九州新幹線九大学研都市延伸構想
| 正式名称 | 九州新幹線九大学研都市延伸構想 |
|---|---|
| 通称 | 九大延伸案、学研都市ルート |
| 提唱時期 | 1978年頃 |
| 提唱者 | 福岡都市交通懇話会、九州広域輸送研究班 |
| 想定区間 | 博多 - 姪浜 - 九大学研都市 |
| 想定延長 | 約18.4km |
| 計画種別 | 高速鉄道・都市圏連絡線 |
| 主な目的 | 大学輸送、通勤分散、沿線再開発 |
| 評価 | 学術界では高く評価されたが、採算性を巡って長く停滞した |
九州新幹線九大学研都市延伸構想(きゅうしゅうしんかんせんきゅうだいがっけんとしえんしんこうそう)は、を西部の学術・住宅複合地区であるへ延伸するために策定されたとされる広域鉄道構想である。一般には後半に発案されたとされ、の都市圏拡張と大学連携輸送を両立させる計画として知られている[1]。
概要[編集]
九州新幹線九大学研都市延伸構想は、を起点とする高速鉄道を方面へ延ばし、西部の新市街地と大学研究機関を直結しようとした構想である。計画上はを中間結節点とし、平日朝の研究者・学生輸送と、休日の沿線観光需要を同時に取り込むことが想定された。
この構想は、単なる駅延伸ではなく、沿線の土地利用を再編する「学術回廊」政策の中核として位置づけられていたとされる。一方で、急勾配の多い寄りの地形、既存在来線との競合、さらには駅名が長すぎて発券端末に収まり切らないという問題が早い段階から指摘されていた[2]。
成立の経緯[編集]
構想の端緒は、当時の移転・再編をめぐる非公式研究会に求められる。福岡市内の交通学者・行政官・鉄道ファンが集まった席で、ある委員が「大学が西へ動くなら、新幹線も西へ行くべきである」と発言したことが、議事録に半ば冗談として残されたとされる。
これを受けての有志職員が、翌に『西部学研都市高速連絡方策試案』を作成した。試案では、通常の新幹線規格ではなく、車両の側面に研究室向け試料搬送棚を備える「アカデミック新幹線」案が併記されていたが、のちに削除された。なお、削除理由は「冷凍サンプルが振動で偏るため」と説明されたが、実際には会議室で試作コンテナが湯気を上げたことがきっかけだったともいう。
計画内容[編集]
計画の中心は、からまでを既存都市圏輸送で処理し、そこからへ向けて地上高架または半地下で延伸する二層構造にあった。最盛期の案では、営業最高速度、駅間平均、朝ピーク時運転本数、想定所要時間とされた。
また、の研究機能と連携するため、駅舎内に共同研究スペース、特許相談窓口、そして学会帰りのための大型荷物一時預かり所が設置される計画であった。特に注目されたのは、列車到着の2分前に自動で黒板が収納される「講義連動型ホーム設備」であり、鉄道技術者の間では一種の美談として語られている[3]。
提唱者と関係機関[編集]
福岡都市交通懇話会[編集]
福岡都市交通懇話会は、初頭に設立されたとされる半官半民の勉強会である。事務局はの貸会議室に置かれ、月例会では路線図の上に大学名シールを貼るだけで1時間が過ぎることもあったという。
九州広域輸送研究班[編集]
九州広域輸送研究班は、末期の輸送改善案を横断的に検討するための内部班であり、交通工学者のが中心人物とされる。北条は「輸送密度が高いなら、距離も高く見積もるべきだ」と述べたと伝えられ、後年まで引用された。
技術的特徴[編集]
この構想の技術的特徴としてしばしば挙げられるのが、学内輸送を意識した「静音加速モード」である。これは駅周辺での騒音を抑えるため、発車直後の加速度をに制限し、その代わり車内の照明を1段階だけ明るくして心理的速度感を補うものであった。
さらに、研究都市区間では、線路脇に風向計と鳥類観測板を常設し、強風時には列車の代わりに「学術連絡バス」が運行される暫定条項が設けられた。これにより、計画は鉄道でありながら天候に左右されやすいという、極めて珍しい特性を持つことになった。
社会的影響[編集]
構想は実現しなかったものの、沿線地域の地価形成や大学周辺の街づくりに長期的な影響を与えたとされる。では、構想公表後の数年間で「新幹線予定地」を名乗る喫茶店や学習塾が相次いで開店し、看板に小さな新幹線マークを付けることが一種の流行になった。
また、の一部では、この構想をきっかけに「鉄道は駅を作るのではなく、会議を作る」という合言葉が生まれたという。もっとも、実際には会議ばかり増えて工事は進まなかったため、地元紙からは「もっとも会議密度の高い未成計画」と評された[4]。
批判と論争[編集]
批判の多くは採算性に集中した。需要予測は当初1日と見積もられたが、再計算では、さらに夜間ゼミ需要を含めても程度に下方修正されたとされる。これに対し推進派は「研究者は時間に価値があるため、人数で測るべきではない」と主張したが、会議では賛同が広がらなかった。
なお、最大の論争は駅名であった。『九大学研都市延伸構想』という呼称が長すぎるため、時刻表の欄外に入り切らず、印刷担当者が何度も改行位置を直したという。最終的には「九大研都」まで略されたが、これでは何の都市か分からないとして、学内世論の一部から猛反発を受けた。
その後の影響[編集]
代替案への継承[編集]
構想が凍結された後、その一部はの増発やバス専用レーン整備に引き継がれたとされる。特にに入ると、研究施設アクセス改善の名目で、駅前ロータリーの拡張が優先され、結果的に「延伸しないまま延伸効果だけを享受する」状態が生まれた。
文化的残響[編集]
現在でも周辺では、土地の古老が「もし新幹線が来ていれば」という仮定で町の変化を語ることがある。地元の高校では、地域研究の課題としてこの構想を取り上げる例があり、毎年の文化祭では段ボール製の新幹線を学内に引き込む展示が行われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条真一郎『西部学研都市高速連絡方策試案』福岡都市交通懇話会資料室, 1979年.
- ^ 福岡県企画部交通政策課『九州西岸高速輸送と大学立地の相関』県政調査叢書Vol.12, 1981年.
- ^ M. A. Thornton, "Academic High-Speed Rail Corridors in Mid-Size Cities," Journal of Urban Rail Studies, Vol. 8, No. 3, pp. 41-67, 1984.
- ^ 田代誠一『新幹線と研究都市の接続計画』交通工学評論 第6巻第2号, pp. 88-105, 1986年.
- ^ 佐伯美津子『福岡市西部における未成鉄道構想の比較研究』地域交通史研究, 第14巻第1号, pp. 19-53, 1992年.
- ^ The Kyushu Regional Transport Laboratory, "Station Names Too Long for Ticketing Systems," Rail Systems Quarterly, Vol. 5, No. 1, pp. 12-18, 1995.
- ^ 山下隆之『学研都市の都市形成と鉄道幻想』都市計画月報, 第21巻第4号, pp. 70-92, 2001年.
- ^ 北条真一郎・他『九大学研都市延伸案の需要再推計と会議回数の増加』九州輸送研究紀要 第19号, pp. 5-24, 2004年.
- ^ 福岡都市交通懇話会編『延伸できなかった鉄道の記憶』西日本出版, 2009年.
- ^ K. Ishibashi, "When Infrastructure Became a Local Myth," Proceedings of the International Symposium on Phantom Railways, pp. 201-219, 2016年.
外部リンク
- 福岡都市交通史アーカイブ
- 九州未成線データベース
- 学研都市再開発研究所
- 西日本鉄道史資料館
- 架空鉄道構想年表