ネタデスヤン共和国
| 成立時期 | 1897年(「約束の帳簿」編纂開始年とされる) |
|---|---|
| 首都 | クラフトン市(史料群により表記ゆれがある) |
| 公用語 | ネタデスヤン語(文書上は「やや省略的」と形容される) |
| 政体 | 混合制(共和議会+“寝言院”)と説明される |
| 通貨 | デスヤンルーブル(一定条件で無効化される補助券が併用) |
| 国歌 | 『一段目の嘘、二段目の真』 |
| 外交様式 | 正式文書は“脚注で誠意を補う”とされる |
| 主な産業 | 帳簿印刷と寓話翻訳(とされる) |
ネタデスヤン共和国(ネタデスヤンきょうわこく)は、史料により周縁に位置するとされる“匿名国家”である。通称はであり、冗談文化と官僚制度を同時に整備した例として知られている[1]。
概要[編集]
ネタデスヤン共和国は、外部資料で断片的に言及される国家である。とくに“制度の体裁は整っているが、内容が毎年更新される”という点が特徴として記されている[1]。
歴史記述は、の分類法に基づく「青い箱」「赤い箱」という二系統で伝わってきたとされる。初期資料では“ネタは税金であり、笑いは労働である”という標語が繰り返し引用されている[2]。
なお、この共和国は実在の国名のように扱われる一方で、成立経緯については「実体を持たず、契約書の形でのみ存続した」との説明もある。編集者の間では、地理学的整合性よりも官僚文書の癖に注目すべきだという議論があり、結果として読み物としての完成度が高まったとされる[3]。
歴史[編集]
前史:帳簿職人の火花と「三層冗談税」[編集]
共和国の前史として語られるのは、1890年代の港町周辺における“帳簿職人組合”の運動である。組合の指導者はクラフトン印刷所の主任、(1871年没ではなく、史料では“亡くなったことにしておく”と書かれている)とされる[4]。
物語の転機は、1894年に導入された「三層冗談税」である。税は、(1)文章の冗談、(2)図表の冗談、(3)注記の冗談の三層に分けられ、申告書にはそれぞれ最低でも合計字の“嘘らしさ”が必要だったとされる[5]。納税者は毎月、提出前に“本気度を測る舌触り検査”を受けたと記録されている。
ただし、この検査の器具は「金属よりも気分に反応する」と説明され、医学史の観点では滑稽な点が多い。一方、官僚制度史の観点では、“規格化されたふざけ方”として整理されることが多い。ここで、編集者は、嘘が個人技ではなく行政手続に取り込まれた瞬間だと書き足したとされる[6]。
成立:寝言院と「二段階の誓約」[編集]
1897年、港町と内陸の連絡路が途切れた年に、帳簿職人組合が「共和国建設会議」として再編された。開催場所は史料上北部の“見えない広場”とされ、地図には残らないが、議事録のページ数だけは残っているとされる[7]。
成立の根拠とされるのが「二段階の誓約」である。第一段階では議員が“嘘を含む誓い”を読み、第二段階では聴衆が“嘘の有無を点検する係”に合意する。合意が成立すると、誓いの文言は自動的に訂正される仕様だったとされる[8]。
この仕組みを制度化した機関が、議会内に設けられたである。寝言院の職務は、国歌の歌詞を毎週書き換え、条文の曖昧さを“眠気の角度”で定量化することだとされる。研究者は、角度が刻みで管理されていたという記述を“おそらく式典の装飾から転記された”と解釈している[9]。
当時の外交は徹底しており、使節が到着した日には、到着報告が必ず脚注付きで出され、脚注の長さが挨拶の深さと見なされた。外部の大使館側は最初こそ戸惑ったが、次第に“脚注で礼を言う”ことが流行したという[10]。
発展:クラフトン市の行政実験と「笑いの指標化」[編集]
共和国の中心は首都とされるクラフトン市である。市の成立年は史料により1898年、または1901年と揺れるが、どちらにせよ公共事業の数値が異常に詳細である。たとえば“市場の列は、平均人ごとに一度、笑い声の方向を統一する”と記されている[11]。
さらに市は「笑いの指標化」を推進した。笑いは“感染”として扱われ、行政が毎朝、広場の音響を測定したとされる。測定装置はに転用されたという説があり、測定値が雨雲の前兆として説明されたこともある[12]。
この頃、共和国の外部評価は賛否に分かれた。肯定側は、笑いを資源として管理した“柔らかい統治”だとした。他方で否定側は、指標が独り歩きして、市民が“笑う練習”に追われた可能性を指摘した。実際、住民の労働時間が“義務的笑い練習”を含めて平均時間/週と記録されているが、統計の算出方法は不明である[13]。
ここで、地方紙の編集者が、統計の末尾に“たぶん嘘”と書き足したことが、後年の研究で問題視されたとされる。とはいえその一文が残ったおかげで、共和国の制度が“誤差込みで成立する”ものとして後世に伝わることになった。
制度と社会[編集]
ネタデスヤン共和国では、行政手続が“物語の構造”に近づけられていったとされる。申請書は、主張→反論→言い直しの順で提出しなければならず、言い直し部分の用紙は必ず色違いだったと記述されている[14]。
教育制度も同様で、学校では作文が必修となり、テーマは「真実に最も近づく嘘」「嘘から離れるための真実」などの二択だったとされる。成績は、模範答案の“確信度”ではなく、答案の“疑いの置き方”で評価された。評価表には、疑いが秒遅れた場合は減点と書かれていたという[15]。
市民生活では、通貨の扱いが特徴的である。デスヤンルーブルは通常通貨として扱われるが、特定の曜日には補助券が自動的に無効化される仕組みだったとされる。この運用は“停滞の予防”を目的として導入されたとされ、会計担当者は無効化前に必ず“言い訳”の欄を記入したとされる[16]。
また、司法では「根拠の薄い正しさ」が擁護された。裁判官が判決文を読み上げる際、判決文の最後に必ず“注釈で救済する条項”を付けることが求められたという。外部の弁護士はこれを“救いの逃げ道”として嫌ったが、市民側は“逃げ道があるから踏み出せる”と受け止めたとされる[17]。
批判と論争[編集]
批判は主に、制度が“嘘の最適化”へ偏った可能性に向けられた。たとえば、税を“嘘らしさ”で計測する仕組みは、結果として市民が嘘を量産する動機を生んだのではないかと論じられた[18]。
一方で、共和国の擁護者は「嘘は人間の認知の補助具であり、制度化により被害が減る」と主張した。彼らは“誤解を先回りする文化”として捉え、寝言院の存在をその証拠と見なした。ただし擁護側の記述には、寝言院の角度計測が“神秘的に正確”だという表現が多く、批判側からは疑似科学扱いされた[19]。
また、実在性に関する論争もあった。地理学者の一部は、クラフトン市に相当する地形が複数候補としてしか提示されない点を問題視した。にもかかわらず、議事録のページ数が揃っていることが、逆に“作り話として整いすぎている”と評価され、研究が進まない時期があったとされる[20]。
編集史の観点では、ある百科編纂家が“年号の整合性を無視して面白さを優先した”ことが指摘されている。たとえば成立年が1897年とされる一方で、国歌の作曲がとされる矛盾が、脚注でうまく処理されている(脚注のほうが主題になっている)という[21]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ E. Krähter「The Administrative Metaphor of the Netadesuyan Republic」『Journal of Anecdotal Governance』Vol.12 No.3, 1998, pp.41-63.
- ^ 田中逸文「三層冗談税と書式統治の系譜」『比較官僚制研究』第7巻第1号, 2004, pp.15-29.
- ^ M. Orben「議事録のページ数が語るもの:クラフトン市成立の再検討」『東欧文書学年報』Vol.9, 2011, pp.201-228.
- ^ S. Belkin「Sleep Jurisdiction and the Angle of Insincerity」『Quarterly Review of Mock-Legal Systems』Vol.5 No.2, 2009, pp.77-96.
- ^ K. Varyash「Sincerity by Footnote: Diplomatic Etiquette in Shadow States」『International Correspondence Studies』No.18, 2016, pp.3-26.
- ^ レオニード・クラフテル(編)『約束の帳簿:青い箱の章』クラフトン印刷所, 1902, pp.1-312.
- ^ J. Haldane「On the Supposed Geographies of Anonymous Republics」『Cartographic Letters』第3巻第4号, 1987, pp.99-118.
- ^ 「ネタデスヤン国歌譜(改訂履歴)」『楽譜官報』第22号, 1924, pp.1-9.
- ^ A. Rykov「笑いの指標化:音響行政の試み」『都市計測と物語』Vol.16 No.1, 2020, pp.55-88.
- ^ —「クラフトン・ミラー縮刷版・嘘の統計学」クラフトン出版社, 1933, pp.1-240.
外部リンク
- 脚注アーカイブ研究会
- 寝言院文書センター
- クラフトン市役所(複製)
- 笑いの指標化データベース
- 三層冗談税研究フォーラム