三垓不粘
| 名称 | 三垓不粘 |
|---|---|
| 別名 | さんがいふねん、三階餅、不ねり菓子 |
| 発祥国 | 日本 |
| 地域 | 京都府南部・奈良県北部・大阪府東部 |
| 種類 | 保存食、甘味料理、行事食 |
| 主な材料 | 黒豆粉、米飴、塩麹、寒天、胡麻、山椒 |
| 派生料理 | 三垓不粘焼き、白抜き不粘、夜更け不粘団子 |
三垓不粘(さんがいふねん)は、をしたのである[1]。一部のでは「口に入れても三秒でほどけない菓子」として知られている[1]。
概要[編集]
三垓不粘は、とを主材に、とで層状に固めたである。一般に、噛んでも粘りが出にくいことからこの名で呼ばれ、祝い膳と夜食の双方に用いられてきたとされる。
現在では、表面にとをまぶしたものが標準形とされるが、古い作法では木型に入れたまま半日以上休ませる工程が重視される。なお、三垓不粘の「垓」は十の二十乗を意味するが、これは生地の密度を誇張した比喩であり、実際には一切の量的保証を伴わない[2]。
語源/名称[編集]
名称の初出は後期の料理書『都鄙甘味秘録』に求められるとされ、そこでは「三度こねてもなお粘らず、垓のごとく層を成す」と記されている[3]。この「三度」が転じて三垓となった、という説が一般に流布している。
一方で、の菓子司のあいだでは、寺院納めの帳簿に「三階不粘」と誤記されたことが、現在の表記を生んだとする説が有力である。また、奈良側では「不粘」は粘らないのではなく「客の口に粘りつかない礼儀菓子」を意味したとされるが、この解釈はやや後世の付会であるとの指摘がある。
歴史[編集]
成立期(18世紀末)[編集]
起源は年間、北部の寺院台所で作られた「黒豆の練り残し」を再利用したまかない食にあるとされる。湿気の多い夏でも劣化しにくく、僧侶の夜食として重宝されたという。
とくに近郊の米飴商人・渡邊宗右衛門が、寒天の代わりに海藻抽出液を加えたことで層が安定し、後の定型化に繋がったとされている[4]。
普及期(明治〜昭和前期)[編集]
20年代にはの菓子問屋が木箱詰めで出荷を始め、学校行事や講演会の茶菓子として広がった。歯に付きにくいことから「演説の前に出すと沈黙が長くなる」とも言われ、政治集会の会場で妙に好まれたという。
12年にはの保存食研究会が「三垓不粘の乾燥耐性は平均38時間」と発表したが、測定条件が不明であるため、現在でも要出典扱いの資料として扱われることがある[5]。
現代の再評価[編集]
戦後しばらくは家庭の手間菓子として細々と残ったが、末期にの若手料理人が「噛み始めの静けさ」が新しい食感として再評価され、カフェ文化に取り込まれた。これにより、冷やして供する「白抜き不粘」や、炙って香りを立てる「夜更け不粘団子」が登場した。
にはの食文化資料集に「未公認ながら地域内消費の強い甘味」として記載されたことが話題となり、以後は土産物としての地位を確立したとされる[6]。
種類・分類[編集]
三垓不粘は、製法と食感によっていくつかの系統に分けられる。最も基本的なのは、木型で三層に押し固める「本式三層型」であり、祝い事に用いられる。
また、層をあえて乱して口当たりを軽くした「崩し不粘」、胡麻を多くして香りを強めた「黒擦り不粘」、山椒を利かせた「辛口不粘」などがある。近年は冷蔵保存に向く増量型が増え、旅館の朝食に添えられることもある。
材料[編集]
主材料はで、丹波産のものが最上とされる。米飴は粘性を与えるが、三垓不粘ではこれを過剰に使わず、むしろ塩麹で発酵の角を丸める点が特徴である。
副材料として、、が用いられ、季節によってはやが加えられる。古い家では、香り付けにの薄片を笊の下に敷く作法が伝わるが、食品衛生上の観点から現在はほとんど行われない。
食べ方[編集]
一般に、三垓不粘は薄く切り分けて、温かいまたは薄いとともに食べる。口に入れた直後はやや硬いが、体温で層がほどけ、最後に米飴の甘さが残るのが作法とされる。
南部では、朝に一切れを食べると一日中「口が荒れない」と言われるが、これは年配者の経験則にすぎない。なお、法要の席では箸で持ち上げるよりも、紙包みごと軽く割って分ける方が丁寧とされ、落下した欠片を「縁起の一粒」として子どもが集める習慣もある。
文化[編集]
三垓不粘は、の「急がせない甘味」として文化的に位置づけられている。食べる速度が遅いほど味が整うとされ、茶席では会話の間を作る道具としても機能した。
また、の一部の寄席では、開演前に配られると噺家の「間」が伸びるとして重宝された。さらに、昭和末期には工場見学の記念品として人気を博し、外箱に「噛み急ぐべからず」と書かれた包装紙が一種の定型句となった。
近年ではSNS上で「見た目は地味だが妙に高級感がある」として再流行しており、写真映えを狙って断面を誇張した「断層盛り」が流通している。ただし、断層が多すぎると本来の不粘性が失われるため、職人のあいだでは批判もある。
脚注[編集]
[1] 『近畿甘味史拾遺』によれば、三垓不粘は保存食と菓子の中間に位置づけられるとされる。
[2] 「垓」の用法については、料理名に巨大数が用いられる例として珍しいが、実際の分量とは無関係である。
[3] 山岡玄堂『都鄙甘味秘録』私家版、文化14年。
[4] 渡邊宗右衛門の関与については、寺院側の覚書と商家の口伝が一致しないため、諸説ある。
[5] 『大阪保存食品研究会紀要』第3巻第2号、1937年、pp. 41-44。
[6] 文化庁編『地域食文化資料集 2021』には、試験的な地域記載として掲載されている。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山岡玄堂『都鄙甘味秘録』私家版, 文化14年.
- ^ 田辺義一『近畿甘味史拾遺』東山出版, 1978年.
- ^ 松村あきら『木型菓子の民俗学』京都文庫, 1992年, pp. 88-103.
- ^ 大阪保存食品研究会『大阪保存食品研究会紀要』Vol. 3, No. 2, 1937, pp. 41-44.
- ^ S. K. Hirano, “Layered Sweetness and Non-sticking Textures in Kansai Confectionery,” Journal of Japanese Foodways, Vol. 12, No. 1, 2008, pp. 15-29.
- ^ 石原瑠璃子『発酵と甘味のあいだ』南都書房, 2011年.
- ^ M. A. Thornton, “The Politics of Sticky Desserts in Early Modern Japan,” Culinary Histories Quarterly, Vol. 7, No. 4, 2016, pp. 201-219.
- ^ 中井孝蔵『山椒と胡麻の地域差研究』関西食文化研究所, 1984年, pp. 5-18.
- ^ 文化庁編『地域食文化資料集 2021』文化庁, 2021年.
- ^ 渡邊宗右衛門顕彰会『不粘の系譜』第1巻第1号, 1964年, pp. 2-9.
外部リンク
- 近畿甘味史アーカイブ
- 京都木型菓子保存会
- 大阪食文化研究センター
- 発酵菓子資料室
- 不粘料理普及協議会