ナカスディア
| 名称 | ナカスディア |
|---|---|
| 分野 | 都市工学、港湾統計、夜間経済管理 |
| 初出 | 1912年ごろ |
| 提唱者 | 黒田 省三、Margaret L. Henshaw ほか |
| 主な実施地域 | 福岡市、北九州市、長崎市、下関市 |
| 主な方式 | 潮位板式、灯火密度式、屋台回転率式 |
| 用途 | 港湾混雑の緩和、歓楽街の導線設計、臨時市場の配置 |
| 衰退 | 1978年以後、電子式交通管理へ移行 |
| 現在の扱い | 一部自治体の観光史資料として保存 |
ナカスディア(Nacathdia)は、の港湾都市圏で発達したとされる、仮設演算塔と潮位記録を組み合わせた都市計画技法である。のちにを中心に普及し、夜間経済の管理指標としても用いられたとされる[1]。
概要[編集]
ナカスディアは、港湾都市における人流と潮汐の重なりを可視化するために考案された、半統計・半儀礼的な都市管理技法である。一般には周辺の歓楽街整備から発展したとされるが、実際には末期の税関職員と測量技師が、夜間の屋台移動を記録するために編み出した簡易座標法が母体であったとされている。
名称は「中洲の地図」を意味するという俗説が強い一方で、の“nacath”が「波の切れ目」を意味する古港湾語であるという説もあり、学術的には決着していない。ただし、いずれの説も後年の講演録で互いに混同され、結果として「ナカスディア」という語自体が、都市の秩序と混沌を同時に示す符号として流通した点は共通している。
成立史[編集]
前史と港湾測量[編集]
ナカスディアの前史は、にで行われた臨時測量にさかのぼるとされる。ここで所属の測量補助官・黒田省三は、潮位の変化に応じて市場の開閉時刻が毎日ずれることに注目し、港の「混雑」を単なる交通問題ではなく、月齢と照明に依存する現象として扱うべきだと主張した。
彼は、干潮時にだけ現れる波止場の空き地を「余白区」と呼び、そこへ仮設店舗を置くと売上が平均17.4%上がると記録した。この数値は後年の検証でかなり怪しいことが判明したが、の講義録にそのまま採録されたため、長く定説のように扱われた[2]。
福岡市での制度化[編集]
、黒田はの有志とともに「中洲夜間交通整理試験区」を設置した。ここで用いられたのが、屋台の密度を灯火数で測る「灯火密度式」と、酒場客の滞留時間を算木で推計する「算木回転率式」である。
試験区は当初、の一角に設けられた幅27メートル、長さ84メートルの細長い区域で、午後8時から午前2時までの人流を30分ごとに黒板へ転写していた。なお、転写係の多くが筆記を途中で飽き、潮位だけが異様に正確だったことから、後に「ナカスディアは統計ではなく忍耐の学問である」と評された。
国際交流と拡張[編集]
代には、英国人都市計画家のマーガレット・L・ヘンショーがでの講演に参加し、ナカスディアを「港湾都市の夜を読む方法」と紹介した。彼女は帰国後、の埠頭設計に応用したとされるが、現存する設計図には中洲名物の屋台配置だけが妙に詳しく描かれており、研究者の間で長く議論の的となっている。
この時期、ナカスディアはやにも波及し、歓楽街の照度、路面の湿度、警察の巡回回数を同じ図面に重ねる「三層記録法」が流行した。もっとも、三層のうち一層目がほぼ飲食店の広告で占められていたため、実務上は都市管理というより商業カタログに近かったとする指摘もある。
技法[編集]
ナカスディアの基本は、都市を固定的な区画ではなく、潮汐・灯火・客足の三要素で毎晩再定義する点にある。実施者はまず木製の観測板に潮位線を引き、次に電灯の数を朱色の点で打ち、最後に屋台の「回転率」を1.0から4.8までの係数で記入した。
このとき用いられた係数は庁内で独自に整理され、夜店の移動が多い区域は「A-3」、酔客の残留が長い区域は「B-7」などと分類された。特に「C-12」は、深夜にだけ現れる仮設将棋台と射的場が重なる地点を指し、実務担当者のあいだでは「人が減らないのではなく、減ったように見えない」と説明されていた。
また、ナカスディアには儀礼的側面もあった。毎月第一土曜には、港の関係者がの方角へ向けて観測板を掲げ、前月の混雑を「流す」ために白い布を結ぶ慣習があったとされる。これは公的記録には残っていないが、旧商店街の聞き取り調査では、少なくとも三世代にわたり続いたと証言されている。
社会的影響[編集]
ナカスディアは、単なる都市管理技法にとどまらず、戦前の港湾文化に特有の「夜を測る」感覚を定着させたと評価されている。これにより、屋台組合は営業開始時刻を潮位に合わせて調整し、警察は巡回の強弱を灯火密度に応じて変えるようになったため、結果として周辺の夜間秩序は一時的に安定したとされる。
一方で、過度に細分化された分類は住民から反発も受けた。とくにに導入された「酒場発話量指数」は、客の会話量を店外から数えるという乱暴な方式で、常連客の間では「一杯飲むたびに役所へ報告される」と揶揄された。実際には報告書の大半が空欄であったが、空欄の多さ自体が「静かな繁盛」を示すと解釈され、かえって制度は延命した。
さらに、ナカスディアは観光振興にも利用された。戦後のでは、旧式の観測板が「港の近代化遺産」として再利用され、観光案内図の背景模様に採用された。これにより、観光客は知らぬ間に「潮位板式」の一部を踏み越えて歩くことになり、ガイドが毎回「そこは記録上まだ水面です」と説明するのが名物となった。
批判と論争[編集]
ナカスディアをめぐっては、創始者問題が長く争われた。黒田省三単独説、福岡商工会議所協働説、さらにはから渡来した匿名測量師が原案を持ち込んだとする説まであり、どれも決定打を欠いている。とりわけに刊行された『港湾夜景統制論集』では、編集者が本文中の黒田の姓名を三か所だけ別人名に差し替えており、これが混乱に拍車をかけた[3]。
また、批判派はナカスディアが「数字に見せかけた風土記」であると主張した。たしかに、記録の一部には「屋台の移動速度は月見団子の売れ行きに比例する」といった、統計というより詩に近い文言が含まれている。一方で擁護派は、そうした曖昧さこそが港湾都市の実態を正確に映すと反論している。
なお、の市議会答弁では、ある議員がナカスディアの再導入を求めた際、担当課長が「現行の交通網は既にナカスディアより複雑である」と述べたとされる。この発言は議事録では一行で済まされているが、後年の回想録では課長が5分間にわたり潮位図の利点を熱弁したことになっており、ここでも史料間の齟齬が見られる。
終焉と再評価[編集]
電子化による衰退[編集]
後半になると、ナカスディアはによる交通予測に置き換えられ、木製観測板は次第に倉庫へ移された。特に、福岡港の再開発に伴って最後の常設観測所が撤去され、これをもって制度としてのナカスディアは終焉したとされる。
ただし、一部の屋台組合ではその後も独自に潮位表を用いて営業しており、現在でも雨の日にだけ「昔のナカスディア方式で開ける」と掲げる店が数軒残る。
観光史資料としての復活[編集]
以降、ナカスディアは地域史研究の文脈で再評価され、の企画展『夜を数える都市』で大きく紹介された。展示の目玉は、潮位線の引かれた複製板と、当時の担当者が使ったとされる煤けた鉛筆17本であった。
なお、展示解説の末尾には「本制度は都市工学史上きわめて独特であるが、実際にはかなり雑であった可能性が高い」と注記されていた。この一文が来館者の支持を集め、ナカスディアは「雑だが強い制度」として半ば神話化した。
脚注[編集]
[1] 福岡港湾史編集委員会編『中洲都市技法の形成』港湾文化出版、1987年。
[2] 黒田省三「余白区と夜間売上の関係」『九州帝国大学理工学報告』第12巻第3号、1914年、pp. 41-58。
[3] Margaret L. Henshaw, "Harbour Nights and Portable Grids," Journal of Urban Tide Studies, Vol. 4, No. 2, 1922, pp. 115-139。
[4] 福岡市役所都市史資料室『中洲夜間整理試験区報告書』1935年復刻版。
[5] 田中栄一『潮位と歓楽街の近代』博多新書、1968年。
[6] S. Kuroda and M. L. Henshaw, "On the Lamp-Density Index in Port Districts," Proceedings of the East Asian Municipal Planning Conference, 1921, pp. 9-27.
[7] 福岡市博物館編『夜を数える都市 展示図録』福岡市博物館、1998年。
[8] 山岸智彦「ナカスディア再考—空欄の統計学」『都市と港』第23巻第1号、2004年、pp. 3-21。
[9] 『港湾夜景統制論集』港湾統制社、1949年。
[10] C. R. Bellamy, "The Curious Case of Nacathdia in Western Wharf Design," The Municipal Review, Vol. 18, No. 7, 1956, pp. 201-219.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 福岡港湾史編集委員会編『中洲都市技法の形成』港湾文化出版、1987年。
- ^ 黒田省三「余白区と夜間売上の関係」『九州帝国大学理工学報告』第12巻第3号、1914年、pp. 41-58。
- ^ Margaret L. Henshaw, "Harbour Nights and Portable Grids," Journal of Urban Tide Studies, Vol. 4, No. 2, 1922, pp. 115-139.
- ^ 福岡市役所都市史資料室『中洲夜間整理試験区報告書』1935年復刻版。
- ^ 田中栄一『潮位と歓楽街の近代』博多新書、1968年。
- ^ S. Kuroda and M. L. Henshaw, "On the Lamp-Density Index in Port Districts," Proceedings of the East Asian Municipal Planning Conference, 1921, pp. 9-27.
- ^ 福岡市博物館編『夜を数える都市 展示図録』福岡市博物館、1998年。
- ^ 山岸智彦「ナカスディア再考—空欄の統計学」『都市と港』第23巻第1号、2004年、pp. 3-21。
- ^ 『港湾夜景統制論集』港湾統制社、1949年。
- ^ C. R. Bellamy, "The Curious Case of Nacathdia in Western Wharf Design," The Municipal Review, Vol. 18, No. 7, 1956, pp. 201-219。
外部リンク
- 福岡港湾史アーカイブ
- 中洲夜間資料館デジタル展示
- 港湾都市技法研究会
- 夜を数える都市 企画展記録
- 東アジア都市潮位資料センター