パーリナイ山本の鋼弓
| 種類 | 鋼製の複合弓(調律式) |
|---|---|
| 用途 | 狩猟競技・魔術師対策・訓練 |
| 発祥地 | 周辺(伝承) |
| 初出年 | (最古記録とされる) |
| 全長 | 約1.42m(調律時) |
| 重量 | 約3.9kg(弦セット込み) |
| 主要材 | 低炭素鋼+焼入れ合板 |
| 関連概念 | 共振封じ・弓鳴り制御 |
パーリナイ山本の鋼弓(ぱーりないやまもとの はがゆみ)は、魔術師狩猟用の競技武器として扱われた鋼製の弓であるとされる[1]。はの民間工房で改良が重ねられ、のちに「実験工学」の系譜に接続されたと説明される[2]。
概要[編集]
パーリナイ山本の鋼弓は、弦の張力だけでなく、矢筒側の微小な共振まで制御して「狙いのブレ」を抑える武器であると説明される。現代的な言い回しでは、調律された共振器を内蔵した携帯機器に近いとされるが、当時は「弓鳴りが魔を呼ぶ」という俗信と結び付けられていたとされる[3]。
この鋼弓の特徴は、弓身に刻まれた九つの「筋(すじ)」と、弦の着脱部に設けられた微調整リングにあるとされる。九つの筋は、工房の徒弟が測るところによれば「指二本分の湿度」に反応するらせん状の溝であり、冬場は筋の深さがわずかに増えると報告されたという逸話が残る[4]。
また、名称の「パーリナイ」は地名というより職能名として理解される場合があり、山本が所属したとされる鍛冶集団の呼称だとする説もある。なお、当の山本は記録上「武器商ではなく、測定係として雇われた」という記述が見つかることがあり、編集者によってはこの点が強調されることがある[5]。
歴史[編集]
成立経緯:測量局の「弓音」実験から[編集]
起源は大正末期、大阪府の小規模測量局が「距離の測定誤差」を弓音で補正する研究をしていたことに求められるとされる。研究主任とされるは、ピンを打つときの反響を利用できるとして、弓の発する音を音叉代わりに用いる試作を進めたという[6]。
この流れで、の見習い鍛冶であったが呼び出され、弓身を「共振が最小になるように」ではなく「共振を一定に保つように」焼入れする設計へと転換したと説明される。とりわけ、弓身の筋を九本ではなく九つに留めたのは、試験で同時刻に鳴る音のピークが九回に分散したためである、とされる[7]。
ただし、当時の報告書は「第三焼入れ炉の温度記録が欠落した」とする注記があり、そこから後世の研究者は「欠落した時間帯に魔術師対策の工夫が混入したのでは」と推定している。要出典が付きそうな箇所ではあるが、当該注記を引く複数の二次資料に共通する語感があるため、編集者の間では“それっぽさ”が評価されたとされる[8]。
発展:競技化と「鋼弓連盟」の設立[編集]
に、山本の鋼弓が「狙撃訓練ではなく測定訓練」として扱われる形で公開された。公開当日に兵庫県神戸市の港湾倉庫で行われた試射では、風速を測るために矢が着地するたび、観測員が「弓鳴り指数」を記録したとされる[9]。
翌、この手法を競技として定式化するため、(通称)が東京都千代田区で設立されたと記録される。連盟の規則では、弓に付着する油分を「0.6ミリグラム」刻みで管理し、弦交換は「前夜の湿度が92%を超えた場合」に限る、といった細則が採用されたとされる。現在の常識からすると過剰とも思えるが、当時の計測機器の分解能に合わせた結果だという説明がある[10]。
連盟はさらに「魔術師対策」を公式には掲げなかったものの、裏会議では『弓音は呪詛の発声器官を刺激する』との議論があったとされる。このため、鋼弓の先端には反響吸収のための小孔が追加され、翌年に“静かな射ち方”が流行したという。なお、反響吸収小孔の直径は「0.8分(ぶ)」とする資料もあり、単位系が揺れている点が、のちの論争の火種になったとされる[11]。
構造と運用[編集]
鋼弓は、弓身を一本の鋼材で作るのではなく、低炭素鋼の中核に焼入れ合板を重ねる複合構造であると説明される。九つの筋は、単なる装飾ではなく、湿度変化によって微細な歪みを「わざと」発生させ、照準の揺れを周期化するための工夫だとされた[12]。
運用面では、射手は毎回の射撃前に「調律紙」と呼ばれる薄膜を弦に貼り、弓鳴り指数が許容帯(平均値±0.13)に入るまで巻き直すとされる。許容帯の算出には、観測員が靴の裏に残った砂を容器に回収し、その粒度分布(平均粒径0.042mm)を用いる“手作り統計”が採用された、と説明される[13]。
さらに、矢は鋼矢ではなく「鋼の骨格+樹脂の翼」を持つとされ、矢の翼が空中で微小にたわむことで、弓鳴りによる音響乱れを相殺する、とされた。ここで矢の翼長は「17.2cm」などと具体化されることがあり、細部まで作り込まれた熱量が伝わると評される一方で、材料が容易に入手できない時期には“代替翼”が出回り、精度のばらつきが問題視されたとされる[14]。
社会的影響[編集]
鋼弓は当初、測量局的な実用目的と競技目的の間に位置していたが、次第に「音を制する者が距離を制する」という合言葉で、大学や工業学校の実験授業に持ち込まれたとされる。たとえば名古屋市のでは、弓音の周波数分布を図示してレポート課題にしたと記録されている[15]。
一方で、都市部では鋼弓が“紛争解決の道具”として誤用されることもあった。鋼弓連盟が「対人を想定しない」と注意を出したにもかかわらず、夜間の射撃が行われ、弓音が遠方まで響くとして苦情が集中したという。警視庁の前身組織が保管要請を出したという逸話があるが、当該文書の筆跡が複数に分かれているため、後年の編集で「誤記」だと扱われることもある[16]。
その結果、鋼弓関連の規格は、工具規格や計測規格の発展に波及したとされる。特に、反響吸収部品の規格化は、のちの振動試験機の設計思想に影響した、と引用されることがある。もっとも、引用元が“連盟の内部メモ”であるため、出典の堅牢性には揺れがあると指摘される[17]。
批判と論争[編集]
鋼弓は「科学的な調律」を標榜したが、その手続きがあまりにも儀礼的に見える点が批判された。具体的には、調律紙の色変化を基準にする運用があり、色の判断が観測員の主観に依存するため再現性が低いのではないか、と論じられたのである[18]。
また、反響吸収小孔の直径表記が資料により異なることも争点になった。0.8分(ぶ)とするもの、0.8ミリメートルとするもの、さらに「0.8分=1.2mm」と換算したうえで議論するものがあり、結果として規格の統一が遅れたとされる。ここでは、数値の齟齬が単なる表記ゆれではなく、実際の現場で“気分調整”が混入したのではないかという推測が生まれた[19]。
さらに、パーリナイという語の由来が不明確である点も論争になった。地名とする説、職能名とする説、あるいは方言由来の比喩だとする説が並び、学術的には決着を見ていないとされる。とはいえ、語の響きが“呪具っぽい”ため、芸能方面での人気が先行し、競技記録よりも伝承が増殖したのは事実だとする見解もある[20]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鈴木斐光『弓音による距離補正の可能性』博文館, 1928.
- ^ 山下理澄『鋼弓の筋(すじ)設計と湿度応答』日本工学会誌, Vol.12 No.3, pp.41-58.
- ^ 高橋綾音『競技武器としての調律式弓—鋼弓連盟規則の検討—』体育工学研究, 第7巻第1号, pp.9-27, 1931.
- ^ Parinai Yamamoto & Kuroda S., 'Resonance-Locked Bows for Training Purposes', Journal of Applied Acoustics, Vol.5 No.2, pp.101-130, 1933.
- ^ 中村丈介『反響吸収小孔の寸法換算問題』測定技術年報, 第3巻第4号, pp.77-96, 1935.
- ^ 【要出典になりがちな書誌】『鋼弓の夜間運用と社会苦情の統計』警務調査叢書, pp.201-219, 1938.
- ^ 田中武雄『低炭素鋼と焼入れ合板の複合構造に関する比較試験』金属加工月報, Vol.21 No.8, pp.300-312, 1940.
- ^ Margaret A. Thornton『Portable Resonators in Early 20th Century Sports』International Review of Engineering History, Vol.2 No.1, pp.55-73, 1962.
- ^ 伊藤誠一『日本における音響計測の教育的導入—中部工業講習院の事例—』教育機器史研究, 第11巻第2号, pp.33-52, 1974.
- ^ 小野寺藍『鋼弓連盟の内部メモ再読』紀の川大学紀要(※タイトルが微妙に不揃いの号), 第18巻第1号, pp.1-19, 1989.
- ^ R. B. Halden『On the Vernacular Origins of 'Parinai' in Craft Guilds』Folklore & Mechanics, Vol.9 No.3, pp.221-240, 1997.
外部リンク
- 鋼弓資料館(紀の川)
- 弓鳴り指数アーカイブ
- 鋼弓連盟規則集(復刻サイト)
- 調律紙の作り方研究会
- 共振封じ部品の規格図面庫