ドラグレスク
| 分野 | 言語学/演劇/パフォーマンス研究 |
|---|---|
| 成立時期 | 19世紀末(とする説) |
| 中心地域 | —回廊(とされる) |
| 代表的構成要素 | 沈黙記号・視線角度・速度階調 |
| 主な用途 | 公開朗読、路上交渉、討論会の鎮静化 |
| 典型的長さ | 7〜11分(慣例的範囲とされる) |
| 伝承団体 | ドラグレスク協会(旧称あり) |
| 関連概念 | 間(ま)の工学、沈黙規範 |
ドラグレスク(どらぐれすく、英: Dragresque)は、言語学と演劇史の境界に位置するとされる、即興的な語り芸の様式である。発話の速度・沈黙の長さ・視線の角度を「記法」として共有する点が特徴とされる[1]。
概要[編集]
ドラグレスクは、話者の感情を直接説明せず、間(ま)とリズムによって聞き手の解釈を誘導する語り芸として説明されている。特に、沈黙の「秒数」や視線の「角度(度数)」を、参加者同士で半ば儀礼的に共有する点が学術的注目の対象とされている[1]。
また、ドラグレスクが「即興」であるにもかかわらず、記法が厳密であることがしばしば指摘される。記法は紙の台本ではなく、会場の反響や照明の色温度を加味した“身体パラメータ表”として伝えられたとする説がある。なお、この身体パラメータ表は、当時の劇場技師が計測した値(小数点以下2桁まで)を基にしたとされるが、真偽は定められていない[2]。
20世紀後半には、ドラグレスクの技法が討論の場に応用され、対立を「勝敗」ではなく「編集」へ移行させる試みとしても言及されている。具体的には、相手の発話を遮らずに沈黙を挟むことで、聞き手が状況を再構成する余地を残すと説明される[3]。
語源と概念の整理[編集]
名称の由来については諸説があり、「drag(引きずる)」と「-resque(描写の装飾)」を組み合わせた造語であるとする説がある。一方で、実際にはの語幹ではなく、1900年頃の劇場裏方の隠語をもとにした俗説もある[4]。
概念的には、ドラグレスクは「言語」と「身体」の境界に立つものとして整理される。言語学的には、語順そのものよりも、発話のタイミングが意味生成に寄与すると考えられ、演劇史的には、朗読が舞台装置化されたものとして位置付けられている[5]。
さらに、ドラグレスクの沈黙は単なる休止ではなく、聞き手が“理解の切り替え”を行うための手続きであるとされる。とくに、沈黙を0.8秒刻みで設計する「八分子(はっぶし)」というローカル慣行があったとする報告が残っており、学会では「そこまで細かい必要があるのか」と半ば呆れられたという[6]。
この細かさが、逆説的に社会的な影響へ繋がったとも説明される。言葉による説得が失敗したとき、沈黙記号が“次の発話への許可”として機能し、集団内の圧力が分散されたとされるのである[7]。
沈黙記号(記法体系)[編集]
沈黙記号は、話者の“止まり方”を表す記号である。代表例として「∿(なみ)」は引き延ばし型、「□(しかく)」は停止保持型、「—(ダッシュ)」は再開誘導型とされ、記号ごとに推奨角度と秒数が添えられたと説明される[8]。もっとも、どの記号がいつから使われたかは資料の整合が取れず、編集者によって記述が揺れている点が指摘されている[9]。
速度階調と視線角度[編集]
速度階調は、単語ごとの発話速度に段階を設ける考え方で、視線角度は聞き手の“反応準備”に合わせて移動させるとされる。たとえば、の試験講座では「1分あたり平均112.7語」かつ「視線角度は水平から17.3度上」に固定したという講義録が残っている[10]。ただし、後に別の講師は「角度は劇場の天井反射で変わるので、17度台は単なる目安だ」と述べており、矛盾が残っている。
歴史[編集]
発生の前史:ベルリンの“朗読計測工房”[編集]
ドラグレスクの成立は、19世紀末のにある朗読計測工房「Rhinow刻印室」(りのうこくいんしつ)に遡る、とする説が多い。ここでは、俳優の声帯だけでなく、床材や壁の吸音率を含めた“反響モデル”が作られ、朗読が工学的に再現できると考えられた[11]。
刻印室の中心人物として、劇場技師の(Hermann Zeipht, 1871-1942)や、官庁の音響調査官を兼ねた(Elisa Volkswald, 1878-1939)が名を挙げられている。特にフォルクスヴァルドは、沈黙を“統計的に説明可能な現象”として扱うよう求めたとされる[12]。
この工房が、のちにドラグレスクの「沈黙記号」を体系化する動機になったと考えられている。ある記録では、公開実験の参加者が合計「214名」、うち「再現成功」は「137名(成功率64.0%)」であったとされる[13]。ただし、その成功の定義が“聞き手が笑いを我慢できたか”だったとする注釈が見つかっており、学術的には不適切だとして議論になったと伝えられる。
公的認知:ウィーンの“討論会設計局”[編集]
第一次世界大戦後、ドラグレスクは直接的な政治対話の場へ流入したとされる。1921年、の残務を引き継ぐ機関として、に「討論会設計局(Debatten-Planungsamt)」が置かれたとする資料があり、そこでは“言い負かし”ではなく“合意の編集”を促す技法が必要とされた[14]。
討論会設計局の文書では、ドラグレスクを「発話の断片化を抑え、聞き手の解釈負荷を均す手続き」と記しているとされる。ここで重要だったのは、沈黙が単なる休止でなく、聞き手側の「再解釈タイミング」を固定する役割を担う、という整理である[15]。
しかし、社会がドラグレスクを採用するほどに、別の問題も表面化した。すなわち、沈黙を熟知した話者が“沈黙による支配”を行えるのではないか、という疑念である。実際、1926年の議会外委員会で「沈黙が長い側が正しい」という誤解が広がった、と報告されている[16]。
日本への流入:港湾都市の朗読サイネージ[編集]
ドラグレスクがに紹介されたのは、戦後の港湾都市であるの文化イベント「反響夜会」だったとされる。主催は「神戸反響計測委員会」(実務者向け名称)で、現場の照明技師がベルリンで見た“沈黙記号の床反射”を再現しようとしたことがきっかけになったとされる[17]。
この夜会では、読み上げの前に「沈黙を3回入れると、参加者のうち61%が物語の結末を先読みする」といった掲示が用意されたという記録が残る[18]。ただし、この掲示が科学的かどうかは曖昧で、後年の運営者は「先読み率というより、緊張で目が泳いだ人が多かっただけ」と証言したとされる。
結果として、ドラグレスクは“言葉の上手さ”ではなく“場の設計”として理解されるようになり、教育現場では「話す前に間を作る」という簡潔な形に折りたたまれて普及したと推定されている[19]。
具体的事例とエピソード[編集]
ドラグレスクの技法が最もドラマチックに語られるのは、路上交渉や即興の読み上げにおける“失敗の美しさ”であるとされる。とくに有名なのは、1934年ので行われた「バス停会議」である。雨天のためマイクが故障し、参加者は声量で競い始めたが、司会者が沈黙記号「∿」を入れると、なぜか全員が同じタイミングで笑いを堪えたと報告されている[20]。
この会議録は、沈黙が「0.0秒」から始まったとする妙な注釈を含む。つまり、最初は沈黙がないように見えたが、実際には“聞き手の呼吸が揃った瞬間”を沈黙0.0秒と呼んでいた、という記述である[21]。学会では「時間の測定というより、儀礼の命名だ」と指摘された一方で、当事者は「0.0秒は“やる気がゼロの沈黙”」だったと語ったとされる。
また、1998年にはで開催された即興朗読イベントに、ドラグレスク協会の若手講師が招かれた。会場は「音が反射しやすい改装直後」で、視線角度が安定しない参加者が続出したという。そこで講師は“角度17度台”を諦め、代わりに参加者全員の身長差を基準に視線を合わせる「人体水平補正」を導入したとされる[22]。
この結果、参加者からは「言葉は覚えていないのに、緊張がほどけた」という評価が相次いだ。もっとも、その評価の集計方法は「参加者が帰り際に涙を拭った回数」だったとする噂もあり、統計学者からのツッコミが入ったとされる[23]。
批判と論争[編集]
ドラグレスクには、技法が“操作”に転化する危険があるとして批判がある。沈黙や視線角度が規範化されるほど、話者の意図よりも形式が優先され、聞き手が自律的に解釈する余地が減るのではないか、という論点である[24]。
また、起源に関しても論争がある。ベルリン刻印室説に対し、「実は先にの朗読教室で作られた」と主張する研究者がいる。彼らは、1930年代に残った「沈黙記号の試作品スケッチ」がウィーンの劇場倉庫で見つかったとしているが、鑑定結果は“似ているが決定打に欠ける”と評されている[25]。
さらに、一部の教育現場ではドラグレスクが形式的な“黙り”へ還元されたとも指摘される。沈黙を入れること自体が目的化し、意味の編集が起きないケースが報告されたのである[26]。この問題に対して協会側は、「ドラグレスクは沈黙の総量ではなく、再開の設計である」と説明しているが、現場の運用が追いつかないという反論もある。
このような批判の中で、ドラグレスク協会は2007年に指針を改訂したとされる。改訂版のスローガンは「沈黙は壁ではなく、橋である」であったと記されるが、橋の材質を“石膏”としたか“木”としたかで意見が割れたという[27]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Margaret A. Thornton「Silence Notation in Improvised Recitation: The Dragresque Case」『Journal of Performance Linguistics』Vol.12 No.3, 2014, pp. 41-63.
- ^ 【ヘルマン・ツァイプト】「Rhinow刻印室における反響モデルと間の記法」『劇場技師叢書』第4巻第2号, 1938, pp. 88-121.
- ^ Elisa Volkswald「Debatten-Planungsamtの提案文書と“編集としての沈黙”」『ウィーン語用論年報』Vol.7, 1924, pp. 9-37.
- ^ 岡部練太郎「沈黙記号の再現性と“人体水平補正”の試み」『日本言語行為学研究』第19巻第1号, 2001, pp. 113-145.
- ^ Siegfried Knaus「Ocular Angle Thresholds in Stage-Reading: A Reappraisal」『International Review of Dramatic Studies』Vol.22 No.1, 1989, pp. 201-219.
- ^ 田中瑛介「港湾都市における朗読サイネージとドラグレスク的受容」『反響都市文化史』第3巻第5号, 2010, pp. 55-79.
- ^ クララ・ベーメル(著)『沈黙は橋である:ドラグレスク協会指針の成立』ベルリン書房, 2008, pp. 12-44.
- ^ “Dragresque協会内報(改訂版)”『沈黙と再開の設計資料集』第1集, 2007, pp. 3-20.
- ^ 王立劇場技術研究所「反響夜会の音場計測報告」『港湾劇場技術報告』第11号, 1963, pp. 77-102.
- ^ (タイトルがやや不自然)佐藤正道「ドラグレスクの起源はゼロ秒にある」『音と言葉の怪談学』学術文庫, 2016, pp. 1-23.
外部リンク
- Dragresque協会アーカイブ
- 討論会設計局デジタル文書館
- 反響夜会記録データベース
- 沈黙記号研究フォーラム
- 人体水平補正事例集