中原 俊平
| 氏名 | 中原 俊平 |
|---|---|
| ふりがな | なかはら しゅんぺい |
| 生年月日 | 1931年4月17日 |
| 出生地 | 日本・ |
| 没年月日 | 1994年9月2日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民間記録学者、編集者、収集家 |
| 活動期間 | 1954年 - 1994年 |
| 主な業績 | 移動式資料保全法の確立、地方紙資料の再編、口述記録の標準化 |
| 受賞歴 | 日本記録文化賞(1978年)、(1989年) |
中原 俊平(なかはら しゅんぺい、 - )は、の民間記録学者、口述史編集者、ならびに期の「移動式資料保全」運動の提唱者である。地方文書の複写・収集・分類を通じて、地域史研究の裾野を広げた人物として広く知られる[1]。
概要[編集]
中原 俊平は、に生まれたの民間記録学者である。戦後の地方自治体や商店街に残された帳簿、写真、聞き書き資料を収集し、独自の分類法で再構成したことで知られる[1]。
その活動は、一帯の郷土史保存運動と深く結びついており、特に「移動式資料保全車」と呼ばれる改装バンを用いた巡回調査が有名である。中原は、資料が消失する前に現地で複写し、簡易目録を作成して残す方式を広めた人物とされる[2]。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
中原は、の製鋼業に従事する家に生まれる。父・中原善一は工場の検査係、母・キクはの市場で帳面整理を手伝っていたとされ、幼少期から紙束や伝票に触れる環境にあった[3]。
少年期の中原は、工場周辺の掲示板や商店の看板を模写することを好み、のちに本人が「字の形が町の呼吸を決める」と語ったという逸話が残る。もっとも、この発言は1960年代の座談会記録にのみ現れ、真偽については議論がある。
青年期[編集]
、の夜間講習を経てに進み、地域資料論を名乗る独学的な講座を受講した。特にの旧蔵書整理を行っていたに師事し、目録の「一枚ごとの癖」を読む技術を学んだとされる[4]。
この時期、中原は商工会議所の倉庫整理アルバイトに従事し、からにかけて散在する古い伝票を年代別に並べ直した。彼が作成した仮目録は、わずか3日で2,480件を記録したとされ、のちに「俊平式見出しカード」の原型となった。
活動期[編集]
、中原はの旧商店街再編に伴う資料散逸を防ぐため、ワゴン車を改造した「巡回記録室」を導入した。車内にはマイクロフィルム装置、湿度計、折り畳み式の机、乾燥剤が備えられ、1日あたり最大17軒の聞き取りと6,000枚相当の複写が可能だったという[5]。
にはの準会員となり、翌年の年次大会で「資料は保存するより、先に動かすべきである」とする講演を行った。この主張は当時かなり異端視されたが、40年代の自治体史編纂ブームと結びつき、後年の民間アーカイブ運動に影響を与えたとされる。
晩年と死去[編集]
ごろから心疾患が悪化し、活動範囲をから、の講演中心へと縮小した。晩年は、未整理のまま残った「中原分類票」約1万2,400枚の最終調整に没頭したという[6]。
9月2日、内の自宅で死去。享年63。葬儀では、遺族の希望により香典返しとして小型の索引カードが配られたと伝えられるが、これを裏づける一次資料は見つかっていない。
人物[編集]
中原は几帳面で寡黙な人物として描かれることが多いが、実際には冗談好きで、調査先の店先に必ず1つだけ架空の分類番号を混ぜる癖があったという。本人曰く「間違いを1つ残すと、後で全体が生きる」とのことで、この発想は弟子たちのあいだで半ば戒律のように扱われた。
また、現場では異様に細かい数字を好み、バス停から資料保管棚までの距離を歩数で測り、その平均を保管基準に反映させたとされる。1969年の調査ノートには、からまでの徒歩距離を17区間に分けて記録した表があり、のちに「中原の17分割」と呼ばれた[7]。
業績・作品[編集]
移動式資料保全法[編集]
中原の最大の業績は、資料を固定施設に集めるのではなく、現地に赴いて即時複写・即時索引化する「移動式資料保全法」である。これは内の離島・炭鉱町・商店街を巡回するなかで体系化され、1962年には簡易版マニュアル『巡回目録作法』として私家版200部が流通した[8]。
この手法は関係者にも注目され、のちに複数の市町村で試験導入されたが、車両の燃費が悪すぎるため普及率は伸び悩んだとされる。なお、試験導入初年度の平均走行距離は月1,870km、紙焼き写真の消耗率は通常比の1.8倍であったという。
代表的な編纂物[編集]
『筑前町場聞書集』は、中原の編集方針を示す代表作である。商店主、元炭鉱労働者、駅前旅館の女将など74人の証言を、発言の癖ごと残したまま整理しており、後年の口述史研究で参照されることが多い[9]。
『索引は語る』は、分類記号そのものを文学的に読み解くという奇書めいた著作で、の初版には「A-17は沈黙の分類である」といった文言が並ぶ。学術的には賛否が分かれたが、地方図書館の司書のあいだでは意外な支持を得た。
関連機関との協働[編集]
の文化行政担当者や社内の資料整理班との協働も多かった。とくにの旧新聞縮刷版救出計画では、倉庫火災の直前に18箱分の紙面を搬出し、そのうち3箱は乾燥のための倉庫で3週間吊るされたという。
また、の一部研究者との交流から、民間人でありながら大学院セミナーに断続的に出席していた。講義中はほぼ発言しなかったが、終了後にホワイトボードへ分類例を22項目も書き足し、担当教員を困惑させたという逸話がある。
後世の評価[編集]
中原の評価は、期以降に再上昇した。地方アーカイブの再評価が進むにつれ、彼の方法論は「過剰に実務的でありながら、結果として思想的である」と評されるようになった[10]。
一方で、資料の改変や再配置を厭わなかったため、「保存」と「編集」の境界を曖昧にしたとの批判もある。とくに後半に公表された一部ノートには、現地の証言を補うために中原自身が脚注を追加した痕跡が残り、のちにとして扱われることがある。
にはで回顧展が開かれ、巡回記録室の実車模型が展示された。来場者数は3日間で9,842人に達し、地域資料展としては異例の動員を記録したとされる。
系譜・家族[編集]
中原家はの町工場に近い地域に代々暮らしていたとされ、父・善一、母・キクのほか、兄に中原義雄、妹に中原澄子がいた。義雄は製鉄所勤務、澄子は後年で貸本店を営み、店の帳簿保存に俊平式を取り入れたという。
俊平自身はに出身の中原美代子と結婚し、2男1女をもうけた。長男の中原一朗は写真保存技術者、次男の中原慎介は公務員、長女の中原玲子は地域史サークルの世話役になったとされる。なお、孫の代になると誰も分類法を継承しなくなり、家族内では「俊平の棚」と呼ばれる謎の箱だけが残ったという。
脚注[編集]
[1] 中原俊平研究会編『中原俊平資料総覧』北九州資料社、1998年、pp. 3-8。
[2] 田所真理『移動式アーカイブの成立』地方文化研究叢書、Vol. 12, 2004, pp. 41-59。
[3] 『八幡市聞き書き集 成長編』八幡市史料室、1976年、pp. 112-115。
[4] 松井泰蔵『夜間講習と記録学の周辺』西日本学院出版、1961年、第2巻第4号、pp. 9-22。
[5] 山辺一郎「巡回記録室の技術史」『地方資料技術年報』Vol. 7, 1970, pp. 77-84。
[6] 中原美代子「俊平と未整理票」『家族が見た記録者』福岡口述史会、1996年、pp. 1-14。
[7] 黒崎文彦『歩測と分類の文化史』九州記録大学紀要、Vol. 18, 1983, pp. 201-215。
[8] 中原俊平『巡回目録作法』私家版、1962年。
[9] 『筑前町場聞書集』北九州編集室、1968年、pp. 5-263。
[10] Margaret H. Tanaka, “The Ethics of Moving Archives,” Journal of Regional Memory Studies, Vol. 9, No. 2, 2011, pp. 88-103。
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中原俊平研究会編『中原俊平資料総覧』北九州資料社, 1998年.
- ^ 田所真理『移動式アーカイブの成立』地方文化研究叢書, Vol. 12, 2004, pp. 41-59.
- ^ 松井泰蔵『夜間講習と記録学の周辺』西日本学院出版, 1961年, 第2巻第4号, pp. 9-22.
- ^ 山辺一郎「巡回記録室の技術史」『地方資料技術年報』Vol. 7, 1970, pp. 77-84.
- ^ 黒崎文彦『歩測と分類の文化史』九州記録大学紀要, Vol. 18, 1983, pp. 201-215.
- ^ 中原美代子『俊平と未整理票』福岡口述史会, 1996年, pp. 1-14.
- ^ 『筑前町場聞書集』北九州編集室, 1968年, pp. 5-263.
- ^ Robert L. Evans, “Portable Preservation and Postwar Municipal Memory,” The Archive Quarterly, Vol. 6, No. 1, 1979, pp. 14-33.
- ^ 石田千鶴子『地方紙と移動式複写車』日本資料保存協会, 1987年, pp. 55-71.
- ^ Margaret H. Tanaka, “The Ethics of Moving Archives,” Journal of Regional Memory Studies, Vol. 9, No. 2, 2011, pp. 88-103.
- ^ 佐伯和雄『索引は語る——中原式分類の実務と詩学』文化書院, 2006年, pp. 101-128.
- ^ 青木倫太郎『八幡の棚、門司の箱』西海出版, 2014年, pp. 7-19.
外部リンク
- 福岡地方記録学アーカイブ
- 九州民間資料研究センター
- 中原俊平デジタル年譜
- 北九州口述史ネットワーク
- 巡回記録室保存協会