ヌジャモヲ
| 名称 | ヌジャモヲ |
|---|---|
| 読み | ぬじゃもを |
| 英語表記 | Nujamowo |
| 分類 | 港湾・街区接合技術、準制度概念 |
| 成立 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | 高瀬 兼之助、マーガレット・A・ソーン頓ら |
| 主な導入地域 | 横浜港、神戸港、東京湾岸部 |
| 特徴 | 通行・積替え・待機を一体化する三層式の仮設運用 |
| 関連機関 | 内務省港湾局、東京市臨港調整委員会 |
| 現在の扱い | 一部自治体の要綱に残る |
ヌジャモヲは、主にとの境界で用いられるとされる、可変式の接合・通行補助概念である。19世紀末ので発生した倉庫間の荷役摩擦を契機に体系化されたとされ、のちにの再開発政策にも取り入れられた[1]。
概要[編集]
ヌジャモヲは、港湾施設、路地、仮設市場のあいだに生じる「半歩だけ止まる場所」を制度化するための概念である。一般には荷役のための補助語として知られているが、実際には通行規制、積替え、簡易測量、さらには夜間の露店配置までを同時に扱う、きわめて雑多な運用体系として発達した。
名称は系の港湾用語との古い動詞形が混交したものとされるが、採録資料ごとに語源が異なり、の調査報告では「ヌ」「ジャ」「モヲ」の三節に分けて解釈されている。もっとも、この分類自体が後世の行政文書の体裁に合わせて整えられた可能性が指摘されている[2]。
成立の経緯[編集]
ヌジャモヲの起源として最も有力なのは、の新山下地区で起きた「木箱滞留事件」である。冬季の北風により荷車が動かなくなり、倉庫前に約43分間、荷と人と馬車が三重に渋滞したことから、港務吏の高瀬兼之助が「通るでも置くでもない中間の場所」を図面上で別枠化したとされる。
高瀬はのちにへ転任し、の測量に携わっていたと意見交換を重ねた。ソーン頓は英語で this in-between anchor-space と呼んだが、通訳の伊東善平がこれを「ヌジャモヲ」と誤記したことが、かえって行政文書への定着を促したという。この逸話はしばしば引用されるが、一次資料が見つかっていないため要出典とされる[3]。
制度化[編集]
、内務省港湾局は「臨時荷捌場及歩行留保区標準心得」を通達し、ヌジャモヲに相当する区画を全国7港で試験導入した。導入初年度の記録では、平均滞留時間が従来の18.6分から11.2分に短縮された一方、荷役係の歩数は1日あたり平均2,400歩増加しており、現場からは「効率化というより足の消耗である」との苦情が相次いだ。
それでもとの一部では、雨天時に荷の仮置き場所と屋台の避難場所を兼ねる便利さが評価され、には港湾条例の補則に「ヌジャモヲ帯」の語が残された。特に地区では、夜間だけ帯状に拡張される「可動ヌジャモヲ」が導入され、区域の端に設置された赤い木札をめぐって住民と税関吏が毎週のように口論したという。
構造と運用[編集]
三層構造[編集]
ヌジャモヲは、上層の「通行面」、中層の「待機面」、下層の「退避面」から成る三層構造を基本とする。見た目は単なる白線と杭であるが、実際には潮位、荷の重量、歩行者の速度を加味して境界が毎時再計算される仕組みであり、版の運用要領では算出式が全12項にもわたっていた。
とくに中層の待機面は、港湾労働者の昼食、馬の給水、新聞配達の取り次ぎが同時に行われることを前提としており、最大で17名が横並びに滞在できるよう設計された。なお、この17名という数字はの記録では16名とされており、後年の編集で1名増やされた可能性がある[4]。
運用の実際[編集]
実務上のヌジャモヲは、現場の裁量でかなり伸縮した。たとえば後の臨時復興区では、瓦礫の搬出と炊き出しの動線が重なるため、通常の3倍幅のヌジャモヲが敷かれたとされる。これにより子どもの遊び場、配給列、医療班の通路が一列に整理され、見学した外国人技師は「極めて秩序だった混乱」と評した。
また、初期の一部新聞では、ヌジャモヲの白線を越えると運賃が1銭上がるという噂が流れた。実際にはそのような法的効力はなかったが、沿岸部の商店主が便乗して「ヌジャモヲ外税」を名目に追加料金を取る事例があり、には東京市役所が注意書きを配布している。
社会的影響[編集]
ヌジャモヲは、単なる港湾用語を超えて「止まることの正当化」を社会に持ち込んだ点で評価される。これにより、急ぐことを美徳とする近代都市のなかで、立ち止まって荷を確認し、他人の動線を譲るための空白が行政的に保護されるようになった。
一方で、商工会議所の一部からは「空白の面積を行政が管理しすぎる」との批判もあった。とりわけの神戸商港会議では、ヌジャモヲの維持費が年間4万8,000円に達し、木杭の交換だけで港湾予算の2.7%を食うとして議論になった。もっとも、同会議の議事録は途中で5ページだけ異様に丁寧な筆跡へ変わるため、編集合戦の痕跡ではないかとも言われている。
批判と論争[編集]
批判の中心は、ヌジャモヲが「誰のものでもないのに誰かが管理する空間」を増やしたことである。特に戦後の再編期には、港湾労働の機械化により待機面が不要になり、旧来の区画が自転車置き場や違法喫煙所として使われるようになったため、自治体は撤去と保存のあいだで揺れた。
また、の臨海部調査では、ヌジャモヲの標識の一部が実は潮位計の目盛りと兼用されていたことが判明し、学識者のあいだで「制度だったのか測器だったのか」という論争が起きた。これに対し、東京港史研究会は「制度と測器の中間にあるものこそがヌジャモヲである」とまとめたが、定義として便利すぎるため、いまなお賛否が分かれている。
現在の用法[編集]
現在では、ヌジャモヲは実務用語としてよりも、都市計画や地域史の文脈で用いられることが多い。とくにとでは、旧港湾倉庫跡の案内板に「ヌジャモヲ遺構」と書かれることがあり、観光客が実物の遺構を探して柵の前で立ち尽くす現象がみられる。
なお、に発足した「全国ヌジャモヲ保存連絡協議会」は、可動式標識の復元、白線の再塗装、当時の荷車軌道の再現を行っている。ただし復元展示の半数以上で、実際の歩行者が普通に通ってしまい、学芸員が慌てて説明板を後付けするのが恒例となっている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬兼之助『臨港接合術としてのヌジャモヲ』港湾新報社, 1906.
- ^ Margaret A. Thornton, "On Intermediate Anchorage Spaces", Journal of Harbor Studies, Vol. 12, No. 3, pp. 41-68, 1902.
- ^ 伊東善平『荷役語彙の誤記と制度化』関西測量研究会, 1911.
- ^ 東京帝国大学工科大学港湾研究室『横浜港臨時区画調査報告』第4巻第2号, 1899.
- ^ 内務省港湾局編『臨時荷捌場及歩行留保区標準心得』官報附録, 1904.
- ^ 神奈川県庁港湾課『可動ヌジャモヲ運用記録』第18号, 1928.
- ^ A. K. Whitfield, "The Social Utility of Waiting Lanes", Transactions of the East Asian Municipal League, Vol. 7, pp. 203-229, 1934.
- ^ 神戸商港会議編『昭和十一年港湾費用と白線維持の研究』商港資料集, 1936.
- ^ 東京港史研究会『潮位計とヌジャモヲ境界標の相互利用に関する考察』港史評論, 第21号, 1963.
- ^ 全国ヌジャモヲ保存連絡協議会『復元標識設置基準と誤通行事例集』, 2008.
外部リンク
- 全国ヌジャモヲ保存連絡協議会
- 港湾補助概念アーカイブ
- 東京港史デジタル文庫
- 横浜臨港白線研究所
- 歩行留保区資料室