一覧の一覧の一覧
| 分野 | 情報整理論・アーカイブ運用学 |
|---|---|
| 成立時期 | 19世紀末〜20世紀初頭(とされる) |
| 代表的な用途 | 多段階参照、台帳照合、規程の索引 |
| 構成 | 一覧(階層1)→一覧(階層2)→一覧(階層3) |
| 中心語彙 | 参照子(reference key)、層番号(layer id) |
| 関連概念 | 索引学、台帳工学、逐次照合 |
| 問題点 | 過密化による探索コスト増大 |
| 使用者 | 図書館員、監査官、研究室の書誌係 |
(いちらんのいちらんのいちらん)は、項目を複数段階の階層表にまとめ、さらに別の一覧の中から参照することを目的とした情報整理体系である。発想は資料館の台帳運用から広がり、やがて研究機関や行政の照合業務にも採用されたとされる[1]。ただし、運用の過密化が「検索ではなく迷路を作る仕組み」と批判されることもある[2]。
概要[編集]
は、最上位のにより「どこを見ればよいか」を示し、その下位にあるがさらに「どの要素群を参照するか」を決め、最下位のが「具体的な項目」を列挙する体系であるとされる。特に、同種の資料が大量に存在し、しかも年次・区分・管轄などの切り口が複数ある場合に有効であると考えられた。
その成立経緯には、紙の台帳が増殖することで管理者が「一覧をもう一段上に置く」工夫を始めたという物語がある。たとえば、のある監査局で「書類番号の重複率が月平均0.7%を超えた」ことを契機に、照合表を一覧表として作り、さらにその一覧表自体を一覧化したとする説明が広く引用されている[3]。一方で、層が増えるほど誤参照も増えるため、設計思想と運用手順の両方が問題視されてきた。
成立と発展[編集]
台帳の過剰増殖と「層番号」の発明[編集]
最初期の形態は、の港湾事務所で運用されたとされる「船荷綴り総覧」の増補版である。原資料は巻冊で管理されていたが、1894年の台風期に照合が追いつかず、係員が同じ台帳の“索引”を別紙で作り始めたとされる。ところが別紙索引にも索引が必要になり、結果として「一覧の一覧」が生まれ、さらにその“一覧の一覧”を年度別に格納することで「一覧の一覧の一覧」へ到達したという筋書きである。
この段階で鍵になったのが、層を識別する(layer id)だと説明される。記録によれば、層番号は当初、曜日に結びつけられ「月曜=層1、火曜=層2…」のように割り当てられていた。しかし曜日運用は連休のたびに崩れ、1902年には「層番号を二桁化し、末尾を棚(rack)番号と連動させる」規約へ移行したとされる[4]。
行政照合と「参照子」の標準化[編集]
20世紀前半、の前身にあたる機関群で、規程集の改訂が頻発し、条文番号の照合が監査で問題視された。そこで導入されたのが、条文や付録を一覧化し、その一覧をさらに一覧化することで、監査対象を短時間で特定する手順であるとされる。ここで用いられたとされる仕組みがである。
参照子は、最下位一覧の項目に貼られた「参照のための短い符号」であり、説明では「符号長は6文字、うち先頭2文字が層番号、残り4文字が項目順番号」で運用されたという。もっとも、実際の運用記録では符号の一部が職員の筆癖で3文字化され、監査報告書では「参照子の欠落率が季節で変動し、冬は0.18%、夏は0.31%」のように細かな数字で言及されている。のちに欠落の原因は筆記順序ではなく閲覧棚の暗黙的な移動だったと判定されたが、その“暗黙”こそが一覧の一覧を必要にしたという逆説が語り継がれている[5]。
研究室文化としての定着と「迷路化」への道[編集]
一覧の一覧の一覧は、行政だけでなく研究室の書誌係の間でも定着した。たとえばの一部門では、研究ノートの引用方針が頻繁に変更され、その都度「過去に引用された用語の一覧」が増えていったとされる。用語一覧だけでは足りず、用語一覧の“改訂履歴”を一覧化し、さらに改訂履歴一覧を「研究室の年次報告」一覧の下にぶら下げたことで、三層構造が自然に成立したという。
ただし、この文化はやがて「検索ではなく迷路を作る」方向に傾いたと批判される。最下位一覧の更新が滞ると、中位一覧だけが最新になり、上位一覧は“正しいはずの参照”を示し続ける。結果として、読者は“正しい導線”を辿りながら誤った棚に着地し、そこでさらに一覧を開く羽目になるとされる。この迷路化は、皮肉にも「一覧の一覧の一覧」の成功例として講習会で取り上げられたとも報告されている[6]。
社会的影響[編集]
一覧の一覧の一覧は、情報アクセスの形式を“階層”として規格化した点で影響があったとされる。紙の時代には、閲覧の手順そのものが労務であり、順番を定めることで無駄な往復を減らせる。実際、港湾事務所の統計では「照合に要する平均往復回数が2.4回から1.6回へ低下した」と報告されている[7]。
一方で、層が増えるほど説明責任も増える。上位一覧が下位一覧の更新状況を知らないと、誤参照が“形式”として正当化されてしまうためである。これにより行政文書では、一覧作成者と一覧点検者の分業が進み、点検者には「一覧の一覧の一覧の整合性を3日以内に検算する能力」が求められるようになったとされる。
さらに、教育現場でも波及が見られた。図書館司書養成の課程では、索引の作り方よりも、一覧が一覧を生む構造を理解させることが重視され、「一覧の深さは最大3」とする“講義内規”が生まれた。もっとも、この内規はすぐに破られ、「4層目は“気配”だけに留めよ」という妥協が取り入れられたとする逸話もある[8]。
批判と論争[編集]
批判の中心は、一覧の一覧の一覧が「情報の見通し」を改善するどころか、見通しを“規則の数”として増やしてしまう点にあった。特に、上位一覧の記載者が最下位一覧の実データを参照できない場合、一覧の整合性は形式チェックに置き換わり、誤りが長く温存される。
また、参照子の設計にも論争があった。ある監査官は、参照子を6文字で統一することにより、入力ミスの確率を理論上は0.7%まで下げられると主張したとされる。しかし現場の経験則では、入力ミスの多くは“打鍵”ではなく“閲覧者の読み違え”に由来し、参照子長よりも「層の意味が伝達されているか」が鍵だと反論された[9]。
最終的に、一覧の一覧の一覧は「適切な場面でのみ採用すべき」と位置づけられるようになった。ただし、その適切さが誰の判断で決まるのかが争点となり、講習会では「一覧の一覧の一覧は、理解者が増えれば増えるほど迷路になる」という格言風の結論が残されたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『台帳運用の階層化と監査手順』東京書院, 1908.
- ^ Margaret A. Thornton『The Reference-Key Problem in Multi-Layer Catalogs』Journal of Archival Systems, Vol. 12, No. 3, pp. 41-66, 1932.
- ^ 佐藤春彦『索引の増殖と利用者行動』文政社, 第4巻第2号, pp. 17-29, 1955.
- ^ 山口慎吾『層番号規約の歴史的整理』学術情報規格研究所, pp. 1-38, 1961.
- ^ 伊藤玲子『“一覧の一覧”が生む誤参照の確率論』情報統制論叢, Vol. 8, No. 1, pp. 99-120, 1974.
- ^ Clara M. Benton『On Over-Indexed Retrieval: A Field Report』International Review of Library Operations, Vol. 27, pp. 201-234, 1989.
- ^ 中村義秋『港湾監査と照合回数の統計』港湾行政年報編集委員会, pp. 55-73, 1912.
- ^ 田中博司『図書館講習会の内規と“深さ最大3”の由来』司書教育研究, 第10巻第4号, pp. 5-18, 1999.
- ^ 欧陽青『層の意味論—参照子が読まれない理由』東洋分類学会紀要, Vol. 3, No. 2, pp. 77-101, 2006.
- ^ 小林みなと『一覧の迷路化—点検者の3日ルールとその逸脱』書誌実務学会誌, Vol. 19, No. 1, pp. 11-34, 2013.
外部リンク
- 階層カタログ史料館
- 参照子設計ガイド集
- 台帳照合シミュレータ(デモ)
- 層番号規約アーカイブ
- 閲覧導線の設計例集