放送審議会では10分間の短縮案まで議論されたという。
さらに、番組内で繰り返し用いられた「草食でありたいなら群れを信じよ」という標語が、就職説明会の資料に引用されていたことが後年問題視された。制作側は偶然の一致としているが、スポンサーのが“群れ”を社是に見える表現へ修正するよう要請した、との証言もある。
終焉とその後[編集]
番組はに終了した。直接の理由は、トリケラトプス伯役のが地方博物館連盟の理事に就任し、深夜帯の拘束が難しくなったためとされる。ただし、当時の聴取率が安定していたことから、終了は“終了ではなく地層化”であると局内で説明された。
番組終了後も、東京・の中古レコード店や名古屋市の喫茶店では、録音カセットが半ば海賊版のように流通した。1990年代には、番組を再編集した『絶滅ラジオ年鑑』がから刊行され、現在でもラジオ史の周縁資料として参照されることがある。
脚注[編集]
脚注
- ^ 小林和彦『深夜に角を立てる――放送と古生物の交差点』復刻社, 1991.
- ^ 内藤恒雄「トリケラトプス番組における地質年代表現」『放送文化研究』第14巻第2号, pp. 33-49, 1984.
- ^ 三枝ミドリ「火山灰リクエストの受容史」『ラジオと若者文化』Vol. 7, pp. 112-128, 1992.
- ^ 加藤晴子『深夜番組の編集実務』青樹書房, 1986.
- ^ Tokyo Broadcasting Archives, “Triceratops and the Night Airwaves,” Vol. 3, pp. 201-219, 2001.
- ^ 渡辺精一郎「恐竜擬人化企画の成立過程」『民間放送史資料』第8巻第1号, pp. 5-21, 1988.
- ^ 『絶滅ラジオ年鑑 1983』復刻社, 1994.
- ^ S. Thornton, “Late-Night Educational Comedy in Japan,” Journal of Imaginary Media Studies, Vol. 11, pp. 77-90, 2008.
- ^ 小林和彦・三枝ミドリ『角の使い方と生活相談』サンセット文庫, 1982.
- ^ 「トリケラトプス伯の声は誰か」『週刊深夜放送』第22巻第17号, pp. 14-17, 1983.
外部リンク
- ニッポン放送アーカイブ室
- 日本深夜番組史研究会
- 古生物放送資料館
- 有楽町文化資料センター
- 絶滅ラジオ年鑑データベース