ヤボセ
| 分野 | 社会慣習・交渉技法 |
|---|---|
| 別名 | 過剰配慮調停(かじょうはいりょちょうてい) |
| 起源とされる時代 | 江戸末期〜明治初期 |
| 主な舞台 | 都市商家と地方自治の接点 |
| 中心概念 | 先回り確認(さきまわりかくにん) |
| 特徴 | 礼節の反復と記録の過密 |
ヤボセ(やぼせ)は、で行われたとされる「やたら丁寧すぎる」調停・交渉の作法を指す語である。民間の慣行として語られる一方、行政文書や研究会の記録にも断片的に見られるとされる[1]。
概要[編集]
は、当事者同士の衝突を和らげるために、本人が言い出す前に論点・感情・手続の順序まで「先回りして確認する」交渉作法とされる。一般には、本人の自尊心を傷つけない配慮として理解されるが、あまりに細かな確認が続くために「逆にやぼったい(=余計だ)」という評価を受けやすいとされる。
語源については諸説があり、最もよく引かれる説明では、江戸後期の「屋坊(やぼう)」と呼ばれた近隣調停係が、町触れを読む前に勝手読み上げを始めたことに由来するとされる。なお、この説はの編纂史料に類似した記述があるとされるが、当該史料そのものの所在は長く不明であったとされる[1]。
研究上の論点は、が単なる礼儀作法にとどまらず、書類・口頭・沈黙のタイミングまで含む「段取りの技術体系」として働いた点に置かれる。実務では、合意形成を早める目的があったとされる一方、手続の過密さが逆に紛争を長引かせた例も報告されている。
歴史[編集]
江戸末期の「先回り確認」[編集]
の成立は、江戸末期の町内紛争の増加と結び付けて語られることが多い。特に、金銀の変動期における売掛の回収で、当事者が互いに「聞いていない」と言い張る事態が頻発したため、調停係が「聞く前に記録する」方向へ振れたとされる。
ある伝承では、調停係の渡辺精一郎(わたなべ せいいちろう)がの小作地をめぐる揉め事で、争点を全7章に分け、各章をさらに3段階の言い換えで提示したという。しかも、最初の30秒は相手の目線移動を観察し、次の15秒で「反論が出る位置」を推定し、最後の20秒で「反論を先に言い換えてから」沈黙を置いたとされる。数字の正確さゆえに作話ではないかという疑念もあるが、の古文書に類似した手順表が見つかったと主張する報告がある[2]。
この時期のは、明確な制度として整備されたというより、商家の若衆が見よう見まねで体系化した「半公式の作法」として広まったとされる。だからこそ、地域によって「先回り」の粒度が異なり、ある町では10項目、別の町では24項目に増えたと記録されている[3]。
明治の官庁的翻訳と記録過密化[編集]
明治期になると、系統の地方事務が整備され、紛争処理にも「説明責任」に似た考え方が持ち込まれたとされる。そこでは、礼儀の形を保ちつつ、行政手続の語彙へ翻訳されていった。
特に、明治30年代にで試行された「街頭調停簿(がいとうちょうていぼ)」では、調停のたびに当事者の発言を「肯定」「保留」「取消し(とりけし)」の3カテゴリで分類し、各カテゴリごとに平均で2.6回の言い換えを行う運用が推奨されたとされる[4]。このとき、言い換えの回数が多いほど解決率が高いという統計が出た一方で、現場では「言い換えを待っている間に感情が冷めるのではなく、熱だけが積算される」という反発もあったとされる。
また、の一部局が、紛争の原因を「取引(しとりひき)」「信用(しんよう)」「面子(めんつ)」に大別し、の確認項目をこの3類型と結び付ける提案を行ったとされる。提案書では、確認項目数の目安が「取引14、信用9、面子11」であるとされ、さらに「面子」だけは声の大きさを0.8倍にするよう指示されていたと報告されている[5]。ただし、当該提案書は写しのみが残っており、原本の真贋は議論されている。
大正・昭和の「摩擦低下」神話と揺らぎ[編集]
大正から昭和初期にかけて、は「摩擦を減らす技術」として語られる機会が増えた。特に、都市化によって人の入れ替えが増えた結果、「初対面の対立」を短時間で処理する必要が高まったことが背景として挙げられる。
一方で、の前身である研究番組の台本では、調停員が丁寧に先回りしすぎて、当事者が「自分の感情まで読まれている」と感じる場面が描写されたとされる。ここから、は和解を促すどころか“監視感”を生む可能性があるという批判が強まったとされる[6]。
戦後になると、の一部研修で「礼節と記録のバランス」が論点化し、確認項目の上限を設ける試みがあったとされる。しかし、上限を決めても現場では「上限に収めるための言い換え」が増えたため、結局平均記録行数が増えたという、皮肉な調査結果が引用されている。とくに、ある自治体の試算では、導入前は月平均1,180行だったのが、導入後は1,326行に伸びたとされる[7]。
実務としてのヤボセ[編集]
の典型的な運用は、(1)論点の先取り提示、(2)当事者の否定可能性を先に言い換える、(3)沈黙の時間を計測してから合意文言を整える、の3段階に整理されることが多い。なお、沈黙の秒数が重要視される点は、礼儀の領域を超えて「測定可能な間(ま)」として扱われた名残であると説明される。
ある研修用マニュアルでは、沈黙は「7.2秒が最も反発が少ない」とされ、さらに直前の言い換えは「原文より短くしてはいけない」と強調されている。短くすると“省略による侮辱”に聞こえるためである、というのが理由とされる[8]。もっとも、このマニュアルは内容が細かすぎるため、実務者からは“理屈先行”と揶揄されたという。
また、は口頭だけでなく、紙の上の整形にも及んだとされる。交渉記録では、重要語に下線を引くのではなく、重要語の前後に「クッション語」を挟む運用が推奨され、例として「了承いたします」を「了承いたしますが、ひとまず…」とする書き方が挙げられたとされる[9]。読者が想像する“丁寧さ”はこのように形を持って規格化されていったと考えられている。
社会的影響[編集]
は、紛争処理における心理的コストを下げる可能性があるとして導入が試みられた。特に、地域の自治会やの小委員会では、揉め事を長引かせる最大要因が“誤解の積み増し”であるとされ、誤解を先回りで潰す発想が重宝された。
ただし、その効果は一様ではなかったとされる。細かな確認が多いほど、当事者の発話量は増え、結果として記憶の対立が深まるという指摘がある。つまり、は“誤解を減らす”のではなく、“誤解が存在する余地を増やしてから潰す”手法として働いた、という解釈がなされている[10]。
また、職能化の過程で「ヤボセできる人」が希少になり、調停員の名声が収益に結び付く現象も観測されたとされる。ある記録では、の商談会で、ヤボセ特別枠の交渉は参加費が通常の1.4倍になったとされる[11]。この数字は当時の物価に比して不自然ではないとされるが、資料の作成時期にばらつきがあるため、真偽が完全には確定していない。
批判と論争[編集]
への批判は、概ね「過剰」「監視」「遅延」に集約される。過剰については、確認が増えるほど当事者の選択肢が減ったように感じられるため、結果として当事者が“決められている感”を抱くという意見がある。
監視の論点では、先回り確認が“相手の未来の発話を読んでいる”と捉えられやすいことが指摘される。ここから、は和解のための礼節ではなく、実質的な主導権の奪取だと批判されることがある。
遅延については、合意形成そのものよりも書類整形や確認作業が優先され、紛争が終わってからも記録の追記が続く“事後仕事”が発生したとされる。この傾向は、昭和後期の一部自治体で“解決までの平均日数”が増えたという統計と結び付けて語られる[12]。もっとも、この統計には、導入後に報告様式が変わった影響が混ざっている可能性があるとされ、単純な因果関係は認められていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎「先回り確認の実務手順について」『町内紛争研究紀要』第12巻第3号, 1909年, pp. 41-63.
- ^ 佐伯綾子「街頭調停簿と交渉記録の言い換え構造」『社会手続学会誌』Vol. 7, No. 2, 1932年, pp. 115-147.
- ^ 井上勝人「過剰配慮調停の地域差に関する比較考察」『地方自治評論』第18巻第1号, 1925年, pp. 9-31.
- ^ 東京市総務局「街頭調停簿運用要領(抄)」『東京市公報』第204号, 1902年, pp. 3-27.
- ^ 農商務省第三局「紛争類型と確認項目の標準案」『行政実務資料集』第6巻第4号, 1911年, pp. 201-229.
- ^ 高橋啓介「放送台本に見る調停員の“読み”の演出」『メディアと社会』Vol. 3, Issue 1, 1940年, pp. 77-98.
- ^ 【架空】山田由里「記録行数の統計による交渉技法の評価」『法と社会の調査』第22巻第2号, 1968年, pp. 203-241.
- ^ 田中正勝「沈黙は戦略である—秒数と反発の関係—」『心理的交渉研究』第9巻第5号, 1956年, pp. 55-81.
- ^ Margaret A. Thornton「Over-Politeness Protocols in Civic Mediation」『Journal of Administrative Rhetoric』Vol. 14, No. 1, 1979, pp. 1-29.
- ^ Kenjiro Matsuda「Cushion Words and Agreement Writing in Japanese Dispute Handling」『International Review of Procedural Communication』Vol. 9, Issue 4, 1986, pp. 321-349.
- ^ 【微妙に不自然】Yabose Symposium Committee『Yabose: A Comprehensive Index of Mediation Practices』Kokusai Shuppan, 2004, pp. 12-19.
外部リンク
- ヤボセ資料館(架空)
- 先回り確認研究会(架空)
- 街頭調停簿アーカイブ(架空)
- 沈黙の秒数計測プロジェクト(架空)
- 過剰配慮調停・用語集(架空)