ドブカス
| 名称 | ドブカス |
|---|---|
| 読み | どぶかす |
| 英語 | Dobukasu |
| 初出 | 1928年頃 |
| 発祥地 | 東京都・本所区一帯 |
| 分類 | 排水調整技術、都市民俗 |
| 主な普及期 | 1950年代 - 1970年代 |
| 関連機関 | 日本排渠研究会、関東側溝協議連合 |
| 特徴 | 泥分を含む水流を緩衝材として再利用する |
ドブカスとは、都市下水の流れを人工的に均質化するために用いられた、民間主導の排水調整技術およびその周辺文化を指す語である。特に下町部の細街路網で発達したとされ、のちに系の研究会資料で半ば公的に扱われた[1]。
概要[編集]
ドブカスは、側溝・暗渠・仮設水路の底部にたまる沈殿泥を、あえて完全には除去せず、流速の変動を抑える「重み」として用いる発想から生まれたとされる。通常の清掃工法が衛生と景観の回復を目的とするのに対し、ドブカスは水の勢いを鈍らせ、路地の浸食や逆流を減らすことを狙った点に特色がある。
この技術は、戦前のやのような低地において、町会の清掃係と樋職人が経験的に組み上げたもので、当初は「泥を残す変わった掃除法」として半ば揶揄されていた。しかし、後の再整備期において、仮設下水の詰まりを逆に安定化させる手法として注目され、以後はの周辺でも断片的に記録されたとされる[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については諸説あるが、もっとも有力とされるのは、3年の夏に柳島町の魚問屋が、豪雨であふれた側溝へ大量の木灰を流し込んだところ、泥がほどよく固まり、翌日の悪臭がかえって軽減したという逸話である。これを見た樋職人の渡辺精一郎が、木灰・砂・汚泥を一定比率で混ぜる手法を整理し、「ドブカス配合」と呼んだとされる。
なお、「ドブカス」の語源については、ドブの底にたまる粕状のものを意味するという説と、の下宿屋で使われた隠語が転じたという説がある。ただし、1920年代末の縮刷版に同語がすでに確認できるとの指摘もあり、初期の俗語として先行していた可能性が高い。
制度化[編集]
1954年、の分科会である「都市低地流量班」が、ドブカスを側溝保全の準標準法として整理したことで、民間慣行は半ば制度化された。同年に配布された内部資料『低地水路における沈殿層の機能的保留』では、泥層の厚さを1.8センチから4.2センチの範囲に維持することで、降雨時の流速変化が最大17%抑制されるとされている[3]。
この数値はのちに「やけに精密すぎる」と批判されたが、当時の調査員が竹尺と自転車用メーターを併用して記録したためであると説明されている。実際には、雨上がりの路面が滑りやすくなる時期に、ドブカス層が摩擦を増やすことで児童の転倒が減ったとする町会報告があり、の一部では学校連絡帳にも注意喚起が載った。
普及と衰退[編集]
1960年代には、の外郭団体が行った「側溝の音環境調査」において、ドブカス層が金属板の共鳴を抑えることが示唆され、公共事業の一部で試験採用が進んだ。とくにからにかけての旧水路沿いでは、町工場の排水が急増したため、完全清掃よりも緩衝層を維持する方が合理的だと判断されたのである。
一方で、1970年代後半になると衛生観念の変化と機械式吸泥車の普及によって、ドブカスは急速に姿を消した。だが、完全に廃れたわけではなく、豪雨のたびに「昔の路地には必要だった」と語る元町会長が現れ、の一部では平成期に入っても年1回だけ、非公式に“保守的ドブカス”が実施されていたという。
技術的特徴[編集]
ドブカスの中核は、沈殿物を単なる汚れとして除去せず、粒径の異なる泥・砂・灰を層状に残す点にある。これにより、排水路内の急激な渦発生を抑え、落ち葉や紙片が奥まで流れ込みすぎるのを防ぐと説明される。
また、熟練者は路地ごとに「鳴り」を聞き分け、側溝の底で水が金属的に響く場合にはカキ殻粉を少量混ぜた。これは音の反響を鈍らせる効果があるとされ、の古い商店街では、夕方の清掃時に耳を澄ますのが職人の作法だったという。なお、配合を誤ると逆にヘドロ化が進み、翌日には子どもが「沼のにおい」と呼んで避けたため、技術継承には相当な勘が必要であった。
社会的影響[編集]
ドブカスは単なる排水技術にとどまらず、町会の共同作業や近隣関係の再編にも影響した。清掃はしばしば早朝5時30分に始まり、当番は竹箒の本数まで記録されたため、結果として地域の自治能力を可視化する装置のように機能したのである。
また、戦後の復興期には、物資不足のなかで「完全にきれいにしない」知恵として再評価され、の前身機関に勤めた技師の一部が、暗にこれを模範として引用したともいう。もっとも、衛生局側からは「説明のつかない泥の温存」として嫌われ、会議では毎回、推進派と清掃純化派が30分以上も言い合いになったと記録されている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に衛生上の不安である。とくに1958年の夏、沿いの一部地区でドブカス層の湿り気が原因とみられる小規模なハエの発生があり、町内掲示板に「泥を愛しすぎるな」と書かれた張り紙が出た[4]。これは現在でも、ドブカス論争を象徴する逸話として引用される。
第二に、技術の定義があまりに曖昧である点が問題視された。採用基準が「流れが静かに見えること」「臭気が強すぎないこと」「老人が納得すること」など感覚的なものに寄っていたため、地区ごとにやり方が違いすぎたのである。なお、1971年の年次大会では、ある発表者が「ドブカスは工学ではなく倫理である」と述べ、会場が妙に静まり返ったとされる。
研究[編集]
学術研究[編集]
1980年代以降、やの一部研究室では、ドブカスを都市水文学と民俗技術の交点として再評価する試みが行われた。とくに小池義昭らの研究チームは、旧来の側溝写真284枚をもとに、泥層の厚さと流速の関係を再現したと報告している。
この研究では、ドブカスが実際の水処理効果よりも、住民が「流れを管理している」という感覚を与える社会技術として重要であった可能性が指摘された。また、の収蔵庫に残る木箱のラベルから、当時の標準工具に「反省箒」と呼ばれる特殊な箒が含まれていたことが確認されたという。
文化的再解釈[編集]
2000年代に入ると、ドブカスはアートや地域史の文脈で再解釈されるようになった。特にの地域展では、泥の層を季節で可変させるインスタレーションが展示され、来場者の間で「これが本来の路地の匂いだったのか」と話題になった。
一方で、若年層の中には、ドブカスを「昭和のローテク美学」として面白がる向きもあり、SNS上では側溝の写真に「#ドブカス保守」と付ける投稿が一時流行した。もっとも、古参の技師からは「流行語にするものではない」と苦言が呈されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『低地排水における沈殿層保留法』関東土木出版社, 1955.
- ^ 小池義昭・高見沢照夫「都市側溝における泥層緩衝効果」『都市水文学研究』Vol.12, No.3, pp. 44-67, 1984.
- ^ 佐伯みどり「本所区清掃慣行とドブカスの形成」『民俗と衛生』第7巻第2号, pp. 18-39, 1972.
- ^ Department of Civic Drainage Studies, Tokyo Metropolitan Report on Subsurface Flow Stabilization, Vol. 4, pp. 201-233, 1961.
- ^ 中村善四郎『路地の音響環境と側溝管理』東都学術出版社, 1968.
- ^ 田所久美子「沈殿物を用いる都市維持技術の比較研究」『環境技術史紀要』第19巻第1号, pp. 5-31, 1991.
- ^ 関東側溝協議連合編『第22回年次大会要旨集』関東側溝協議連合, 1971.
- ^ Margaret A. Thornton, “Functional Retention of Silt in Urban Channels,” Journal of Applied Civic Hydrology, Vol. 9, No. 1, pp. 73-88, 1976.
- ^ 日本排渠研究会都市低地流量班『低地水路における沈殿層の機能的保留』内部資料, 1954.
- ^ 東京工業大学都市環境研究室『ドブカス層の再現実験とその倫理的含意』研究報告書, 2002.
- ^ 石井良一『泥を愛しすぎるな—昭和側溝史ノート—』港南出版, 1979.
外部リンク
- 日本排渠研究会アーカイブ
- 東京路地民俗資料館
- 関東側溝協議連合デジタル年報
- 都市水文学仮設研究センター
- 墨田区下町生活史コレクション