ナポレオン日本人説
ナポレオン日本人説(なぽれおんにほんじんせつ)とは、のが実は系の出自を持っていた、あるいはの人がへ渡り、その名を名乗ったのではないかとするの都市伝説の一種である[1]。主に末期から断続的に語られたとされ、の肖像画の髪型や、妙に几帳面な生活習慣が「日本的」であるという噂が流布の契機になったとされる[2]。
概要[編集]
ナポレオン日本人説は、の出自や習慣にとの類似を見いだし、そこから「実は日本人だったのではないか」と解釈する都市伝説である。典型的には、身長が低かったという印象、左手を胸に当てる肖像、帽子を脱いだ時の礼儀正しさなどが、やの作法と結びつけられる。
この伝承は、史料に基づく系譜学というより、・・的な語りの中で増殖したものとされる。もっとも、単なる珍説として片づけるには惜しいほど細部が作り込まれており、経由で渡来したとする異説や、の隠れ渡航民がに定住したとする話まで派生している[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
最古の言及は刊の啓蒙雑誌『世界奇談』の投書欄に見られるとされる。投書者のは、の古本屋で見つけたという「東洋の将軍ノート」を根拠に、ナポレオン家の祖先がから漂着した船大工であった可能性を示唆した[4]。この文書は後に贋作の疑いが濃厚となったが、当時は「欧州大帝の東洋起源説」として一部の読者に受けた。
期には周辺の学生サークルが、半ば戯談としてこの説を討論したという話が残る。とりわけ、8年にの貸席で行われた「世界偉人東西同祖会」では、ナポレオンがを好んだのは日本的気質の表れであると主張する者まで現れ、場が異様な熱気に包まれたと伝えられる。
流布の経緯[編集]
昭和初期になると、の普及に合わせて「海外人物の正体を暴く」類の噂が流行し、ナポレオン日本人説もその一角に組み込まれた。特にごろ、の寄席芸人が「皇帝は実はの落武者」とする小噺を披露し、これが新聞のコラムに引用されたことで、噂は地方都市へ急速に広まったとされる[5]。
戦後はの翻訳文化の中で再解釈され、の大衆雑誌に載った「アジア諸国の風変わりな歴史説」の一節が逆輸入されたことで再燃した。なお、にの深夜討論番組で取り上げられた際、出演した民俗学者の一人が「伝承としては興味深い」と述べたことが、真に受ける層と冷笑する層を同時に増やしたといわれている。
噂に見る人物像[編集]
この都市伝説におけるナポレオンは、単なる軍人・政治家ではなく、「異国で生まれ、異国で名を変え、異国で頂点に立った放浪の日本人」という人物像に置き換えられる。噂では、幼少期にの持ち方を矯正されたとか、食事の前に必ず一礼したとか、細部の作法が妙に具体的である。
また、への流刑も「一時的な帰省」に読み替えられ、そこで故郷の味を思い出してに似た保存食を発明したという珍説まである。こうした人物像は、英雄が実は自国文化の体現者であるという安心感を与える一方、やけに国際的な妄想を帯びており、噂の不気味さと滑稽さを両立させている。
伝承の内容[編集]
代表的な伝承では、ナポレオンは生まれではなく、の武家屋敷に生まれた後、密航船で地中海へ渡ったとされる。船名は『白鳳丸』であったという説と、『ボナパルト号』という仏名の船に改名されていたという説が併存している[6]。
さらに、彼の有名な三角帽は「を応用した防寒具」であり、左手を胸に置くポーズはの礼法を西洋向けに簡略化したものだという。これらの説明は、いずれも後世の講談師が付け足したとされるが、の古物商が「ナポレオンの和風陣羽織」を売り出したことで、噂は物証を得たかのように扱われた。
委細と派生[編集]
「石が鳴る」派[編集]
系の研究会が唱えた派生説では、ナポレオンの出自を示す合図として郊外の石畳が雨の日に鳴るという。これはの飛び石の感覚を再現したものだとされ、実際ににで録音を試みた音響技師がいたという話まで残る。ただし、録音機の構造上かなり無理があるため、現在では半ば伝説化している。
「赤い袴」派[編集]
の旧制高等学校で流行した派生では、ナポレオンの軍装は本来であり、写真技術の未熟さでズボンに見えるのだという。制服史に詳しい一部の編集者は、の礼装との類似を根拠にこの説を面白がったが、実物とされる布片は後にの展示用リボンだったことが判明した[7]。
噂にみる「対処法」[編集]
この都市伝説には、直接遭遇した際の対処法も語られている。もっとも有名なのは「三度、右手での方角を示し、次に帽子を脱いで一礼する」というもので、これにより相手が日本人であることを思い出し、攻撃性が薄れるとされる。
ほかに、を三粒握らせると皇帝の機嫌が直る、の花びらを見せると記憶が戻る、などの手順が伝わる。いずれも民俗学的には後付けの呪術とみられるが、の休み時間に真顔で実践された事例が複数あり、噂が教育現場へ浸透していたことを示している。
社会的影響[編集]
ナポレオン日本人説は、そのものを信じるというより、歴史を「自分たちのものに読み替える」遊びとして受容された面が強い。とくにの教養層にとっては、欧州の英雄を東洋化することで、国際秩序の中に奇妙な優越感を作り出す装置でもあった。
一方で、以降はのバラエティ番組や学園祭の出し物で繰り返し取り上げられ、半ばとして定着した。これにより、真面目に信じる層は減ったが、「ありそうでない」話としての生命力はむしろ増したと指摘されている。なお、に同説の切り抜きが3,412件あるとする統計がしばしば引用されるが、集計方法は不明である[8]。
文化・メディアでの扱い[編集]
では、風の文体を模した架空作品『皇帝の藍染め外套』がしばしば言及されるほか、では「実は日本から来たという設定の偉人」としてパロディ化されることが多い。には深夜番組『世界の珍説大全』がこの説を特集し、視聴者投稿の中から「ナポレオンの本名はである」という葉書が紹介されて話題になった。
また、黎明期には、掲示板で「ナポレオン=出身説」や「幕府の密偵説」などが枝分かれし、都市伝説の自己増殖を示す好例とされた。現在では上で「#ナポレオン日本人説」が年に数回だけ再浮上し、そのたびに歴史好きとネタ好きが同じ速度で集まる現象が観察されている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺修一『世界偉人東西同祖譚の研究』北辰社, 1978.
- ^ 佐伯美冬「肖像画における礼法表象」『民間伝承』第12巻第3号, 1989, pp. 17-29.
- ^ Marc Delacroix, The Oriental Emperor Rumor and Its Afterlives, Eastbridge Press, 2004, pp. 91-103.
- ^ 渡辺翠堂「東洋の将軍ノート」『世界奇談』第5号, 1897, pp. 2-7.
- ^ 高瀬梅子『寄席と近代怪談』浪華書房, 1931, pp. 118-121.
- ^ Jean-Paul Soret, Napoléon en kimono: Archives d'une légende, Éditions du Pont, 1998, pp. 33-41.
- ^ 小野寺康「軍装史料に混入した和風意匠」『近代服飾史論集』第8巻第1号, 1964, pp. 55-60.
- ^ 国立国会図書館調査部『都市伝説切り抜き件数目録』同館内部資料, 2011, pp. 9-11.
- ^ Helen M. Brook, Invented Emperors of the Pacific Rim, Mariner House, 2015, pp. 201-219.
- ^ 藤原里緒「帝冠と三角帽の比較民俗学」『東西比較文化』第21巻第2号, 2007, pp. 88-96.
外部リンク
- 世界珍説アーカイブ
- 近代都市伝説資料室
- 東西怪譚研究所
- 偉人異説データベース
- 日本怪説年表