日本列島改造論 新幹線倍増計画
| 正式名称 | 日本列島改造論 新幹線倍増計画 |
|---|---|
| 通称 | 倍増計画 |
| 提唱時期 | 1968年案〜1973年修正版 |
| 主導組織 | 国土開発庁・日本国有鉄道 倍線協議室 |
| 対象地域 | 本州・四国・九州・北海道南部 |
| 目標路線数 | 既存8路線に対し計16路線 |
| 推定総延長 | 約4,860 km |
| 主要人物 | 槙島恒雄、三枝徳太郎、H. L. Whitmore |
| 関連法令 | 列島再配線特別措置法案(未成立) |
| 影響 | 地方空港計画、駅前再開発、時刻表文化の肥大化 |
日本列島改造論 新幹線倍増計画(にほんれっとうかいぞうろん しんかんせんばいぞうけいかく)は、末から前半にかけてとの共同研究班が提唱した、全国の網を従来の2倍に拡張し、主要都市間の移動を「半日圏」から「2時間圏」に再編することを目的とした国家級交通計画である[1]。のちにを中心とする政治・経済の集中を緩和する「列島の再配線」として語られた[2]。
概要[編集]
日本列島改造論 新幹線倍増計画は、43年に作成された極秘メモを起点とする交通・国土一体型の構想である。既存の幹線鉄道を高速化するだけでなく、からまでを格子状に結ぶ「第二新幹線帯」を設けることで、都市の過密と地方の空洞化を同時に解消しようとしたとされる。
この計画の特徴は、路線の本数を単純に増やすのではなく、駅の機能を「通過」「接続」「宿泊」「行政」の四層に分けた点にある。とくにとは、深夜帯に庁舎機能を持たせる「眠れる駅庁」として設計され、駅ビルの屋上に緊急用の小型車両基地を置く案まで検討された。なお、関係者の証言によれば、最初の草案には「列島の背骨を一本増やす」という比喩が使われていたが、実務担当者がそれを文字通り受け取り、設計図の余白に背骨状の配線図を描いたという[3]。
成立の経緯[編集]
発端は冬、との合同会議で、東海道沿線の混雑が「月間で満員電車1,200万回分に相当する」と試算されたことにあるとされる。これを受け、国土開発庁計画局の課長補佐が、当時流行していた論を交通網に適用する覚書を提出した。
一方で、鉄道技術側ではが中心となり、既存のの保守周期を前提にしたまま車両を倍増させる「片肺運転案」を提示した。しかし、これは車両基地の配線容量を超えるとして却下された。代案として、各新幹線に「互換停車駅」を一つずつ設定し、異なる路線間で車両を夜間に付け替える運用が提案されたが、実際には回送の回送が増えるだけで、計画書の厚さが運行ダイヤより先に問題視された。
の修正版では、海外顧問としてアメリカの都市交通学者が招かれたとされる。Whitmoreは「日本の国土は鉄路の密度が高すぎるため、速度よりも接続の儀式が重要である」と述べたというが、これは後年の座談会で本人が半笑いで肯定したため、いまなお出典の扱いが難しい[4]。
計画内容[編集]
路線倍増の原則[編集]
倍増計画では、・に加え、、、、などの準幹線を含む計16路線が想定された。もっとも、すべてを新設すると用地交渉が膨大になるため、既存在来線の上空に高架レールを重ねる「空中併走方式」が採用候補となった。
この方式では、駅舎の2階部分に新幹線ホームを置き、1階を在来線、地下を物流用の短距離特急が走る三層構造が試算されている。特にでは、一帯の地下空間を「都市の予備線路」とみなし、百貨店の搬入口まで線路を延伸する案が議論された。地元商工会からは歓迎されたが、消防当局は「火災時に避難と輸送の区別がつかなくなる」と難色を示した[5]。
駅前再開発との連携[編集]
計画の肝は、新幹線そのものよりも駅前の再編にあった。各主要駅には半径800メートルの「高速歩行圏」が設定され、路線バス、地下道、商店街のアーケードがすべて新幹線時刻に同期させられる想定であった。これにより、列車が着く10分前に焼き鳥店の換気扇が一斉に起動し、5分前に百貨店の値札が自動的に「特急客向け」に切り替わる仕組みまで考案された。
では駅東口の再開発区画を丸ごと「臨時増結スペース」として確保する案があり、学識経験者の間では、駅前広場に植えられたケヤキの列が実質的な騒音防壁として使えるかが真剣に検討された。なお、植栽密度を路線計画に反映させたのは世界でも例がないとされる。
車両と運用思想[編集]
車両面では、従来のを基礎にしつつ、座席を昼夜で反転させる「双面転換座席」案が盛り込まれた。日中は都市間移動、夜間は簡易宿泊を兼ねるため、背もたれが90度以上倒れるのではなく、座席全体が床へ吸い込まれる設計であったという。
また、運転士の代わりにダイヤ管理官が列車に同乗し、到着30秒前に目的地の方角を口頭で宣言する「予告運転」も試みられた。これにより乗客は駅名標を見る前に降車準備ができるとされたが、実地試験では乗客のほうが先に方角を当て始め、運転士の権威が損なわれたため中止された。
政治的背景[編集]
倍増計画は、末期の国土政策として、単なる鉄道網拡張以上の意味を持っていた。中央省庁の文書では、工業地帯の分散、観光需要の平準化、災害時の迂回輸送の確保が掲げられたが、実際には選挙区をまたぐ駅設置要求の調整が最も難航したとされる。
内では、建設推進派と財政抑制派が対立し、建設省系の議員連盟は「新幹線が倍になれば地方は半分の努力で済む」と主張したのに対し、財政当局は「線路を増やすより会議を減らす方が早い」と反論した。結局、計画は全面実施に至らず、地方都市ごとの個別案件へと分解されたが、その断片はのちの延伸や議論に長く影を落としたといわれる。
社会的影響[編集]
計画自体は未完に終わったものの、周辺分野には大きな影響を与えた。まず、自治体が駅誘致のために提出する資料が異様に精密化し、人口推計に加えて「将来の弁当売上」「改札前の傘立て需要」まで記載されるようになった。また、地方紙は新幹線候補地を毎年ランキング化し、県民のあいだで「うちは3.7倍速地域だ」といった独自の誇張表現が生まれた。
さらに、駅弁業界では、列車停車時間が短くなることを見越して「二口で食べ終わる弁当」や「車内で食べると経路が増える」と称する折詰が登場した。なかにはの老舗業者が、停車時間を7秒延長するためだけに付属の箸袋へ路線図を印刷した例もあり、これは現在でも鉄道史研究の小ネタとして引用される。
批判と論争[編集]
批判の中心は、費用対効果と地理的公平性であった。とくに方面の計画では、冬季の積雪対策としてレールを地中に埋設する案が示されたが、地元からは「それでは雪には強いが駅が見えない」と皮肉られた。これに対し、推進派は「駅が見えないからこそ、都市は駅の方へ寄ってくる」と説明したという。
また、計画の一部文書には、輸送需要の予測にの乗車人員だけでなく、当時の月刊旅行雑誌の読者投稿を加味した形跡があり、要出典ながら「新幹線に乗る夢を見た人数」まで算入された可能性が指摘されている。後年の研究では、こうした過大見積もりがむしろ政策の熱量を示す資料として評価される一方、実務的には「夢と線路長を同列に扱うのは危険」とされた。
後世への影響[編集]
1980年代以降、倍増計画は失敗した国家計画というより、地方都市の駅前開発を正当化する方便として再評価されるようになった。建設省OBや鉄道技術者の座談会では、実現しなかった路線名がいくつも語り継がれ、地図帳の余白にだけ存在する「幻の新幹線」が半ば文化遺産化している。
特にの政策史研究では、本計画が「高速交通によって国土の形を変える」という発想を定着させた点が重視される。また、のちの論議や地方空港の再編論にも、倍増計画で用いられた「2時間圏」概念が翻案されているとされる。もっとも、当初の担当官が退官後に残した回顧録には「2時間圏の最大の敵は、列車ではなく会議であった」とあり、これが本計画の本質を最もよく言い表しているともいわれる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 槙島恒雄『列島再配線ノート』国土計画出版社, 1974年.
- ^ 三枝徳太郎『新幹線倍増の技術史』鉄道技術新書, 1981年.
- ^ H. L. Whitmore, "Rail Density and Ritual Transfer in Japan", Journal of Comparative Transit Studies, Vol. 12, No. 3, 1972, pp. 114-139.
- ^ 国土開発庁計画局 編『昭和四十三年度 高速交通再編資料集』官報資料室, 1969年.
- ^ 藤沢博文『駅前都市と百貨店搬入口の関係』都市交通評論, 第8巻第2号, 1976年, pp. 22-41.
- ^ Margaret S. Lorne, "Two-Hour Japan and the Politics of Proximity", Urban Systems Quarterly, Vol. 5, No. 1, 1975, pp. 7-26.
- ^ 日本国有鉄道技術研究所『新幹線車内宿泊化試験報告書』内部資料, 1972年.
- ^ 大野一成『国土の背骨を一本増やす試み』交通政策史研究, 第14号, 1988年, pp. 81-103.
- ^ 中村恵理子『駅庁構想と地方自治体の期待』地方行政と輸送, 第3巻第4号, 1991年, pp. 55-70.
- ^ Robert J. Penfield, "The Sleeping Station Bureau and Other Japanese Innovations", Pacific Infrastructure Review, Vol. 9, No. 4, 1979, pp. 201-218.
外部リンク
- 国土交通史アーカイブ
- 鉄道幻想研究会データベース
- 昭和国策計画文書館
- 新幹線未成線図鑑
- 駅前都市研究フォーラム