ユニコーンハート
| 分類 | 菓子、儀礼装飾、都市民俗 |
|---|---|
| 初出 | 1887年頃(異説あり) |
| 発祥地 | 神奈川県横浜市 本牧周辺 |
| 主な材料 | 砂糖、牛乳脂、鉱物性香料、銀箔 |
| 象徴 | 一角獣、心臓、航海安全 |
| 禁忌 | 3回以上冷やすと願掛けが失効するとされる |
| 保存法 | 蜜蝋紙で包み、真鍮箱に納める |
| 関連組織 | 日本装飾糖業協会、神奈川民俗食研究会 |
ユニコーンハートは、角状の結晶を心臓部に持つとされるの総称である。もともとは後半ので、輸入糖蜜の安定化実験から偶然生まれたと伝えられている[1]。
概要[編集]
ユニコーンハートは、表面に螺旋状の光沢を持つ小型の糖製品、またはそれを模した護符的工芸品を指す語である。やの一部では、結婚式や進水式に用いられる縁起物として知られている[2]。
名称はを意味する英語の unicorn と、心臓部を意味する heart の合成であるが、実際には「中心に入れた薬草ペーストが硬化して心拍のように見える」ことから呼ばれたという説が有力である。なお、初期の資料では「unicorn-hearte」「yuniqun halto」など表記が揺れており、とされる部分も多い。
一般には高級菓子の一種として扱われるが、期以降は見世物小屋の景品、終戦直後は闇市の贈答品、平成期にはご当地土産として再解釈されるなど、用途が著しく変遷した。この変遷が、ユニコーンハートを単なる菓子ではなく都市民俗の対象へ押し上げたとされる。
歴史[編集]
誕生と港湾都市の実験[編集]
ユニコーンハートの起源は、に近くの糖蜜倉庫で行われた結晶安定化試験にあるとされる。当時、商人のアーサー・W・グレイヴスと、の通訳官だった沢村兼吉が、輸送中に固まった蜜塊を再加熱し、中心にとを注入したところ、断面が心臓に似た塊が生まれたという[3]。
この逸話は後年の回想録にしか見えず、実際の試験記録はの目録にのみ断片が残る。ただし、1890年代の港湾地図に「UNICORN HEART 試験区」と書き込まれた写本が確認されたとする報告があり、学界では真偽不明のまま引用され続けている。
流行と制度化[編集]
末期には、の外国人居留地で小箱入りのユニコーンハートが流行し、特にの菓子商・早川りつが考案した銀箔巻きのものが人気を得た。1912年には彼女の店で月間約3,400個が出荷され、うち2割が船員による再購入であったとされる[4]。
6年には、の後援で「ユニコーンハート製法講習会」がで開催され、塩分濃度・糖度・加熱時間の標準化が図られた。このとき定められた「心核比率 1:7:2」は現在でも老舗に残るが、どの単位を指すのかは店ごとに異なる。
戦時下と復興[編集]
期に入ると、砂糖統制によって本来の製法は一時的に途絶えたが、代用品として甘藷澱粉と魚油を混ぜた「灰心型」が軍需工場周辺で作られたとされる。これは味よりも形状の保持を重視したもので、配給記録には「星形菓子」とだけ記されていることが多い[5]。
戦後復興期には、の港湾労働者向けに再び配られたことから「帰港祝いの菓子」と呼ばれるようになった。1958年、が復刻版を監修し、ここで初めて真鍮製の小型型抜きが導入された。これにより表面の角が鋭くなり、子どもが舌を切る事故が相次いだが、逆に「本物の証拠」として歓迎されたという。
製法と構造[編集]
典型的なユニコーンハートは、外殻・心核・封蝋層の三層から成る。外殻はと乳脂を低温で練り上げた半透明層で、心核は薬草ペーストまたは色素を含んだ蜜餡である。封蝋層は本来、輸送中の湿気対策として使われたが、後に「開封すると願いが叶う」との俗信が生まれた[6]。
製造には「3回折り返し、7回息を吹きかけ、9秒静置する」という手順が伝承されるが、の内部文書では「気温23度・湿度61%」が最重要条件とされる。一方で老舗職人の中には、満月の夜にのみ色が安定すると主張する者もおり、この点はとしてしばしば脚注が付く。
構造上の特徴は、切断すると中心部がわずかに遅れて脈動するように見えることである。この視覚効果は実際には結晶の屈折によるものだが、30年代の少女雑誌では「小さな心臓が眠っている」と説明され、以後の児童向け図鑑にも長く残った。
社会的影響[編集]
婚礼文化への浸透[編集]
以降、ユニコーンハートは結婚式の引き出物として再評価され、特にの温泉旅館で「新郎新婦の心を一つに結ぶ」として定着した。1984年にはが観光パンフレットに採用し、年間約18万個が土産として流通したとされる[7]。
ただし、包み紙に描かれた角の向きによって夫婦仲が変わるという俗信が生まれ、菓子店に「右向き」「左向き」の問い合わせが殺到した。これを受け、数店では角の向きごとに値段を変える販売法が導入され、地方紙が「愛の角税」と揶揄した。
都市伝説化[編集]
1980年代後半には、ユニコーンハートを夜中に食べると、翌朝に知らない名刺がポケットへ入っているという噂が広まった。主にの飲食街で語られたが、実際には配布イベントの宣伝紙が混入していただけとする説がある[8]。
また、1997年の地域番組で、ユニコーンハートを切断した瞬間に店内の照明が一斉に明滅した場面が放送され、以後「電気を食う菓子」とも呼ばれるようになった。もっとも、後年の検証では照明不良だった可能性が高い。
批判と論争[編集]
ユニコーンハートをめぐっては、伝統食品か観光向け創作かをめぐる論争が繰り返されてきた。とりわけの民俗資料登録候補に挙がった、複数の研究者が「成立年代が資料ごとに15年以上ずれる」と指摘し、保存運動と懐疑派が激しく対立した[9]。
また、製法の一部に鉱物性香料を用いることから、との整合性が問題視された時期がある。これについて老舗の一つは「食べるのではなく、舌で歴史を読む菓子である」と反論したが、行政側は当然ながら採用しなかった。
現代の展開[編集]
以降は、SNS映えを意識した透明樹脂風のパッケージが普及し、ユニコーンハートは若年層にも知られるようになった。とくにのイベントでは、内部に小型LEDを仕込んだ「発光型」が登場し、夜間販売で1日500箱を売り上げた記録がある[10]。
一方で、伝統派は「光ると心核の霊性が逃げる」として反発した。2019年にはの寺院で合同供養会が行われ、賞味期限切れの個体約2,100個が焼却ではなく土に埋められた。この儀式は菓子としては異例であるが、民俗学的にはかなり整った所作であったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 早川りつ『横浜菓子史断章』元町書房, 1931.
- ^ Arthur W. Graves, "Studies on Sugar Core Stabilization", The Port Journal of Applied Confectionery, Vol. 4, No. 2, pp. 11-29, 1891.
- ^ 沢村兼吉『通訳官日記 港と蜜のあいだ』神奈川文庫, 1904.
- ^ 神奈川県菓子工業組合編『復興期装飾菓子資料集』第2巻第1号, 1961.
- ^ Margaret H. Ellison, "The Symbolic Heart in Decorative Sweets", Journal of Maritime Folklore, Vol. 12, No. 4, pp. 201-218, 1978.
- ^ 日本装飾糖業協会監修『心核比率標準書』協会内部刊行物, 1957.
- ^ 小田切真一『観光土産と婚礼文化の変容』港都出版, 1989.
- ^ 横浜民俗食研究会編『港湾都市の甘味と信仰』第3巻第7号, 2004.
- ^ 田所みなみ「ユニコーンハートの登録問題」『民俗資料研究』Vol. 18, No. 1, pp. 55-74, 2003.
- ^ Christopher N. Bell, "A History of Unicorn-Heart Packaging in Japan", East Asian Material Culture Review, Vol. 7, No. 3, pp. 90-109, 2016.
外部リンク
- 神奈川民俗食アーカイブ
- 日本装飾糖業協会
- 横浜港文化研究所
- 港都甘味データベース
- ユニコーンハート保存会