ホモアリホモナシホモホモ
| 分野 | 言語人類学・記号論・即興文化 |
|---|---|
| 成立時期 | 1960年代後半に口承で増幅したとされる |
| 唱和要素 | 「ホモアリ」「ホモナシ」「ホモホモ」 |
| 目的 | 曖昧な概念の境界を“確定した扱い”にすること |
| 主要な場 | 大学サークル、路上集会、稀に行政研修 |
| 関連語 | ホモ格子・ナシ条件・ホモ反転 |
| 主唱者(仮説) | 東京の即興詩人とされる渡瀬(とせ) |
| 受容範囲 | 主に国内だが海外学会でも断片的に紹介された |
(ほもありほもなしほもほも)は、ある種の分類規則を“口上”として唱えることで概念の境界を確定させるとされる、日本の即興言語儀礼である[1]。一見すると奇妙な反復句に見えるが、研究者の間では記号論的な折衷手法として論じられてきた[2]。
概要[編集]
は、対象を「ある(アリ)」と「ない(ナシ)」の両極に振り分け、その上で“両極が同時に成り立つ状態”を「ホモホモ」として据える、段階的唱和から成る規則であるとされる[1]。
成立の経緯については、1960年代末、東京の路地で行われていた“口上整理”の習俗が、即興詩人の間で記号論的に再解釈され、固定フレーズ化したと説明されることが多い[3]。なお、初期の記録は紙ではなく、喫茶店のレシート裏に走り書きされていたため、後年になって文献化が進んだとされる[4]。
歴史[編集]
起源:学会ではなく“換算表”から始まったとされる[編集]
起源は、の付属図書館ではなく、文献複写業者の倉庫で生まれたという説がある。倉庫で働いていた技術員・長倉は、複写料金をめぐる「ある/ない」の判定が揉めがちであることに着目し、料金表に合わせる形で唱和句を作ったとされる[5]。
この唱和句は当初、特定の文字列を“秘密の仕切り”として扱うだけのもので、実際には「ホモアリ=差額あり」「ホモナシ=差額なし」のような換算ルールが中心だったとされる。ただし、参加者が増えるにつれ換算の中身は失われ、代わりに反復の快感だけが残ったと推定されている[6]。
さらに、港区の小規模詩会で「両方が成り立つなら矛盾ではなく位相の問題だ」と語った人物がいたとされ、その人物の名は公式記録では伏せられているが、後年の座談会録では“渡瀬(とせ)”として再登場する[7]。この曖昧さが、のちの研究者を惹きつけたとも指摘される。
発展:行政研修で“境界確定ゲーム”として採用された[編集]
1970年代、の一環として、住民相談の事例を分類する訓練が導入された。この訓練では、相談内容を「救済の対象(アリ)」「対象外(ナシ)」に振り分け、最終的に双方の語りが同時に成立してしまうケースを「ホモホモ」にまとめる、といった運用が試されたとされる[8]。
東京都内の実施記録として、近くの研修施設で“全25回のワークショップ、延べ312名参加、1回あたり平均唱和回数17.4回”が報告されたという記述が残っている[9]。ただし、この数値の出所は不明であり、同時期に作られた“自己申告票”を根拠にした可能性があるとされる(要出典の注記がつきそうな箇所である)[9]。
この運用は、分類の見落としを減らしたと評価される一方、唱和が先行し内容理解が後回しになったという批判も生まれた。特に、の公民館で行われた例会では、参加者が“ホモホモ”を「結論保留の合図」だと誤解し、処理が長引いたという逸話が伝わっている[10]。
海外紹介:断片的に“Homo-homo”として翻訳された[編集]
1990年代、記号論の文脈で「複数の真偽条件を、順序つきで扱うための口上」として欧州に短報が紹介されたとされる[11]。ただし、海外での訳語は統一されず、ある論文では「Homo-homo」を“homophonic harmony(同音的調和)”として説明したため、原義からずれた理解が広まったとされる[12]。
結果として、現地では“意味論よりも音韻の儀礼”として受容された。たとえば、の小規模カンファレンスで「唱えると主張が滑らかになる」といった感想が記録されたという[12]。この誤差が、国内の研究者から「それはホモアリ/ホモナシの順序を無視している」と反論される材料にもなった。
内容と仕組み[編集]
唱和の基本形は、まず「ホモアリ」で対象の“ある側面”を列挙し、次に「ホモナシ」で“ない側面”を列挙する。その後、「ホモホモ」で両者の同居を宣言する、という3段階構造であるとされる[1]。
実務上は、言葉の定義を厳密に固めるよりも、判断の帳尻を合わせることに重きが置かれる。参加者が口上を終えた時点で、対象は以後“その境界に属するものとして扱われる”とされ、これが儀礼としての効力だと説明される[3]。
なお、この規則にはいくつかの派生運用があり、たとえば「ホモアリ」を省略して“いきなりホモナシから始める”と、分類のトーンが“否定的に始まるため記憶に残りやすい”とする報告がある[6]。逆に、末尾の「ホモホモ」を二回連呼すると、参加者間の交渉が緩むという“現場感覚”も語られてきた。
社会的影響[編集]
は、単なる言葉遊びではなく、曖昧さを扱うための“手続き”として機能したとされる。特に、分類が人間関係に直結する領域、たとえば住民相談、サークル内の役割分担、学内の研究テーマ審査などで、衝突を遅延させる潤滑油として使われたという[8]。
一方で、手続きが先行すると“議論の中身”が空洞化する危険も指摘された。実際、の学生運用では、テーマ選定の会議が“唱和の上手さ”を競う方向に傾き、採択基準が見えにくくなったと記録されている[13]。
それでも、儀礼には教育的側面もあったとされる。唱和の順序を守ることで、「異なる立場の言葉を同じ場で並べる」ことが促進されたとする評価があり、特に合意形成の訓練に関しては“平均合意時間が31%短縮した”とする内部報告が残っている[14]。ただし、算出方法は“会話ログの主観カウント”だった可能性があるとされ、信頼性には揺れがある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、儀礼が“判断の責任”を言葉の反復に移してしまう点にある。つまり、結論が出ないのに「ホモホモと言ったから出た扱い」になると、説明責任が曖昧になるという指摘である[15]。
さらに、学術的には用語の翻訳ブレが問題視された。海外で「Homo-homo」を音韻的調和として理解した流れが、国内研究者の“境界確定”という説明と噛み合わず、誤読が累積したとする批判が出た[12]。
また、もっと直接的な論争として、地方の研修会で“唱和回数”を成績に換算した運用が報告されている。たとえば、の研修で「1回の誤唱は-2点、二重ホモホモは+5点」とする採点表が配布されたとされるが、その表は現在行方不明で、目撃証言のみが残る[16]。それでも当時の参加者が詳細に覚えていることが、逆に真偽を分からなくしているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡瀬徹也『口上整理の方法論——ホモアリ/ホモナシの成立過程』港区文化研究所, 1978.
- ^ 長倉昌平「複写料金判定と唱和規則の関係」『言語儀礼研究』第12巻第3号, pp. 41-63, 1981.
- ^ Marta L. Dupont「Homo-homo as sequential truth handling: a rumor in Europe」『Journal of Performative Semiotics』Vol. 9, No. 2, pp. 115-132, 1994.
- ^ 松葉光一『曖昧さを“確定扱い”にする技術』東京大学出版会, 2002.
- ^ 自治体相談訓練検証班『境界確定ゲームの効果報告書』東京都庁研修局, 1973.
- ^ K. Rutherford「On phonetic drift in improvised incantations: the case of Homo-homo」『Proceedings of the International Congress on Minor Languages』Vol. 3, pp. 77-90, 1998.
- ^ 田辺玲奈『反復句と記憶定着——17.4回の謎を追って』名古屋学芸大学出版部, 2010.
- ^ 佐伯慎吾「要出典が増える記事の作法」『編集者の余白技術』第5巻第1号, pp. 12-27, 2008.
- ^ 濱口綾乃『唱和採点制度の社会史』大阪教育出版社, 2016.
- ^ Benedetta Rossi『Ritual Classification and Responsibility Transfer』Routledge, 2020.
外部リンク
- ホモアリホモナシホモホモ資料館
- 港区即興詩会アーカイブ
- 記号論的折衷研究会
- 境界確定ゲーム検証ログ
- 小規模カンファレンス講演集(断片)