ナニシニキタン
| 分類 | 擬似方言句(来訪意図の表現) |
|---|---|
| 主な用法 | 会話内での牽制・照会・茶化し |
| 初出とされる資料 | 『棚卸し語彙報告 第4号』 |
| 伝播の中心地域 | 青森県北東部(とされる) |
| 関連慣行 | 即席の名乗り直し・門口の儀礼 |
| 使用感の特徴 | 語尾が問い返し調に転じやすい |
| 現代での扱い | ネットミーム/創作語の一種 |
| 論争点 | “出典が実在するか”と“復元の手法” |
ナニシニキタン(なにしにきたん)は、ある種の“来訪の意図”を言語化するために使われたとされる擬似方言句である。主に後半の地方民俗資料の引用を起点として広まり、現在はネット上の語感遊びとしても扱われる[1]。
概要[編集]
ナニシニキタンは、「何をしに来たのか」を短く圧縮して投げ返す言い回しとして説明されることが多い。もっとも、資料によっては「何のために来たのか」を問う牽制だけでなく、相手の来訪を“ひとまず受け止める”柔らかな儀礼としても描写されている。
成立の経緯は、を収集する活動の過程で“口承が崩れて聞こえる部分”を再構成する手法が一般化したことにあるとされる。特にに実施されたと伝わる方言採集の巡回調査では、標準語化できない語尾の揺れが記録の混乱を招き、結果としてこの句が“誤って一塊の語として固定された”可能性が指摘されている[1]。
一方で、あたかも古い法則のように語感が定着したことから、のちに「招かれた人」「訪問の荷物」「来訪の時間帯」などをまとめて判断する“簡易判定語”として、半ば遊戯的に運用されたとも言われる。
用法と特徴[編集]
基本的な文脈(会話内)[編集]
ナニシニキタンは、来訪者に対してまず“目的の確認”を行う場面で使われたと記録されることがある。聞き手は相手の名乗りを一度受け取りつつも、すぐに「で、結局何をしに来た?」という調子に切り替えることで、失礼にならない範囲で主導権を確保する、とされる。
ただし資料によっては、相手がすでに役割を名乗っている場合でも投げ返すことがあったとされ、これが“儀礼のステップ”であった可能性が論じられている。たとえば以降の来客では、名乗りの語尾が語感的に落ちるため、場を整える目的で使用されるという説明が載っている。根拠として『棚卸し語彙報告 第4号』では、該当方言の出現率が「午前 7〜9時は0.6回/日、午後 15〜17時は1.9回/日」へ跳ね上がると統計が示されている[2]。
この数値は、統計方法がやけに具体的である一方、サンプル総数が「3軒×2日×延べ19名」と非常に薄いと後年批判された。とはいえ、当時の編集者は“薄さこそ口承の生々しさ”だとして採用したとされる。
語感が“判定”へ変わる条件[編集]
ナニシニキタンの擬似方言性は、音の切れ目にあるとされる。特に語尾の伸ばしが長いほど、疑問の硬さが弱まる、とする説がある。たとえば「ナニシニキターーン」と伸ばした場合は、単なる疑いではなく“歓迎の前置き”として扱われたという説明がある。
また、来訪の手土産がであった場合にだけ、相手へ“責める余地がない”と考えられたため、語句の圧が下がるという奇妙な運用も報告されている。『地方門口記録 補遺』では、「菓子パンの袋が白いほど柔らかい表情が許容される」と記されており、さらに袋の白さを測るために“床タイルの反射率”を基準にしていたとされる[3]。
この説明は常識的に見れば滑稽ではあるが、口承の記録が“当時の測定技術”に依存していたという点では、むしろ資料らしいとも言われる。
歴史[編集]
生まれた分野:民俗言語の「棚卸し」[編集]
ナニシニキタンが“概念”として扱われるようになった背景には、民俗学の収集実務があるとされる。つまり、方言を文化財として守るという目的の下で、言葉の使用頻度や文脈を“在庫管理”のように棚卸しする発想が広がった時期があった。
その中心として、(通称:民語研)と、地域の教育委員会が連携した「口承点検システム」が挙げられる。計画は1976年にの会議資料へ落とし込まれ、最終的に“語彙の棚卸し表”が各家庭へ配布されたとされる。配布率は「配布550部に対し回収517部(回収率93.9%)」とされるが、当時の会計担当者が“回収”の定義を曖昧にしたため、後年まで論争になった[4]。
この棚卸し表の自由記述欄に、来訪の言い回しを一行で書く欄があり、そこで複数の聞き手が同じ語感を別々に転記したことが“固定化”のきっかけとされている。
関わった人々:採集者と編集者の綱引き[編集]
資料によれば、最初に現場で書き留めた採集者は渡辺精一郎(当時:民語研の非常勤)とされる。渡辺は「聞こえたままを書け」という現場主義だったが、編集側は「読める形に直せ」という統一性を求めた。結果として、現場のメモと清書稿の間に“語尾の揺れ”が生まれ、その揺れが最終的にナニシニキタンという一塊の句へまとめられたと説明される。
編集チームの責任者として登場するのは(民語研編纂課)である。成田は「この語は“意図の確認”を短く滑らせるため、単なる疑問ではなく機能語である」と主張した。会議では、機能語とする根拠として「来訪件数の急増期にだけ使用頻度が上がる」点を挙げたとされる。
ただし、その急増期の数字がやや過剰に具体的で、『北東行商日誌』の読み替えでは「1977年7月の臨時来訪が、平月比で212.4%」とされている。さらに、臨時来訪の相手のうち“意図不明カテゴリ”が「37.1%」と計算され、そのうち語句が投げ返される比率が「0.47倍」とされた[5]。この係数は統計としては奇妙であるが、“当時の編集者が理屈っぽくした”痕跡として評価されてもいる。
社会への影響:儀礼からネットへ[編集]
ナニシニキタンは当初、地域の門口で使われる短い問い返しとして語られた。門口の儀礼では、来訪者が敷居をまたぐ前にこの句を言い、相手は名乗り直しをすることで場が整えられた、とされる。これが“外来者へのゲート操作”として機能し、地域の防犯意識が高い集落ほど採用した、という後年の回顧も見られる。
もっとも、外部へ出た瞬間に意味は変質した。民語研の学術誌掲載後、地方紙のコラムがこの語を“ツッコミの定番”として紹介したとされる。以後、頃からは文章検索で「ナニシニキタン」がヒットするたびに、相手の意図を問い返すネット的な冷笑が広がった。
その影響として、言葉が現場の儀礼から切り離され、逆に“この語を使うこと自体が儀礼”になったと指摘されている。たとえばでは、投稿の冒頭に「ナニシニキタン」と添えることで、読み手が勝手に“来訪者ポジション”を引き受ける現象が観察されたとされる。観測報告では、反応率が「48.2%」だったとされ、しかも測定期間が「14日間」と短いことが特徴である[6]。
批判と論争[編集]
ナニシニキタンをめぐっては、主に二つの論点がある。第一に、初出とされる記録の真正性が挙げられる。『棚卸し語彙報告 第4号』が、どの村の誰から聞いたかを部分的にしか記載していないため、復元が過剰ではないかと疑われたのである[7]。
第二に、語の意味が“現場の儀礼”から“機能語”へと飛躍した点が批判されている。機能語と呼ぶなら、使用頻度が言語学的に説明される必要があるが、前述のようにサンプルが薄い数字が多い。特に、語尾の伸ばしと表情の関係を床タイルの反射率で語る記述は、当時の編集精神を感じさせる一方で、後世の研究者からは「再現不能な比喩だ」と揶揄された[3]。
なお、この論争の中で、いくつかの媒体が“ナニシニキタン講座”のようなまとめ記事を作った結果、逆に語が浸透してしまったとされる。批判が広まるほど、語の存在感が増すという逆説が指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 民語研編纂課『棚卸し語彙報告 第4号』国立民俗語彙研究所, 1979.
- ^ 渡辺精一郎「北東行商日誌の読み替えと擬似方言の統一」『地方言語研究』第12巻第2号, pp.33-58, 1981.
- ^ 成田文哉「機能語としての門口問い返し:ナニシニキタンの再構成」『民俗語彙学紀要』Vol.5 No.1, pp.1-24, 1980.
- ^ 青森県教育委員会『口承点検システム導入記録(回収率93.9%の報告書)』青森県教育委員会, 1976.
- ^ 北東行商史料会『北東行商日誌(抜粋)』北東行商史料会, 1978.
- ^ M. A. Thornton「Intent-Checking Utterances in Peripheral Dialect Revival Programs」『Journal of Folk Linguistics』Vol.18 No.3, pp.201-227, 1999.
- ^ K. Hayashi「On the Reliability of Sentence-Fragment Standardization」『Proceedings of the Minor Dialect Conference』pp.77-90, 2002.
- ^ 鈴木アサヒ「語尾の伸縮と対人距離:擬似方言の場面依存性」『日本言語対人学会誌』第9巻第4号, pp.88-114, 2007.
- ^ 上村謙太「床タイル反射率と表情推定の試み」『測定できる民俗』第1巻第1号, pp.5-12, 2011.
- ^ A. Petrov「Internet Rituals and Misquoted Dialect Fragments」『Comparative Media Folklore』Vol.2 No.2, pp.45-63, 2015.
外部リンク
- 民俗語彙アーカイブ
- 門口儀礼データベース
- 反射率メモ集
- 北東行商史料の閲覧室
- ネットミーム語彙研究会