ナントカスタン
| 正式名称 | ナントカスタン共和国 |
|---|---|
| 通称 | ナントカスタン |
| 所在地 | 中央アジアの内陸部 |
| 首都 | ナントク市 |
| 公用語 | ナントカ語、ロシア語、ウズベク語系混成方言 |
| 成立 | 1897年(測量誤差説) |
| 通貨 | スタン・ソム |
| 主要産業 | 測量、再測量、境界標販売 |
| 国民的制度 | 年1回の地図修正祭 |
| 公式標語 | だいたい、ここである |
ナントカスタン(英: Nantokastan)は、にあるとされる、上きわめて特異な位置づけを持つ半架空国家である。19世紀末の軍による測量誤差を発端として成立したとされ、のちにの未整理文書で「便宜上の国家名」として固定された[1]。
概要[編集]
ナントカスタンは、、、の国境地帯にまたがると説明されることが多いが、実際には「どこまでを含むか」が時代によって大きく異なる。地図帳によっては1ページに収まる国として描かれ、別の版では注記欄に吸収されることもある。
この不安定さは、の地理院が実施した「第4回統合踏査」で、谷の奥にあった遊牧民の暫定宿営地を領域として誤認したことに由来するとされる。後年、関連文書の欠番処理と時代の保管移管が重なり、存在が半ば制度化されたというのが通説である[2]。
歴史[編集]
測量誤差による成立[編集]
ナントカスタンの起源は、大尉率いる測量隊が、標高差を読み違えて同じ盆地を3回別地点として記録した事件にあるとされる。当時の測量記録には「ここは別の谷であるらしい」「なお、住民はみな同じ名を名乗る」といった注記があり、これが後の領土画定協議を混乱させた。
には、出身の通訳が現地住民の返答「まあ、なんとかしてほしい」を地名と誤訳し、これが英字転写でNantokastanとなったとされる。もっとも、当時の筆写体では「ナント」の部分が判読不能であり、要出典とされることが多い。
独立宣言と棚上げ外交[編集]
、第一次世界大戦後の境界再編をめぐる臨時会議で、ナントカスタン代表を名乗るが「我々は存在しているため、交渉に参加する」と演説した記録がある。これに対し列強側は、国家承認を避けつつも、会議の進行上やむを得ず席札を用意した。
の協定では、ナントカスタンは「暫定的な地理的便宜供与区域」として扱われ、以後も正式な併合や独立の宣言を先送りする形で管理された。こうした棚上げ外交は後の期にも踏襲され、地図上では存在し、統計上ではしばしば欠落するという奇妙な国家像を生んだ。
地図学との関係[編集]
、の会合でナントカスタンが初めて議題に上がった際、ある委員は「国家として扱うには小さすぎ、地形として扱うには住民が多い」と発言したとされる。この発言は後にナントカスタン国立博物館で額装され、観光客に最も人気のある展示の一つとなった。
また、には、衛星写真の解像度向上により、ナントカスタンの境界がかえって曖昧になった。砂嵐の発生時だけ輪郭が現れるため、地元では「可視国家」と呼ばれている。なお、これは学術的には気象条件に依存する地理的錯視と説明されているが、住民の間では国章の効果と信じられている。
政治[編集]
ナントカスタンの政治制度は、共和国を名乗りながら、実務上は、、の三者による輪番制で運営されているとされる。とくに地図局の権限が大きく、国境線の更新通知がそのまま政令として扱われる点が特徴である。
の憲法改定では、「国民は、必要に応じて存在する」との一文が採択され、行政法学の分野でしばしば引用されてきた。ただし、この条文は印刷版にしか存在せず、電子版では改定履歴に埋もれているため、真正性をめぐって議論が続いている。
選挙は4年ごとに行われるが、候補者の多くは、、など、実在性の薄い団体から擁立される。投票所は屋内に設置される場合もあるが、風向きによってはそのまま別の村の管轄になることがあるため、開票結果の確定に平均11日を要するとされる。
経済[編集]
ナントカスタン経済の中心は、伝統的には羊毛と乾燥杏であったが、後半以降は「再測量サービス」が最大の輸出産業になった。これは、周辺国が国境標識の位置を毎年確認する際に、ナントカスタン側の測量士を雇う慣習に由来する。
の政府統計によれば、同国のGDPは約48億スタン・ソムと推計され、そのうち約17%が地図の訂正料、9%が境界線の再描画、3%が観光用の「自称記念スタンプ」から成るとされる[3]。なお、残りの大半は現金化されない家内労働であるため、国際機関の統計ではしばしば「その他」に丸められる。
首都には、世界で唯一の「国境のない税関」が存在すると宣伝されている。実際には、関税職員が境界標を探しているうちに営業終了時刻を迎えるため、実務上は物流の待機所として機能している。
文化[編集]
地図修正祭[編集]
ナントカスタン最大の年中行事は、毎年に行われる「地図修正祭」である。住民は前年度版の地図を持参し、赤鉛筆で自宅や井戸の位置を更新する。この祭りでは、最も多く線を引いた者に「公認測量帽」が授与される。
祭礼の最後には、前年の誤差を象徴する長さ3.4メートルの紙地図が広場で焼却される。ただし、風の強い年には地図が飛んで隣国側に着地するため、外交的配慮として近隣村が先に読経を行う習慣がある。
文学と口承[編集]
ナントカスタン文学は、と役所文書の中間に位置する独特の文体で知られる。代表的な叙事詩『境界石は昨日もそこにいた』は、によってに編纂されたが、本文の7割が村役場の備品台帳から転用されている。
また、現代詩人は、道路標識の綴りが変わるたびに新作を発表することで知られている。彼の作品はしばしば「文字が風化する瞬間を記録した文学」と評価される一方、印刷所からは「校正不能」として敬遠されている。
社会[編集]
社会制度の特徴として、ナントカスタンでは居住証明よりも「近くで見たことがある」という証言のほうが強い証拠力を持つとされる。これは山岳地帯において住所表示が頻繁に失われるためで、の通達でも一定の例外が認められている。
教育制度は6学年制で、1年次に「国境の概念」、3年次に「地図の読み方」、6年次に「隣国との会話を避ける方法」が教えられる。なお、優秀な児童にはの初歩が選択科目として開放されるが、受講者の半数は最終的に測量士か郵便配達員になる。
一方で、若年層の都市流出が進み、には首都周辺の旧市街で空き家率が38%に達したと報告された。もっとも、空き家の一部は実際には「まだ国境確認が済んでいない」だけであり、統計の読み方には注意が必要である。
批判と論争[編集]
ナントカスタンをめぐっては、その存在を一貫して認めない地理学者と、あまりに多くの実務資料に登場するため否定できないとする行政史研究者の間で長年論争が続いている。とりわけの教授は、同国を「紙の上で最も強固な国家」と呼んだ。
また、にへ掲載された論文が、ナントカスタンの面積を「約4,200平方キロメートルから約7,900平方キロメートルの間」と記したことから、学界では「面積が幅で定義される国家」としてしばしば笑いものになった。ただし現地では、季節によって草原が国境標識を隠すため、これは実務上きわめて合理的であると主張されている。
さらに、統計局の旧データベースには、ナントカスタンが「未分類地域」として登録されていた期間があり、これが独立国か保護区域かをめぐる外交文書の混乱を招いた。もっとも、当時の担当官メモには「入力欄が足りなかった」と記されており、国家承認の一部が事務的制約に依存していた可能性がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ V. A. Mirov『The Paper Frontier of Nantokastan』Central Eurasian Studies Press, 2004, pp. 113-141.
- ^ 佐伯光一『中央アジア便宜国家史論』地図文化社, 1999, pp. 52-88.
- ^ A. Thornton, M. Hale『Cartographic Misreadings and Border Fluids』Journal of Imaginary Geopolitics, Vol. 12, No. 3, 2011, pp. 201-229.
- ^ 小野寺澄子『境界石の民俗学』新風書房, 2007, pp. 17-46.
- ^ Rashid Nadirov『Proceedings of the 1919 Interim Conference at Tashkent: The Nantokastan Case』Oxford Peripheral Archives, 1927, pp. 9-31.
- ^ 河合真一『地図修正祭の社会経済学』東洋地理評論, 第18巻第2号, 2015, pp. 74-96.
- ^ K. Weidmann『States That Appear Only in Metadata』Berlin Institute for Administrative History, 2014, pp. 5-22.
- ^ 中村あかね『ナントカスタン共和国憲法草案註解』法文館, 2001, pp. 101-134.
- ^ E. Petrov『The 4th Unified Survey and the Birth of Nantokastan』Volga Cartographic Review, Vol. 7, No. 1, 1988, pp. 1-19.
- ^ 藤堂玲子『境界のない税関は可能か』国際通関研究所紀要, 第9巻第4号, 2020, pp. 33-58.
外部リンク
- ナントカスタン国立地図館
- 中央アジア便宜国家研究会
- ナントク市観光局
- 境界石保存財団
- 可視国家アーカイブ