どろろ
| 分類 | 地域慣行・民間医療・物品流通 |
|---|---|
| 主な舞台 | の沿岸部を中心とする複数藩 |
| 関連語 | どろろ薬、どろろ塗り、どろろ問屋 |
| 成立時期(推定) | 末〜初頭 |
| 中心主体 | 村役人・在郷薬種商・出入りの祈祷師 |
| 効果の主張 | 泥擦れ・湿潤疾患・家屋の腐朽抑制(と称された) |
| 論争 | 効能の科学性欠如と、過剰な買い上げの慣行 |
(どろろ)は、泥(どろ)をめぐる土地慣行と、それを「治す」と称して流通した民間技術の総称として、で一時期広く語られた概念である[1]。語源は同音の擬態語に由来するとされるが、同時に江戸期の記録では「どろろ薬(どろろやく)」のように商品名としても現れる[2]。
概要[編集]
は、泥にまつわる生活上の不便を「病」「汚れ」「呪い」として再編し、その解決策として流通させた一連の慣行を指すとされる概念である[1]。
成立経緯は、沿岸部で増えた湿潤環境への対処として始まったと説明されるが、のちに商品化され、特定の問屋網により広域へ広がったとされる[2]。こうした過程は、結果として「泥そのもの」よりも「どろろという商品名」に価値が集まる構造を生んだとされる。
なお、現代の一般語感からは単なる擬態語に見えるが、当時の文書では「どろろ」を固有の物品・サービスとして扱う記述が散見されるため、言葉が概念化していった流れがうかがえるとされる[3]。この点が、後世の解釈を大きく二分した原因にもなったとされる。
歴史[編集]
起源:湿地改良と「泥の人格化」[編集]
末、の八郎潟周辺で進んだ用水整理の過程では、排水が追いつかず「泥が戻る」現象が頻発したと、地域の年寄帳には記されているとされる[4]。そこで村の有力者が、泥を単なる物理現象ではなく「戻る性質を持つもの」と捉え直し、儀礼と結びつけたのが「どろろ」の初期形であったという説がある[5]。
この説では、祈祷師が独自に作った「泥擦れの治癒歌」を、在郷薬種商が節回しごと売り出したことが商品化の起点とされる[6]。さらに、村役人が「擦れ」による出費を家計簿に反映し、家ごとに必要量を算出する仕組みを作ったことで、どろろは“計量される習慣”へ変わったとされる(例として、1軒あたり「夏季3回・各回7合」のような記録が挙げられる)[7]。
ただし、ここでの数字は伝承記録に依存しており、当時の計量単位が地方で揺れていた可能性が指摘されている。とはいえ「7合」という反復値が複数藩で一致して現れることから、記録の改ざんではなく流通側の規格化が働いたのではないか、という見解もある[8]。
発展:どろろ問屋と藩の許可商い[編集]
次の転機は、沿岸の在郷薬種商が連携して「どろろ問屋」を立ち上げたとされる点にあるとされる[9]。この問屋は、単に薬を扱うのではなく、村ごとの“泥の癖”に合わせた配合を提案したと説明される。
『問屋控帳写』では、経由で仕入れた素材が「計23種」「乾燥度は火加減で9段階」に分類されていたと記されるとされる[10]。ここまで細分化された分類が採用された背景として、祈祷師の言い伝え(泥の戻りを「気配」で診断)を、薬種商が販売規格に翻訳したためだと推定される[11]。
また、藩が許可したのは“治療”ではなく“家屋防腐の補助”としてだったとされる。つまり、の名目上の許可は衛生政策に寄せられ、実際の売買はどろろというラベルのもとで行われたと考えられている。こうした名目のズレが、後世に「どろろが病に見せかけて商いされた」とする批判の材料になったとされる[12]。
社会への浸透:流通網が「泥より先に来る」[編集]
どろろが社会へ与えた影響は、泥に悩む以前に「どろろの説明」が先に村へ流入した点にあるとされる[13]。たとえば周辺では、冷え込みによる湿潤悪化がまだ顕在化していない段階で、問屋の使いが「来る季節の泥は戻りが強い」と布告し、先取りの注文を募ったとされる[14]。
この結果、村人は“自然の悪化”を待たずに出費を確定させることになり、信用を賭けた共同購入が生まれたとされる。さらに、共同購入の単位が「1組15軒」などと固定され、組の外れは「泥の共同罪」として扱われたと、後期の訴状で言及されている[15]。
一方で、どろろの流通が止まると、代替策が確立されていなかった地域では、湿潤由来の不具合が増えたとも記録される[16]。このため、どろろは単なる詐欺的商品として片づけられるのではなく、当時の衛生基盤の薄さを背景に“疑似的インフラ”になっていた側面があるとする研究者もいる[17]。なお、この見方は「実務として効いた可能性」と「理念としては誇張された可能性」を同時に含むため、論争の火種になりやすいとされる。
概要(具体的な仕組みと用語)[編集]
は、単独の薬というより「診断→調合→塗布→祓い」の工程で理解されていたとされる[18]。工程のうち、特に塗布は「泥擦れの部位を、3指の幅で円状に3周重ねる」ような手順が語られ、実演販売の目玉になったとされる[19]。
また、どろろの商流には“代わりの効き目”という概念があったとされる。たとえば問屋は、乾燥が不十分な家庭に対して「水分を“取り戻す”成分」を追加すると説明し、説明文には「戻りの逆転」という比喩が多用されたとされる[20]。この比喩は祈祷師が作った物語語彙を、薬種商の販促文へ転用したものと推定される[21]。
なお、どろろが扱った対象は皮膚だけでなく、家屋の床板や舟底にも及んだとする記述がある。『舟底どろろ記』では、舟一艘あたり「底板14枚」につき「合計18回塗り」を推奨したとされるが、これは過剰と批判された[22]。ただし、塗布回数が多いほど流通が伸びる構造になっていた可能性がある一方、回数を重ねた結果として物理的な防水層が形成された可能性も指摘されている[23]。
批判と論争[編集]
に対しては、効能の根拠が乏しいことと、買い上げ圧力が強かったことが繰り返し問題視されたとされる[24]。とくに訴状類では、期限を切った“泥の前借り”のような慣行が指摘されている。ある記録では「返金は泥が引いた後」とされ、結果として返金不能が常態化していたと主張されている[25]。
また、医学的には説明が難しい要素が多かったため、経由の蘭方系知識を持つ医師が、どろろを「湿潤の観察を誤魔化す言葉」と評したと伝えられている[26]。ただし、その医師の発言がどの地域にどの程度伝わったかは定かではなく、後世の筆記により脚色されている可能性もあるとされる[27]。
一方で、批判側が“全否定”に傾くと、現場での改善報告まで否定してしまうため、実務面の評価と倫理面の批判を分ける必要がある、とする折衷的な見解も出ている。具体的には、「塗布が物理的に有用だったなら、言葉の誇張は別問題である」という議論が登場したとされる[28]。この論争は最終的に、どろろを「言語としての現象」と「物品としての現象」の二重構造で扱う方向へ進んだと考えられている。
用語集(読まれ方の癖)[編集]
という語は、記録上では少なくとも3つの意味で運用されたとされる[29]。第一に「泥の戻りを指す現象名」、第二に「それを抑えるとされる塗布材」、第三に「問屋が売る一式(診断・手順・祓い)の総称」である。
このため、同じ文書でも解釈が揺れ、研究者間で読み違いが起きやすいとされる。たとえば「どろろを止めれば悪化した」とある場合、それが塗布材の停止を指すのか、現象名としての“説明の停止”を指すのかで結論が変わるとされる[30]。
なお、俗説として「どろろとは、泥が“喋る前触れ”である」とするものもあり、使いの祈祷師が妙に語りたがった地域では定着したとされる[31]。この俗説は科学的検証の対象外とされながらも、当時の商いの語り口としては合理的だったと指摘されている[32]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐藤直久『泥の戻りと民間工学』東北図書刊行会, 1721年。
- ^ Margaret A. Thornton『Folk Commodities of Wet Regions』Oxford University Press, 1908.
- ^ 鈴木清太『どろろ問屋控帳の系譜』藩政文庫, 1874年。
- ^ 田中信行『擬態語が規格になるまで』国語史学会叢書, 1933年。
- ^ Hiroshi Kuroda『Rituals, Measurement, and Early Hygiene in Coastal Domains』Journal of East Asian Health History, Vol.12, No.3, pp.41-66, 1987.
- ^ 阿部季矩『床板と塗布回数の統計的読解』生活技術研究所紀要, 第9巻第2号, pp.77-102, 1962.
- ^ Émile Delacroix『Le Marché des Remèdes Populaires』Librairie du Port, 1911.
- ^ 渡辺精一郎『泥擦れの社会史—前借り商いの研究』明治学院出版社, 1899年。
- ^ K. S. Rahman『Money, Faith, and Local Remedies』Cambridge Studies in Social Myth, Vol.4, pp.201-229, 1976.
- ^ 藤堂みなと『舟底どろろ記の翻刻と注釈(改題版)』海事史資料館, 2004年.
外部リンク
- 東北民間医療アーカイブ
- 藩政許可商いデータベース
- 湿潤環境史の研究ポータル
- 擬態語と商品名の連鎖サイト
- 舟底防腐技法の系譜見聞録