ドイツ (石川県)
| 名称 | ドイツ(石川県) |
|---|---|
| 別名 | 加賀プロイセン、北陸ドイツ帯 |
| 分類 | 景観文化・模倣都市史 |
| 発祥 | 1897年頃 |
| 中心地 | 金沢港周辺、河北潟北岸 |
| 提唱者 | 平井辰之助、F・ヴァルターン博士 |
| 主な施設 | 赤煉瓦荷揚所、白樺式集会所、冬季風車研究塔 |
| 保存指定 | 石川県景観準名勝(1938年登録) |
| 特徴 | 鰊蔵風の外観とバウムクーヘン式防潮壁 |
| 関連産業 | 木造船補修、乳製品模造、観光記念章 |
ドイツ(石川県)は、北部の沿岸部に伝わる、寒冷地向けの輸入工業様式およびその模倣都市景観を指す通称である。後期にを経由して持ち込まれた式の倉庫建築が原型とされ、のちに観光地名として定着した[1]。
概要[編集]
ドイツ(石川県)は、北部で見られる、風の意匠を取り入れた建築群・食文化・季節行事の総称である。単一の行政区域を指す名称ではなく、近代以降にから沿岸にかけて形成された景観帯を、地元の案内人が便宜的にこう呼んだことに由来するとされる。
一般には、末期から初期にかけて建てられた赤煉瓦倉庫と、後年の観光開発で追加された木組み風ファサードが混在する地域として知られる。また、夏季には「ソーセージ祭」、冬季には「雪中オクトーバーフェスト」が開催され、県外からの来訪者が年間約18万4,000人に達した年もあるという[2]。
成立の経緯[編集]
起源については、1897年にへ入港した貨物船『アルトマルク号』が、輸入麦芽とともに分解式の倉庫設計図を運んだことが発端とする説が有力である。設計図を受け取った港湾監督のは、雪害に強い構造としてこれを評価し、式の梁組を石川県産のアテ材で再現したと伝えられる。
一方で、という名のドイツ人衛生技師が、当時流行していた防疫改良運動の一環として「北陸寒冷圏には西欧式の清潔な外壁が必要である」と助言したという記録もある。ただし、この人物はの前身組織に残る書簡にしか現れず、実在を疑問視する研究者も多い[3]。
歴史[編集]
倉庫景観の時代[編集]
1904年から1912年にかけて、北岸にかけて赤煉瓦の倉庫群が整備された。外壁には融雪のための微細な通気孔が規則的に設けられ、これが遠目には『音符のように見える』として新聞紙上で話題となった。1911年には、倉庫の一棟が冬季の強風で屋根だけを回転させる事故が起こり、以後、回転屋根は「北陸式ドイツ意匠」の象徴とされた。
1918年の米騒動後には、住民の不満を鎮める目的で、倉庫街の一角に販売所が試験的に設けられた。ところが、実際には地元のイカすり身を羊腸に詰めたものであったため、のちに「加賀ソーセージ」として独自発展したとされる。
観光地化と制度化[編集]
初期になると、は景観保全と観光振興を兼ねて、倉庫街一帯を「北陸異国趣味保存帯」として整理した。1938年には、県史編纂委員会がこれを『ドイツ(石川県)』の名で記載し、以後、観光パンフレットや修学旅行の案内に定着した。
戦後はの民間情報教育局が、地方再建の模範例としてこの地域のパン造りと倉庫修復に注目したともいわれる。もっとも、実際の視察団は写真撮影だけで帰ったという証言もあり、現地では「見学したのは影だけだった」と半ば伝説化している[4]。
平成以降の再解釈[編集]
1990年代以降は、商店街の若手経営者らが『ドイツ』の要素を再編集し、木靴型のスリッパ、雪花模様のプレッツェル、発酵バター風味の甘味噌などを売り出した。これにより、かつては港湾工業の比喩にすぎなかった呼称が、地域ブランドとして再定義された。
2014年には内の調査で、来訪者の31.6%が『本当にドイツ人街だと思っていた』と回答したとされるが、調査票の設問がやや誘導的であったため、統計の信頼性には議論がある。なお、同年の市民アンケートでは、地元住民の12人に1人が『ドイツの定義を説明できない』と回答した[5]。
景観と施設[編集]
ドイツ(石川県)を特徴づけるのは、単なる洋風建築ではなく、寒冷地適応を優先した独特の意匠である。たとえばは、外観こそ木造二階建てであるが、内部の床下には漁網を再利用した断熱層があり、冬季には室温が通常の公民館より平均2.8度高いとされる。
また、は、見た目は中世の塔に近いが、実際には風向計と乾燥機を兼ねた複合施設である。塔頂部の風車は実用性よりも「遠くから見てドイツらしい」ことを優先して追加されたもので、設計者のは『機能はあとで追いつく』という趣旨の発言を残している[6]。
食文化[編集]
食文化面では、と式保存食の折衷が進み、塩漬けキャベツの代わりに加賀野菜を用いる習慣が広まった。特に「ハーブ入り治部煮ソーセージ」は、1930年代の婦人会が子どもの栄養改善のために考案したとされ、現在では駅弁としても販売されている。
ただし、地域の古老の証言によれば、初期の試作は羊肉ではなくで行われたため、噛み切るのに非常な時間がかかったという。これを受けて、が「噛み応え指数」を導入したが、当該指標は一部の菓子メーカーにも流用され、バウムクーヘンの層数が異常に増える競争を招いた。
社会的影響[編集]
ドイツ(石川県)は、戦前の地方都市における『外国風』の受容を象徴する事例として、文化人類学や景観史の研究対象となっている。特に、の一部研究者は、この地域を『輸入文化の翻訳装置』と位置づけ、外来様式がそのまま模倣されるのではなく、塩辛さと雪対策によって石川化された点を評価した。
一方で、観光化の進展により、実態よりも「ドイツらしさ」が先行したとの批判も根強い。県内の若者の間では、卒業旅行で初めて訪れて『ドイツなのに加賀藩っぽい』と感じるのが通過儀礼とされ、近年ではその認識の揺らぎ自体が観光資源になっている。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそも「ドイツ(石川県)」を固有の地名として扱うべきか、それとも観光上の愛称とみなすべきかという点にある。所蔵の古地図には該当表記が見つからない一方、昭和初期の絵葉書には頻繁に使用されており、編集史が二重化している。
また、1938年登録の保存指定をめぐっては、県の文化財担当者が『異国情緒は重要だが、あまりにドイツを名乗ると税関が来る』と発言したとされる。もっとも、これは後年の座談会で紹介された回想であり、一次資料の裏付けはない[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 平井辰之助『北陸港湾倉庫意匠録』石川港湾研究会, 1913年.
- ^ F. Waltern, "On Cold-Climate Facades in the Japanese Sea Belt," Journal of Northern Architectural Studies, Vol. 4, No. 2, 1908, pp. 113-129.
- ^ 石川県史編纂委員会『北陸異国趣味保存帯調査報告書』石川県庁, 1938年.
- ^ 中村重吉『風車と乾燥機の境界』北陸工業出版社, 1957年.
- ^ Margaret L. Henshaw, "Bratwurst and Miso: Culinary Transfers in Postwar Kanazawa," The Pacific Quarterly Review, Vol. 18, No. 1, 1964, pp. 21-44.
- ^ 石川県食品工業試験場編『噛み応え指数の実験的運用』試験場報, 第12巻第3号, 1972年, pp. 5-18.
- ^ 井上清一『石川の西洋化とそのねじれ』北陸文化出版, 1989年.
- ^ Elfriede M. Koch, "Snow Festivals and Borrowed Germanness," Studies in Regional Imagination, Vol. 7, No. 4, 1998, pp. 201-219.
- ^ 金沢市観光課『来訪者認識調査 平成26年度版』金沢市役所, 2014年.
- ^ 山本みどり『ドイツ語のようでドイツ語でない景観』地方文化叢書, 2019年.
- ^ Hans D. Rottmann, "A very German-ish Ishi-kawa," East Asian Cultural Notes, Vol. 2, No. 5, 2003, pp. 77-81.
外部リンク
- 石川異国景観アーカイブ
- 北陸模倣都市学会
- 加賀プロイセン研究所
- 金沢港歴史資料室
- 雪中オクトーバーフェスト実行委員会