ナマポカー
| 正式名称 | 生活扶助移動支援車制度 |
|---|---|
| 通称 | ナマポカー |
| 分類 | 福祉行政用低速車両 |
| 運用開始 | 1978年頃 |
| 主導機関 | 厚生省 地域扶助局 |
| 主要導入地域 | 東京都、神奈川県、大阪府、福岡県 |
| 最高速度 | 時速18km |
| 廃止・縮小 | 1996年以降段階的に縮小 |
| 愛称の由来 | 生活扶助の受給票を車体側面に提示したことから |
ナマポカーは、の受給世帯に対して特別に貸与された低速型移動車両、およびそれを用いた地域巡回制度を指す俗称である。昭和後期の福祉行政改革の過程で生まれたとされ、やの一部では「移動相談車」とも呼ばれていた[1]。
概要[編集]
ナマポカーは、受給者が通院、役所手続き、買い出しなどに用いることを想定して設計された福祉車両である。車体は軽量化のために簡素な鋼板と再生樹脂で構成され、税金の透明性を示す目的で側面に大きな認証番号が描かれていた。
制度上は「自走可能な福祉備品」として扱われ、原則として個人所有ではなくを介した貸与制であった。なお、初期型はの試験地区で使用され、最初の25台は旧の遊休在庫を流用したとされている[2]。
成立の経緯[編集]
起源はのオイルショック後に行われた都市部福祉交通の再設計にあるとされる。当時、の若手官僚であったは、タクシー券の不正利用と通院断念の双方が問題化していることに着目し、「歩行補助具と公用車の中間」を構想した。
この発想は、の更生保護施設で使われていた配食用電動カートを参考にしたとも、の商店街で試験導入されていた高齢者送迎モビリティを転用したともいわれる。いずれにせよ、に「生活扶助移動支援試験事業」が発足し、翌年には全国9自治体・合計143台へ拡大した[3]。
制度設計[編集]
車体と装備[編集]
標準車両は全長2.9メートル、全幅1.4メートル、車重410kgで、の原付技術との軽量パネル工法を組み合わせたものとされる。助手席は設けられず、代わりに折りたたみ式の書類台と、役所提出用の朱肉ホルダーが内蔵された。車内には「緊急相談ボタン」があり、押すと最寄りのへ短波信号が送られる仕組みであった。
もっとも、1982年型以降は居住地確認のために小型アンテナが装着され、これが一部で「役所受信機」と呼ばれた。整備記録によれば、1台あたり月間平均3.4回の役所連絡があり、うち6割は住所変更届の再提出であったとされる[4]。
運用ルール[編集]
ナマポカーの運用は、原則として週2回、片道8km以内、乗車定員1名であった。ただし、やが重なる場合には同乗者1名が認められ、これが後に「二人乗り特例」として知られるようになった。走行可能時間帯は午前8時から午後4時までで、夜間使用は原則禁止とされた。
また、燃料は当初ガソリンではなく、ごとに配布された「福祉灯油」または「共同充電券」で賄う方式が採用された。1986年の改定で、車両ごとに年間走行上限1,200kmが設定され、上限超過分は受給者本人の説明書提出が必要になったという[要出典]。
普及と社会的影響[編集]
普及のピークはからにかけてであり、全国推計で2,700台が運用されていたとされる。この時期、の一部ではナマポカー専用の駐車枠が前に設けられ、通称「青い停車帯」と呼ばれた。
一方で、車体に貼られた認証票が受給者の可視化につながるとして、人権団体から強い批判も受けた。特にの「墨田通院回送事件」では、ナマポカーが学校周辺を通行したことから、制度に対する偏見が一気に広がったとされる。なお、当時の新聞投書欄では「福祉は動くが、尊厳は止まる」と題する匿名投稿が800字ぴったりで掲載され、後に政策担当者の間で半ば標語化した[5]。
批判と論争[編集]
最大の論点は、制度が「移動の保障」であると同時に「受給の表示装置」でもあった点である。特にの国会質疑では、車体色を灰色から薄緑へ変更するだけで差別感が軽減されるのかという問題が取り上げられ、は「色彩心理学上の効果は限定的」と答弁したとされる。
また、自治体によってはナマポカーの保有台数が生活保護世帯数を上回るケースが発生し、配備の適正性が疑問視された。なかでもでは、整備記録上は74台あるはずの車両が実地調査で81台確認され、うち7台は用途不明のまま市庁舎裏に置かれていた。この件は「幽霊車問題」と呼ばれ、後年まで資料が散逸した原因になったといわれる[6]。
終焉と遺産[編集]
に入ると、一般の小型自動車の普及と福祉タクシー制度の整備によって、ナマポカーは急速に縮小した。の行政整理で新規配備は停止され、既存車両も順次オークション処分または公用軽トラックへの転用が進められた。
ただし、完全な消滅ではなく、やの一部では倉庫保管車両が「災害時福祉搬送車」として残されたという。現在では、の市民ミュージアム分館との交通資料収蔵庫に各1台ずつ保存されているとされ、特に後者の車両には「受給更新済」と書かれた謎の札が吊るされたままである[7]。
文化的影響[編集]
ナマポカーは、実在の福祉車両よりもむしろ都市伝説や風刺文化の中で長く記憶された。1980年代末には深夜ラジオで「今日のナマポカー目撃談」が投稿コーナー化し、信号待ちの時間や乗車者の服装まで妙に具体的な作り話が流通した。
また、のインディーズ映画『白線の下で』では、主人公がナマポカーを使って区役所へ向かう場面が象徴的に描かれた。この映画の撮影に使われた車両は実際には郵便局の集配車であり、監督は後年「ナマポカーの方が撮れ高があると思った」と述べたとされる。こうした混交が、制度そのもの以上に「福祉を可視化しすぎた時代」の象徴として語られる理由である。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯真一郎『生活扶助移動支援車の制度設計』厚生政策研究所, 1981年, pp. 14-39.
- ^ 渡辺和子『福祉交通と可視化行政』地方自治調査会, 1985年, pp. 88-117.
- ^ H. Thornton, “Assistive Mobility and Public Stigma in Post-Oil-Shock Japan,” Journal of Urban Welfare Studies, Vol. 12, No. 3, 1989, pp. 201-226.
- ^ 『ナマポカー配備記録集 第一巻』厚生省地域扶助局内部資料, 1979年, pp. 3-58.
- ^ 山岸精二『福祉車両の色彩政策に関する研究』日本行政学会紀要, 第18巻第2号, 1990年, pp. 61-79.
- ^ M. A. Caldwell, “Low-Speed Vehicles for Benefit Recipients: A Comparative Review,” Social Transport Review, Vol. 7, No. 1, 1991, pp. 9-33.
- ^ 『墨田区生活移動対策報告書』墨田区役所福祉課, 1987年, pp. 42-49.
- ^ 橋本礼二『幽霊車問題と自治体備品の所在不明化』地方財政研究, 第24巻第4号, 1994年, pp. 130-151.
- ^ E. Nakamura, “The Grey Green Debate in Welfare Vehicle Policy,” Kyoto Public Administration Review, Vol. 5, No. 2, 1990, pp. 77-90.
- ^ 『福祉灯油と共同充電券の運用実態』全国社会福祉協議会, 1986年, pp. 5-26.
外部リンク
- 国立福祉交通資料館
- 地域扶助アーカイブ
- 昭和福祉モビリティ研究会
- 都市福祉車両保存協会
- 生活移動制度史データベース