プリンセス・オブ・ドブ
| 別名 | ドブ王女/下水聖女(通称) |
|---|---|
| 分類 | 都市伝承・衛生民俗 |
| 主な舞台 | の下水網周辺 |
| 初出とされる時期 | 頃 |
| 伝承の焦点 | 下水の“守護契約”と救済儀礼 |
| 語源(諸説) | dobb=泥溜まり説/Dobb=人名説 |
| 関連組織(伝承内) | 下水運河管理局(架空) |
(英: Princess of Dobb)は、の都市伝承に現れるとされる“下水王女”の呼称である。16世紀末から19世紀初頭にかけて、衛生政策と民間信仰の境界で広まったとされる[1]。
概要[編集]
は、下水道の老朽化や臭気被害が社会問題として顕在化する時期に、民衆の間で再生産されたとされる呼称である。伝承では“王女”が直接治水を行うのではなく、下水網の維持管理を「契約」として人々に思い出させる存在として描写されることが多い。
成立経緯については諸説あるが、衛生行政の文書が庶民の読解に耐えない難解さを持っていたため、代替の「語り」が必要になったという整理がしばしば引用される。ただし、初期に広まったとされる語りは儀礼的な歌謡の形式を取り、歌の端々に具体的な通行止め日程や点検回数が差し込まれていた点が特徴とされる[2]。
歴史[編集]
起源:塩の代わりに“泥の誓い”を売った王女[編集]
伝承の起源は、にで発生したとされる「泥臨界(どりんかい)」事件に求められることが多い。公式記録では“悪臭の継続”として簡略に処理されているが、民間の歌謡集『流れの箱庭』では、悪臭の鎮静が塩ではなく“泥の誓い”という誓約文の唱和によって行われたと記される。
同集では、王女(Princess)の名が最初は姓として扱われ、下水の立坑(たてこう)ごとに「一晩に3回、合図の鐘は鳴らせ」という細則が付随していたとされる。後年の脚色で“王女が鐘を鳴らす”物語に変質した、と説明されることが多い[3]。なお、この話を最初にまとめた人物として、の修繕監督を務めた(架空名)が挙げられるが、同人の実在性は議論が分かれている。
一方で、別説では“dobb”は地名(下水溜まりの地点名)ではなく、実在の商人家系Dobbの屋号であったとする。つまり“王女”とは、実際には一族の女性監督者が衛生工事の現場で評判になり、後に伝承化された存在であるという構図である。この説に立つと、の一斉点検が「合図の鐘」ではなく「点検記号(黒糸)を配布する儀礼」だった可能性が指摘される[4]。
発展:衛生行政と民俗が“共通の帳面”を作った時代[編集]
後半には、下水の運河が増設されるたびに、町内の管理が細分化された。その過程で、伝承の“王女”像が行政用語へ翻訳されていく。たとえば、民衆向けの掲示文の文体に合わせて「王女=監督役」「誓約=作業票」という対応が作られたとされる。
このとき、下水運河管理の統一帳票として「dobb帳」が整備されたと語られるが、dobb帳の内容はやけに具体的である。『市渠記録(しきょきろく)第4号』では、点検は年に合計実施され、冬季はでも手袋の交換が必須とされていた、とされる。もちろん後代の誇張とみられ、実際の気温記録とは一致しない部分もある。ただし、誇張があるからこそ“読まれる”文書になったという見方もある[5]。
さらにには、伝承に「王女は川に入らない」という禁忌が付与される。これにより、住民が川沿いで勝手に清掃を始める事故が減った、とする回顧も残されている。最初は迷信だったはずの条件が、結果として危険行為の抑制に役立ったのだと説明されることが多い。なお、この“事故減少”の数値として、死傷者が前年から減少したとする引用が出回っているが、出典は館蔵の未整理資料とされ、真偽は確定していない[6]。
伝承の内容と儀礼[編集]
の伝承では、王女は“助ける”というより“忘れさせない”存在として語られる。儀礼は概ね、(1)立坑の前で短い詠唱を行い、(2)管理票を掲げ、(3)最後に誰かが「次の点検はいつか」を口頭で復唱する、という手順で構成されるとされる。
細部が面白い。詠唱の中には、単に清掃を促すのではなく「汚れの方向」「泡の沈み方」「臭気の色(灰色、黄緑、煤色の3分類)」を言い当てる要素が含まれるとされ、これが“見えない衛生”を可視化する技法だと説明されることがある。実際、後年の看板文では「臭気の色を報告せよ」という一文が採用され、伝承が行政コミュニケーションへ転用されたのではないかと推定されている[7]。
ただし、儀礼の象徴性が強いゆえに、逸脱も生まれた。とくに頃には、詠唱の最終行だけを切り取って“祈願の呪文”として扱う者が増え、王女信仰が迷信化したとされる。これに対し、下水網の現場監督たちは「呪文は点検の代替ではない」と繰り返し掲示したが、掲示文の硬さが逆に火に油になったという指摘がある[8]。
社会的影響[編集]
は、衛生行政の普及と住民の行動変容のあいだを埋めた媒介として位置づけられることがある。行政が示す数値(点検回数、清掃範囲、苦情の提出期限)は、当時の読み書き環境の制約から、住民側では“毎年の行事”の形に変換されやすかったとされる。
その結果として、下水に関する地域の合意形成が「王女の儀礼カレンダー」として整流化された。たとえば、の周辺で配布されたとされる手書き冊子では、点検日が合計で、荒天時は「鐘は鳴らさず、記号だけ残せ」と定められていたという[9]。こうした“行事化”は、実務と信仰が同居する形で行政コストを下げた可能性がある。
一方で、媒介が強いということは、そこに都合の良い解釈が紛れ込む余地があることでもある。悪臭の原因が別にあった年でも、住民が「王女の不在(=点検を遅らせた)」と解釈したことで、住民間の対立が増幅した、とする回想も残されている。結局のところ、伝承は人々の注意を集めるのに役立ったが、その注意は必ずしも正しい対象へ向くとは限らなかったと整理されることがある[10]。
批判と論争[編集]
批判として最も多いのは、伝承の“具体性”が後世の編集によって過剰に補強されたのではないか、という点である。特に『流れの箱庭』や『市渠記録 第4号』に含まれる日数や温度の記述は、衛生技術の実態と整合しないとの指摘がある。ただし一方で、整合しないからこそ口承の記憶術として機能した可能性があるという反論も存在する。
また、王女信仰が特定の集団を排除する言説へ転用されたという主張もある。たとえばのパンフレット『清掃の掟』では、王女儀礼を省略する家に「泡が先に立つ」という表現が用いられた。ここから、恐怖を利用して協力を引き出す統制手法として批判が生まれたとされる。
さらに、最も“嘘ペディア”的論争ポイントとして、『王女は下水を浄化するが、浄化した水は飲用に戻さない』という条項が、後年の観測データとして提示された件が挙げられる。この条項の根拠文献としての報告書(架空)『第19回衛生観測年報』が参照されているが、同年報のページ数がしかないのに、附録だけでの観測が記載されている点が不自然だと指摘されている[11]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ローラ・グレイン『ロンドン下水網と民間語り』ケンブリッジ大学出版局, 1978.
- ^ ヘンリー・ワッツ『衛生の詩学:口承資料の統計化』Oxford University Press, 1984.
- ^ エドワード・グレンフェル『流れの箱庭:dobb王女の歌集』ロンドン書房, 1621.(タイトル表記が原本と異なるとされる)
- ^ M. A. Thornton『Urban Sanitation Myths in Late Tudor London』Journal of Public Folklore, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 141-168.
- ^ S. R. Bennett『Contractual Rituals and Maintenance Compliance』International Review of Social Hygiene, Vol. 7, No. 1, 2002, pp. 55-82.
- ^ 中村岬『衛生行政と読解の格差:18世紀英国の掲示文分析』東京大学出版会, 2009.
- ^ A. L. Pearson『The Dobb Ledger: Myth as Data Structure』London Historical Methods, Vol. 3, No. 2, 2016, pp. 9-37.
- ^ Gareth Prowse『臭気の色:記述慣習の変遷』Bathston Statistical Office(架空), 第19回衛生観測年報, 1807, pp. 1-61.
- ^ 山本理紗『都市伝承の編集過程に関する覚書』筑波書林, 2014.
- ^ イザベラ・クロフト『下水聖女の社会史』社会史叢書刊行会, 2021.
外部リンク
- 下水王女アーカイブ
- ロンドン伝承地図プロジェクト
- dobb帳 影印コレクション
- 衛生民俗学ワーキンググループ
- 臭気の分類学データベース