乗り合わせ馬車の悲喜劇
| 作品名 | 乗り合わせ馬車の悲喜劇 |
|---|---|
| 原題 | The Tragicomedy of the Shared Coach |
| 画像 | Kakehashi_Coach_Still.jpg |
| 画像サイズ | 220px |
| 画像解説 | 馬車内で傘が競合する場面 |
| 監督 | 北見良介 |
| 脚本 | 北見良介・相原真樹 |
| 原作 | 相原真樹『県道七里の口笛』 |
| 製作 | 近江映画社 |
| 音楽 | 田代信吾 |
| 撮影 | 松浦孝志 |
| 編集 | 本多静子 |
| 制作会社 | 近江映画社 |
| 配給 | 東邦興行 |
| 公開 | 1931年10月12日 |
| 製作国 | 日本 |
| 言語 | 日本語 |
| 製作費 | 12万8,000円 |
| 興行収入 | 41万6,000円 |
| 上映時間 | 112分 |
| 前作 | なし |
| 次作 | 馬車よ、まだ揺れろ |
『乗り合わせ馬車の悲喜劇』(のりあわせばしゃのひきげき、英題: The Tragicomedy of the Shared Coach)は、に公開されたの映画である。監督は、主演は。、112分。乗合馬車の車内で起きる身分違いの口論と和解を描いた作品で、公開当時は「地方交通映画の到達点」として興行的に大ヒットし[1]、のちにに続編『馬車よ、まだ揺れろ』が作られた。
概要[編集]
『乗り合わせ馬車の悲喜劇』は、初期の沿線を舞台に、同じに偶然同乗した役人、商人、巡礼、荷物持ちが、車輪の故障と座席の奪い合いを通じて互いの階層意識を露呈させる群像劇である。いわゆる時代劇でありながら、銃撃や剣戟ではなく、終始「馬車内の気まずさ」を主軸にしている点が特異である。
本作は、地方巡検を終えたが、実際にの県道で経験した長距離乗合馬車の遅延事件をもとに構想したとされる。もっとも、その遅延が本当に存在したかは定かではなく、当時の新聞記事には「馬と乗客の双方が不機嫌であった」としか記されていない[要出典]。この曖昧さが、のちに都市部の批評家から「交通史に仮託した風俗喜劇」と呼ばれる一因となった。
公開後は、のやので二本立て興行に組み込まれ、座席の狭さと車内の湿気を再現した演出が話題となった。特に車内でを回し飲みする場面は「上映後に実際の乗合馬車でも同じ所作が一時流行した」とされるが、確認できる史料は乏しい[2]。
あらすじ[編集]
物語は、の宿場町・からへ向かう一台の乗合馬車から始まる。車中には、転勤先へ向かうの下級吏員・三枝新之助、塩問屋の未亡人・お栄、巡礼僧・雲道、そして馬車賃を半分しか払っていない自称発明家の源六が乗り合わせる。
途中、車輪の木釘が緩んで車体が大きく傾き、全員が互いの荷物と身体を支え合わねばならなくなる。新之助は体面を保つため終始無言を貫くが、お栄は座席の権利を主張し、源六は「空気圧式揺れ止め具」を売り込んで混乱を拡大させる。雲道は調停役を務めるものの、実は自分だけ先に降りる算段を立てていたことが判明し、車内は一層険悪になる。
後半では、馬が突如として茶店の前で停止し、そこにいた子どもたちが乗客の名前を即興で書いた札を馬車に貼り付ける。これを見た三枝が、初めて自分の肩書が町人たちにとっては単なる「一席分の荷重」でしかないと悟る展開が核心である。終盤、全員が降車時に互いの荷物を取り違えたまま別れ、翌朝に駅逓所へ届いた大量の傘と弁当箱が、和解の証拠として扱われる。
登場人物[編集]
主要人物[編集]
三枝新之助(志摩田栄治)は、の藩吏で、礼儀にうるさいが実務能力は低い人物である。車内で最も多く沈黙する役だが、沈黙の長さが次第に周囲を苛立たせ、結果として全員の本音を引き出す装置となる。
お栄(久保田澄江)は、塩問屋の未亡人であり、席の確保と荷物管理に関して異様な勘の鋭さを見せる。彼女が「この車では傘が家格を決める」と言い放つ場面は、地方の観客の間で流行語になったとされる。
その他[編集]
源六(岡部信吾)は、旅の途中であらゆる不具合を新機軸と呼ぶ発明家である。彼が持ち込む金属ばね付きの弁当箱は、実用性が皆無でありながら、撮影所内では小道具として重宝された。
巡礼僧・雲道(松原玄童)は、世俗を離れた人物を装いながら、実際には誰よりも早く降車位置を確保している。なお、終盤で馬車の修理費をめぐり運転手と交わす長台詞は、脚本段階では7分半あったが、公開版では約3分に短縮された。
声の出演またはキャスト[編集]
本作はとして製作されたため、本来は声の出演は存在しない。しかし、の地方再上映時には活弁伴奏が追加され、が全役を一人で語り分けた版が特に有名である。
主要キャストは、志摩田栄治、久保田澄江、岡部信吾、松原玄童である。馬車の御者役として知られるは、わずか14秒の出演であるにもかかわらず、車輪の音に合わせて眉を動かす癖が「無言の名演」と評された。
スタッフ[編集]
映像制作[編集]
撮影は、編集は、美術はが担当した。車内セットは実際のより18センチ広く造られたが、出演者の多くは「それでも狭い」と証言している。
特殊技術は、馬の首を一度も切らずに車体を揺らすための木製振動台が用いられたことで知られる。また、雨上がりの泥を再現するため、撮影所の庭で30樽分の粘土水が撒かれたという。
製作委員会[編集]
製作は、配給はである。製作委員会名義は後年の再編集版で整えられたもので、当時の台帳では「乗合馬車研究会・映画班」と記されていたとされる[3]。
音楽はが担当し、主題歌「ゆれればわかる」は、公開翌月にの夕刊で流行歌として紹介された。もっとも、歌詞の一節が「傾きは友情の始まり」とあまりに露骨であったため、興行主の一部は上演前の演奏を中止した。
製作[編集]
企画[編集]
企画の発端は、夏に近郊で起きたとされる「七人乗りの馬車に九人が乗った事件」である。北見はこの顛末を聞き、身分秩序よりも座席秩序のほうが人間関係を露出させると考えたという。
ただし、原案者のは後年、「本当は蒸気船の話を書くつもりだったが、船は揺れが単調なので馬車にした」と述べており、企画の源流は複数ある。
制作過程[編集]
撮影は内の旧街道沿いに臨時で敷かれた土路面で行われた。雨天待機が27日続いたため、馬車の車輪には実際より重い鉛環が仕込まれ、走行速度は時速9里から6里へ落とされた。
制作中、車内で台詞を忘れた志摩田が本当に窓から外を見続けてしまい、その無言があまりに自然だったため、監督はそのまま採用したという。この場面は後に「無言の反抗」と呼ばれた。
美術・CG・彩色・撮影[編集]
美術面では、狭さを強調するために座席の背板がわずかに湾曲しており、乗客同士が自然に視線を避ける構造になっていた。撮影監督の松浦は、車内の影を強調するために窓の外へ白布を張り、昼間でも夕暮れのような光を作った。
CGは当然存在しないが、の復元版では走行シーンの一部が手彩色で補われ、これが「日本初期の疑似CG的修復」と呼ばれることもある。
音楽・主題歌・着想の源[編集]
田代信吾の音楽は、馬蹄音を模した低音と、車内の気まずさを表す短いクラリネット旋律が特徴である。主題歌は試写会で拍手より先にため息が漏れたとされ、むしろその反応が作品理解の一部になった。
着想の源として、北見はの市内馬車の記録映画との冬季巡礼輸送の聞き書きを挙げたが、実際には自身が車内で隣席の荷物に半日寄りかかられた体験が最も大きかったとされる。
興行[編集]
宣伝・封切り[編集]
本作は10月12日に・の新星館で封切られた。キャッチコピーは「座れば、わかる。降りれば、なおわかる。」であった。
宣伝では、実物大の馬車座席に観客を3分間だけ座らせる体験展示が行われ、これが逆に「映画より狭い」と評判になった。初週の観客動員は約1万7,400人で、地方巡業用のポスターが足りず、駅逓所の古地図の裏に印刷されたものもあった。
再上映・テレビ放送・ホームメディア[編集]
にはではなく地方局のが断続的に紹介番組を制作し、そこで断片が放送された。テレビ放送では視聴率8.4%を記録したとされるが、当時の測定方法の粗さから議論がある。
映像ソフト化はのVHS版を嚆矢とし、のDVDでは色調がやや青味を帯びたため「DVD色調問題」が起きた。なお、には4K修復版が出たが、車輪の泥はあまりに鮮明で、観客から「汚れまで歴史資料のようだ」と評された。
海外での公開[編集]
海外ではので催された東洋無声映画週間で上映され、字幕では「shared coach」が「共同被運搬体」と誤訳されたため、学術的関心を集めた。英語圏では『The Tragicomedy of the Shared Coach』の題で少数上映されたが、車内の沈黙が長すぎるとして配給会社の一部が短縮版を求めた。
その後、の巡回上映で予想外の人気が出たとされ、地方交通を扱う作品としては珍しく、馬車の揺れに合わせて観客が手拍子を打つ現象が報告された。
反響[編集]
批評[編集]
批評家のは、本作を「交通手段をめぐる封建制の圧縮実験」と評した。一方で、は「喜劇として笑うには揺れが重く、悲劇として泣くには傘が多い」と書き、評価を留保している。
庶民層では、お栄の台詞「席は早い者が勝つ」が広く引用され、戦前の座席争奪を象徴する表現として定着した。もっとも、実際の観客がどこまで意味を理解していたかは不明である。
受賞・ノミネート[編集]
ので美術賞と群像演出賞を受賞したほか、同年ので脚本賞にノミネートされた。いずれも後年の資料整理で名称が揺れており、正式な賞名は確定していない。
またには「最も車輪の音がうまい作品」として特別表彰を受けたという伝承があるが、これは映画館主会の内輪賞であった可能性が高い。
売上記録[編集]
興行収入は全国で41万6,000円とされ、これは同年の地方時代劇としては異例の数字であった。配給収入は26万9,000円で、製作費12万8,000円を大きく上回った。
ただし、帳簿には入場券と一緒に売られた干し芋の売上が混入しているという指摘があり、純然たる映画収入かどうかには異論もある。とはいえ、が次作の製作を即決したことは確かである。
テレビ放送[編集]
の年末特番『無声映画を語る夜』で、が本作を再編集して放送した際、画面下に解説テロップを入れすぎたため、馬車の揺れが字幕より目立つ結果となった。視聴者アンケートでは「解説が多くて馬車に酔った」が最多意見であった。
にはの地方文化番組で一部が紹介され、には深夜帯で完全版が放送された。深夜放送では平均視聴率2.1%であったが、録画視聴率を含めると実質的には倍近いとする報告もある。
関連商品[編集]
作品本編に関するもの[編集]
公開時には、車内の傘立てを模した木製文鎮、源六の弁当箱を模した菓子箱、そして「席順表」が発売された。席順表は実際には座席表ではなく、登場人物ごとの愚痴の種類を分類した冊子である。
に出た絵はがきセットは、なぜか馬車よりも茶店の看板が人気で、現在でも古書店で高値がつくことがある。
派生作品[編集]
の続編『馬車よ、まだ揺れろ』のほか、にはラジオドラマ版、には舞台版『乗り合わせ馬車の夜学』が制作された。舞台版では車輪の音を下駄で表現したため、観客の半数が実際の馬車よりも騒がしいと感じたという。
またには若手映像作家のが、本作を16ミリで再構成した短編『四人と一台』を発表し、批評家から「元作の狭さをさらに狭くした」と評された。
脚注[編集]
1. 近江映画社社史編纂室『地方興行と乗合交通映画』東邦資料出版、1974年、pp. 88-93. 2. 佐伯繁「馬車内会話の反復構造」『新映画評論』第12巻第4号、1932年、pp. 14-21. 3. 相原真樹『県道七里の口笛』湖東文庫、1929年、pp. 201-209. 4. 北見良介『無声の群像と揺れる座席』南窓書房、1940年、pp. 55-61. 5. 田代信吾「馬蹄音と低音旋律」『映画音楽研究』Vol. 3, No. 2, 1931, pp. 3-11. 6. 大沢咲子『活弁と観客のあいだ』琵琶湖文化社、1959年、pp. 102-110. 7. 鈴木邦彦『昭和初期の交通喜劇映画』京浜大学出版会、1988年、pp. 149-156. 8. Margaret H. Thornton, Traces of the Shared Coach in East Asian Silent Cinema, Portbridge Press, 2002, pp. 77-89. 9. Henri Valois, Le cinéma des voitures publiques, Éditions du Nord, 1976, pp. 41-47. 10. 松浦孝志「泥と影の撮影術」『撮影技術月報』第8巻第1号、1931年、pp. 22-29.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 近江映画社社史編纂室『地方興行と乗合交通映画』東邦資料出版、1974年.
- ^ 佐伯繁『馬車内会話の反復構造』新映画評論社、1932年.
- ^ 相原真樹『県道七里の口笛』湖東文庫、1929年.
- ^ 北見良介『無声の群像と揺れる座席』南窓書房、1940年.
- ^ 田代信吾『馬蹄音と低音旋律』映画音楽研究会、1931年.
- ^ 大沢咲子『活弁と観客のあいだ』琵琶湖文化社、1959年.
- ^ 鈴木邦彦『昭和初期の交通喜劇映画』京浜大学出版会、1988年.
- ^ Margaret H. Thornton, Traces of the Shared Coach in East Asian Silent Cinema, Portbridge Press, 2002.
- ^ Henri Valois, Le cinéma des voitures publiques, Éditions du Nord, 1976.
- ^ 松浦孝志『泥と影の撮影術』撮影技術月報社、1931年.
- ^ 黒川葉子『地方劇場と観客の沈黙』東亜文化叢書、1996年.
- ^ 有田恭一『誤訳された字幕の系譜』港北翻訳研究所、2011年.
外部リンク
- 近江無声映画アーカイブ
- 東邦興行資料室
- 琵琶湖地方映画史研究会
- 昭和交通映画データベース
- 活弁再評価プロジェクト