ルパン5世
| 通称 | ルパン5世 |
|---|---|
| 分類 | 世襲型怪盗称号 |
| 初出 | 1897年頃 |
| 活動拠点 | モンテカルロ、パリ、横浜 |
| 前任 | ルパン4世 |
| 後継 | ルパン6世 |
| 関連組織 | 欧州美術流通保全同盟 |
ルパン5世(ルパンごせい、英: Lupin V)は、の欧州伯爵家に起源をもつとされる、世襲型の窃盗称号である。を中心に広がった匿名美術保全運動の中心概念として知られている[1]。
概要[編集]
ルパン5世は、単独の人物名というより、特定家系に継承される「盗みの作法」を示す称号であるとされる。19世紀末にフランス南部の沿岸都市で成立したとされ、富裕層の蔵書、宝飾品、そして時には公文書までを「一時的に移動させる」ことを生業とした[2]。
この称号は当初、の賭博場周辺で噂された変装名義の一つに過ぎなかったが、後に複数の贋作事件と寄贈品の消失が重なり、新聞が便宜的に「ルパン5世事件」と総称したことで定着した。なお、5世という番号は血統順ではなく、初代の門弟帳に記された5件の「完全成功案件」に由来するとされる[3]。
起源[編集]
モンテカルロ盗品目録事件[編集]
起源として最も有名なのは、の「モンテカルロ盗品目録事件」である。当時、の裏方で保管されていた抵当美術品13点が一夜にして入れ替わり、翌朝にはすべてが模写に差し替えられていた。被害額は当時の換算で約38万フランと推定されるが、実際には「損をしたのは保険会社だけであった」と日記に記した匿名の会計士がいたとされる[4]。
この事件で用いられたとされるのが、香水瓶型の合鍵、折り畳み式の梯子、そして賭け札に偽装した伝票である。後年の研究では、これらの道具はの金物職人アンリ・デュヴァルが製作した「移送補助具」であった可能性が高いとされるが、同時代の証言の多くは一致していない。
第五継承の儀式[編集]
ルパン5世の「5」は、五代目を意味するだけでなく、毎年5月5日に行われる継承儀式の回数暗号でもあったとされる。儀式はパリの古い印刷所の地下で行われ、前任者が新任者に対して、盗む対象ではなく「盗まれたことにされるべき対象」の一覧を手渡したという[5]。
この一覧には王室の銀器、地方税の帳簿、演劇の小道具、さらには海軍の測量図まで含まれていた。もっとも、実務上は半数以上が「持ち出すには大きすぎる」と判断され、結果として現場の扉番号だけが盗まれることが多かったとされる。
人物像[編集]
ルパン5世は、冷酷な侵入者というより、帳簿と鍵束の配置に異常な執着を示す編集者的犯罪者として描かれることが多い。証言によれば、作業前に必ず紅茶を2杯飲み、3杯目は「変装の輪郭が鈍る」として断ったという。
また、彼は被害者に対して「盗品の所在を翌朝の新聞広告で知らせる」という奇妙な礼儀を重んじたとされる。広告にはしばしば「返還を希望する者は、港湾の第4倉庫へ、ただし13時17分まで」といった記載があり、実際に行くと倉庫は空で、代わりに美術品の目録だけが丁寧に綴じられていた。
組織と関係者[編集]
欧州美術流通保全同盟との攻防[編集]
ルパン5世の活動は、のちに(EAPS)との対立として語られるようになった。同盟はジュネーヴに本部を置くとされた半官半民の調停機関で、失われた美術品の追跡と、盗難を装った密輸の抑止を目的としていた[6]。
ただし、同盟の記録には「ルパン5世側から毎年クリスマスカードが届くが、差出人欄が違法に美しい」との記述があり、実際には敵対関係というより、互いに相手の存在を前提に制度を整えていたとの指摘がある。
秘書のイレーヌ・ヴォーラン[編集]
最も有名な協力者は、秘書とされるである。彼女は会計、変装、弁舌、切符の手配を一手に担い、特に劇場の控室を中継点として使う技術で知られた。1912年の事件では、彼女が舞台衣装17着を3分で入れ替え、警備員を「今夜の客演は天候のせいで延期された」と信じ込ませたと記録されている[7]。
一方で、イレーヌの実在性については当時の記録官の筆跡が3種類あることから、複数人の総称であった可能性もある。
社会的影響[編集]
ルパン5世の名は、20世紀前半の都市部における「正規流通から外れた美術品の再配置」を象徴する言葉として定着した。特にとフランスの保険業界では、保険証券に「ルパン条項」が追加され、夜間の展示替えに関する補償範囲が細かく規定された[8]。
また、横浜の輸出入業者のあいだでは、梱包が異様に丁寧な荷物を「5世積み」と呼ぶ慣行が生まれたとされる。これは実際には荷崩れ防止の現場語であったが、後年になって「盗品の返送準備」説が付与され、半ば都市伝説化した。
批判と論争[編集]
ルパン5世をめぐる最大の論争は、そもそも一人の人物だったのか、家名の共同ブランドだったのかという点にある。20世紀後半の研究者は、事件ごとの手口の違いが大きすぎるとして「5世は編集委員会である」と主張した[9]。
これに対し、保守的な系譜学者は、墓碑銘の一部に「第五継承者」という表現があることを根拠に、実在の個体を想定すべきだと反論した。ただし、その墓碑銘はの石工組合が作成した見本帳にも同文が存在し、出所は不明である。なお、1928年の要出典付きメモには「彼は一度も金庫を破ったことがない。すべては鍵が自ら開いた」とあり、後世の愛好家に頻繁に引用されている。
年表[編集]
19世紀末[編集]
に初期の活動が確認され、からパリへ移動する鉄道網を利用した連続移送が成功したとされる。には新聞が初めて「ルパン5世」と呼称し、以後、当人の実名はほぼ使用されなくなった。
第一次世界大戦期[編集]
からにかけては活動が減少したが、実際には前線向けの医療器具に紛れて偽造パスポートを流通させたとされる。の冬には、の倉庫で塩漬けの箱詰めを用いた「低温隠蔽法」が試みられた。
戦後と終焉[編集]
後半には、後継者の名乗りが各地で相次ぎ、真のルパン5世をめぐる比定は混乱した。の事件を最後に表舞台から消えたとされるが、港湾文書にはまで同名の出港記録が残る。
脚注[編集]
[1] もっとも、称号制であることを示す同時代史料は断片的である。 [2] ただし、当初は「宝物の返送人」とも呼ばれていた。 [3] 5件の成功案件は、いずれも盗難届が出されなかったため検証が難しい。 [4] 事件当夜の保険帳簿にはインクの染みが多く、数値は再現が困難である。 [5] 継承儀式の存在は、のちの回想録にのみ見える。 [6] 同盟の設立文書はジュネーヴ市立文書館にあるとされるが、閲覧請求が毎回「整理中」で返される。 [7] オペラ座事件については、舞台転換係の証言が最も整合的である。 [8] ルパン条項の原文は保険約款第14条第3項に見られるが、細則は地域ごとに異なる。 [9] ラコストの論文は、その題名の長さでも知られている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ Jean-Luc Moreau『Les Cinq Lupins et la circulation des bijoux』Presses de la Riviera, 1988.
- ^ Margaret A. Thornton, “The Fifth Lupin and the Monte Carlo Inventory Affair,” Journal of Continental Crime Studies, Vol. 12, No. 4, 1994, pp. 201-238.
- ^ 渡辺 精一『怪盗称号の系譜学――ルパン5世を中心に』港湾文化研究会, 2003.
- ^ Pierre Lacoste『Le Lupin comme comité: une lecture administrative』Éditions du Quai, 1979.
- ^ Hélène Vautrin, “L’irrecevable élégance: correspondance et falsification chez Lupin V,” Revue d’Histoire Urbaine, 第18巻第2号, 2006, pp. 55-92.
- ^ 鈴木 真理子「『ルパン条項』の成立と保険約款の変容」『美術流通史研究』第7巻第1号, 2011, pp. 11-47.
- ^ Alfred K. Benson, “Inventory Substitution in Southern European Casinos,” Transactions of the Royal Society of Apocrypha, Vol. 5, No. 1, 1923, pp. 1-19.
- ^ 高橋 由紀子『横浜港と五世積み伝票』東亜物流出版社, 1997.
- ^ Émile Bouchard『Le carnet des cinq succès』Librairie Saint-Michel, 1909.
- ^ Marina Bellucci, “The Fifth Heir and the Missing Door Numbers,” Annals of Imaginary Heritage, Vol. 3, No. 2, 2015, pp. 88-109.
外部リンク
- 欧州美術流通保全同盟アーカイブ
- モンテカルロ近代犯罪資料室
- 港湾文書学デジタル索引
- ルパン称号研究会
- リビング・オブスキュラ・ミュージアム