ポポンガポン
| 名称 | ポポンガポン |
|---|---|
| 分類 | 調律用合図・民俗工学 |
| 起源 | 19世紀末のオランダ領東インド |
| 考案者 | ヘンドリク・ファン・デル・ヴェーリン、ラティフ・スルヤダナほか |
| 用途 | 測量、儀礼、通信、演奏前の音程合わせ |
| 主要地域 | ジャワ島西部、スマトラ島東岸、香港の華僑街区 |
| 標準拍 | 7拍または11拍 |
| 代表的器具 | 双胴鐘、籐製共鳴板、真鍮製指示輪 |
| 衰退 | 1970年代以降の電子計測機器普及 |
| 再評価 | 2010年代の文化保存運動 |
ポポンガポンは、主にの湿地帯で用いられてきたとされる、反響音を利用した調律用の合図およびその周辺技術の総称である。19世紀末のにおいて、測量と祭祀の両方に使われた木製の打鳴具が原型になったとされる[1]。
概要[編集]
ポポンガポンは、打音の反射時間を読み取って位置や調子を確定するための慣習的技法であるとされる。とくに沿岸部では、潮位計の代用としても用いられたという。
名称は、木槌で胴を「ポポン」、受け板を「ガポン」と打ち分けた際の擬音から来たと説明されることが多い。ただし所蔵の1894年の手記には、当初は「ポポンガプン」と記されており、後年の写本段階で語尾が揺れた可能性がある[2]。
歴史[編集]
起源と初期の伝播[編集]
起源は末、の港湾測量隊に属していたが、干潮時に木杭へ打音を与えて水際を判別した経験に求められるとされる。彼は地元の楽師から、同じ打音でも湿地では二度目の反響が「先の音より正直に戻る」と教わり、これを地図作成に応用した。
1897年には、郊外の作業場で、反響の位相差を示すための籐製の円環が試作された。この道具は公式には「共鳴指示輪」と呼ばれたが、現場では輪を回すと音が「ぽぽん」と「がぽん」に分かれることから、いつしかポポンガポンの名で定着した。記録によれば、最初の実演ではの測量官のうちしか使い方を理解できず、残りは儀礼芸能と誤認したという。
制度化と軍用転用[編集]
は1908年、河川改修計画の補助技術としてポポンガポンを半公認した。これにより、の灌漑組合では、毎月第2土曜に「七拍点検」が実施されるようになった。
一方で、の沿岸防衛演習では、海霧下での通信手段として軍に転用され、拍の長短により哨戒船の進路が示されたとされる。もっとも、同演習報告書の末尾には「なお、笛と紛らわしい」との追記があり、制度化の完成度には当初から疑義があった[3]。
民間化と都市流行[編集]
に入ると、ポポンガポンは港湾労働者の間で荷役の呼吸合わせに使われ、やがての華僑街区やの屋台街へも伝播したとされる。とくに夜市では、店主が客引きの拍子として小型の真鍮鐘を鳴らす習慣が生まれ、これが「聞く者の腹を七歩進ませる」と評された。
1936年の万国民藝展では、ジャワ式と広東式のポポンガポンが並べて展示され、後者だけが妙に洗練されていたため、審査員の一人が「もはや音楽ではなく税制である」と記したという。これは後年、民俗工学の古典的比喩として引用されることになった。
技法と器具[編集]
ポポンガポンの基本は、3本の棒、1枚の共鳴板、そして受信側の沈黙で構成される。演者はまず7拍で空間の癖を確認し、次に11拍で目的物の距離を推定する。熟練者は音の戻り方だけでの誤差に抑えられたとされるが、同時代の記録では「風の強い日にはほぼ気分で決まる」とも書かれている。
代表的器具は、の指示輪、の共鳴板、そして「眠る鐘」と呼ばれる低音鐘である。眠る鐘は夕刻にしか正しく鳴らないとされ、のでの調査では、午前に試した研究者12名中11名が単なる鉄片だと結論づけた。なお、残る1名はのちに体系化を行ったである。
社会的影響[編集]
ポポンガポンは単なる技術ではなく、共同体の合意形成の儀礼でもあったと考えられている。作業開始前に7拍を打ち、最後の1拍で全員が一斉に息を吸うことで、誰が責任を持つかを音で曖昧化する効果があったため、植民地期の労働現場で重宝されたという。
また、婚礼や葬送でも使われたことから、「祝うにも別れるにも、まず場所を鳴らす」という民間信仰が成立した。これに関連してのの新聞は、ポポンガポンの流行が「若者の夜更かしを助長している」と批判したが、同じ紙面の広告欄には小型共鳴板の通販が3件掲載されていた[4]。
衰退と再評価[編集]
以降、電子測量機器と拡声器の普及により、ポポンガポンは急速に実用性を失った。とくにの港湾再開発では、最後の常設班が解散し、担当者が器具一式を「潮に返した」と記録されている。
しかし、2010年代になると、観光と文化保存の文脈で再評価が進んだ。の調査では、旧測量所跡から17種の打鳴具が発掘され、そのうち5種は音が出ず、1種は逆に鳴ることが確認された。これを受けてにはの学生団体が「ポポンガポン復元会」を結成し、学園祭で毎年23回の実演を行っている。
批判と論争[編集]
ポポンガポン史をめぐっては、そもそも単一の技法として整理できるのかという批判が強い。民俗音楽学者は、これは測量・儀礼・商取引の三要素が後世に貼り合わされた「行政的民俗」であると指摘した。
一方で、支持派はの作業日誌に登場する同一の拍記号体系を重視し、少なくとも現場では連続した伝統があったと主張する。ただし、当該日誌は表紙が三度差し替えられており、最初の2冊が行方不明であるため、いまだ決着はついていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Hendrik van der Veen『On the Popongapon Method in Wetland Surveying』Journal of Colonial Acoustics, Vol. 8, No. 2, 1909, pp. 114-137.
- ^ ラティフ・スルヤダナ「湿地における二次反響の利用」『東洋測量学報』第3巻第1号, 1898年, pp. 22-41.
- ^ Slamet Prabadi,『Seven-Beats and Beyond: Instrumental Rhythms of the Archipelago』University of Batavia Press, 1931.
- ^ アミラ・プラティウィ「行政的民俗としてのポポンガポン」『民俗工学研究』第12巻第4号, 1978年, pp. 201-229.
- ^ M. A. Thornton『Echo, Tide, and Ritual Signal Systems』Cambridge Maritime Studies, 1954, pp. 55-88.
- ^ 佐伯昌信「ポポンガポン器具の真鍮環に関する寸法誤差」『日本音響民俗誌』第5号, 1966年, pp. 9-17.
- ^ Yusuf Halim「スラバヤ港再開発と最後の打鳴班」『東南アジア都市史紀要』第21巻第3号, 1975年, pp. 77-96.
- ^ N. R. Wijaya『The Sleepy Bell That Only Rings at Dusk』Jakarta Ethnographic Monographs, Vol. 2, 1982, pp. 1-19.
- ^ 高見沢修一『ポポンガポン復元運動と観光経済』港湾文化評論社, 2019年.
- ^ L. de Bont『The Administrative Folklore Problem』Borneo Research Quarterly, Vol. 14, No. 1, 2003, pp. 3-26.
外部リンク
- バタヴィア民俗音響アーカイブ
- 東南アジア湿地測量史研究会
- ポポンガポン復元会
- ジャワ沿岸文化資料室
- 港湾儀礼通信図書館