ポプリアルッカ
| 名称 | ポプリアルッカ |
|---|---|
| 読みにくさ指数 | 7.8/10 |
| 提唱時期 | 1928年頃 |
| 提唱者 | 西園寺 兼松、Margaret L. Halloway ほか |
| 主用途 | 紙片選別、音響分類、都市雑音の整流 |
| 中核施設 | 東京紙粒研究所 |
| 関連行政 | 内務省都市騒音臨時調整委員会 |
| 代表的文書 | 『ポプリアルッカ運用覚書』 |
| 流行地域 | 東京、横浜、神戸、札幌の一部 |
ポプリアルッカは、末期の日本で考案されたとされる、紙片をで選別しながら音階化するための装置群およびその運用思想である[1]。もともとはの印刷工場で発生した静電気対策として始まったが、のちにの私設研究会を中心に「都市の偶然を可聴化する技術」として体系化されたとされる[2]。
概要[編集]
ポプリアルッカは、を細片化した際に生じる揚力と反響音を利用し、対象物を五種類の容器へ自動的に振り分けるための装置、ならびにその周辺思想を指す語である。一般には初期の工場技術として語られることが多いが、実際にはの印刷・音響・都市計画の三分野が半ば偶然に混線した結果として成立したとされる[3]。
この概念の特異な点は、機械そのものよりも「紙片が落ちる音を社会の秩序として読み替える」発想にある。後年にはの騒音計測、の児童用教材、さらには料亭の献立分類にまで応用されたとされるが、いずれも用途が拡大するほど説明が曖昧になったため、資料の一部には要出典タグが付くことが多い。
歴史[編集]
起源[編集]
起源については、にの活版印刷所で起きた紙くず詰まり事故が有力である。工員の西園寺兼松が、送風機の角度を変えただけで紙片の飛散方向がほぼ一定になることに気づき、これを「偶然の整流」と呼んだことが発端とされる[4]。
一方で、同年に来日していたアメリカ人技師が、試験室の蓄音機で紙片の落下音を録音し、周波数の偏りから紙の厚みを逆算できると主張した記録もある。この二つがの喫茶店「紫雲亭」で合流し、翌月には試作機第一号が組み上げられたとされる。
制度化と流行[編集]
、の外郭団体である都市騒音臨時調整委員会がポプリアルッカの実験を視察し、工場内の雑音を「公共のリズム」として管理できる可能性に注目した。これにより、東京市内の工場に限定して補助金が出され、うち工場は紙片の代わりに煎餅の欠片を流したため、実験の再現性が著しく損なわれたという[5]。
しかし、装置の見た目が妙に美しかったことから、技師だけでなく舞台美術家や学校教師まで関心を示し、には「ポプリアルッカ式分類台」という家庭用簡易版が百貨店で販売された。売上は初月で台を記録したとされるが、うち半数近くは傘立てとして転用されたという指摘がある。
戦後の再解釈[編集]
後、ポプリアルッカは装置としてよりも、教育心理学上の比喩として再注目された。特にの公開講座では、紙片が風に流される挙動を「進路選択の可変性」に見立てた講義が行われ、受講者名のうち名が「よく分からないが非常に納得した」と回答したとされる[6]。
その後、には自動仕分け機の普及に押されて衰退したが、逆にアナログな不確実性を重視する芸術家のあいだで再評価された。特にの前衛劇団「港風座」は、舞台上で紙片を撒き、観客の拍手の強弱で結末が変わる演出をポプリアルッカの系譜に位置付けている。
構造と方式[編集]
標準的なポプリアルッカ装置は、送風筒、紙片導入口、共鳴胴、五連式仕分け籠の四部から成る。とくに共鳴胴はの仏具店で流用部材を探した結果、たまたま末の蓄音機ホーンに近い形状になったとされ、これが音響増幅に寄与した[7]。
仕分け籠は「北風」「南風」「無風」「逆回転」「その他」の五区分で記録されることが多いが、実際には実験ごとに名称が異なり、地方支部では「甘い」「しょっぱい」など味覚で分類する例もあった。なお、の標準化会議で区分名を統一する案は、参加者が昼食のの辛さをめぐって揉めたため、採択されなかったとされる。
社会的影響[編集]
ポプリアルッカの社会的影響として最も大きいのは、「分類は必ずしも合理的でなくてもよい」という感覚を都市生活に広めた点である。商店街では半端な包装紙を集めて運勢占いに使う「紙運所」が流行し、の一部店舗では来店客の靴音を聞いて商品を勧める接客法まで生まれた。
また、はに小学校の図画工作教材として簡略版の設計図を配布したが、子どもたちが紙片を飛ばすこと自体に夢中になったため、授業目的との乖離が問題になった。もっとも、当時の視学官報告には「児童の集中力が平均で延長した」と記されており、この数値が後の広報資料で独り歩きしたという。
批判と論争[編集]
ポプリアルッカは、その実用性よりも説明の難しさを理由にたびたび批判された。工学者の一部は「紙片の動きを説明するなら普通の送風機で足りる」と主張し、これに対して支持者側は「普通の送風機では偶然が管理できない」と反論した[8]。
また、の東京物理学会例会では、装置が発する音を「準音楽」と呼ぶべきか「未完成の騒音」と呼ぶべきかで討論が紛糾し、記録上はにわたって議論が続いたことになっている。なお、この回の議事録には、最後に誰かが鉛筆で「結局、掃除が大変」とだけ書き足しており、研究史家のあいだで高く評価されている。
現代における扱い[編集]
に入ると、ポプリアルッカは実用品としてではなく、インスタレーション芸術や企業研修の比喩として復活した。とくに、の展示会「紙と都市の境界」では、来場者人のうち%が装置を見ているうちに自分の書類整理法を反省したとアンケートに回答した[9]。
現在では、国内の一部大学で「ポプリアルッカ論」が選択講義として開講されているほか、自治体の廃棄物削減キャンペーンのマスコットにも転用されている。ただし、実際の資料の多くは戦災と引っ越しで散逸しており、復元機の設計寸法は研究者ごとにからまで幅がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺兼松『ポプリアルッカ運用覚書』東京紙粒研究所, 1930年.
- ^ Halloway, Margaret L. 'On the Acoustic Sorting of Paper Fragments' Journal of Applied Urban Mechanics, Vol. 12, No. 3, 1931, pp. 44-67.
- ^ 渡辺精一郎『都市騒音と紙片の秩序』帝国書院, 1933年.
- ^ 内務省都市騒音臨時調整委員会『試験報告書 第一号』官報附録, 1929年.
- ^ Sakamoto, Jun. 'Poprialka and the Aesthetics of Accidental Regulation' Pacific Review of Experimental Design, Vol. 8, Issue 2, 1956, pp. 101-129.
- ^ 『ポプリアルッカ式分類台の家庭内利用に関する調査』生活科学雑誌 第4巻第11号, 1932年, pp. 5-18.
- ^ 北村怜『紙と風の社会史』みすず書房, 1974年.
- ^ Okada, Henry T. 'The Five-Basket Standard and Its Failure in Japanese Milling Plants' Transactions of the Tokyo Acoustic Society, Vol. 19, No. 1, 1942, pp. 9-33.
- ^ 『ポプリアルッカ講義録 1954年版』大阪大学公開講座資料室, 1954年.
- ^ 三輪里子『未完成の騒音 - ポプリアルッカ再考』青土社, 2018年.
外部リンク
- 東京紙粒研究所デジタルアーカイブ
- 港風座資料室
- 都市騒音学会年報
- 紙と都市の境界 展覧会記録
- ポプリアルッカ復元機保存協会