京大合唱団
| 正式名称 | 京都大学合唱団 |
|---|---|
| 通称 | 京大合唱団 |
| 略称 | KCUC |
| 本拠地 | 京都大学 吉田キャンパス |
| 設立 | 1911年 |
| 種別 | 混声・男声・委嘱作品研究 |
| 団員数 | 約120名(2023年度登録) |
| 活動拠点 | 京都市左京区 |
京大合唱団(きょうだいがっしょうだん、英: Kyodai Chorus)は、に本拠を置く系の合唱団である。学内の声楽研究会を母体として成立したとされ、現在では「学術的に最も発声理論にうるさい学生団体」の一つとして知られている[1]。
概要[編集]
京大合唱団は、の学内文化活動の中でも特に古い伝統を持つとされる学生合唱団である。創設当初は近くの講義室を転用して稽古を行っていたが、のちに内の寺院や講堂を巡回しながら演奏様式を洗練させたと伝えられている。
団の特徴は、合唱技術そのものよりも「音楽史の文献に基づいて発声を再構成する」姿勢にある。団内には音楽学部ではなく、、の学生が多く、譜面の傍らに古典語の注釈や実験記録が書き込まれることが多い。このため外部からは「歌う研究室」とも呼ばれている[2]。
歴史[編集]
創設期[編集]
団の起源は、当時ので行われた新入生歓迎演奏会にさかのぼるとされる。中心人物はドイツ語学講師のと、国文科の学生だったで、両者が「西洋和声は講義室の空気の湿度で変化する」という仮説を検証するため、十数名の学生を集めて試験的に歌わせたのが始まりとされる[3]。
初期の合唱団は、毎週水曜の午後3時17分にのみ練習を行うという謎の慣習を持っていた。これは当時ののダイヤと、講義の終業時刻が偶然一致していたためで、後年まで「3時17分定刻練習」として受け継がれた。なお、この慣習は発声の安定率を8.4%向上させたという記録があるが、測定方法は不明である。
戦前から戦後へ[編集]
には、団は内の寺社で行われる奉納演奏に参加し、特にの回廊で響かせる低声部が「鴨川の霧を割る音響」と評された。戦時期には活動が縮小したものの、楽譜を製本せず巻紙に写し続けたため、終戦後に保管箱から約2,300ページ分の断片が発見されたとされる[4]。
には、復員学生を中心に再建が進み、同年夏にの前身施設である仮設講堂で復活演奏会を実施した。この公演では、終戦直後の電力制限により照明が42分で落ちたが、団員は暗闇の中で最後まで歌い切り、聴衆の半数以上が立ったまま拍手を続けたという逸話が残る。
大学紛争期と改革[編集]
前後の学生運動の高まりの中で、京大合唱団もまた組織論争の渦中に置かれた。最大の争点は「指揮者の腕の振りが権威主義的か否か」であり、学内では一時的に“無指揮合唱”をめぐる公開討論会が開かれたとされる。
この時期に音楽監督を務めたは、とを接続する試みを行い、曲ごとに練習前の沈黙時間を変える「可変静寂法」を導入した。結果として演奏の精度は向上したが、団員の集中力が高すぎて、本番前に全員が同じ方向を向いたまま5分以上動かなくなる現象が報告された。これが後に「京大停止現象」と呼ばれるようになったという。
活動内容[編集]
定期演奏会[編集]
団の中心行事は毎年秋に行われる定期演奏会である。会場はやが選ばれることが多いが、1960年代には客席数の都合での階段状踊り場を舞台代わりに使用した記録もある。
演目はクラシック合唱曲に加え、団が独自に委嘱した現代作品が多い。とくに初演の《鴨川変奏曲》は、川の流速を参考にテンポを決めるという設計で、当初は「譜面が水文学の報告書に近い」と批判されたが、後年には学内外で再演が重ねられた[5]。
練習と合宿[編集]
練習は通常、の空き教室、あるいは近隣の公民館で行われる。発声前には必ず3分間の呼吸観測があり、団員は胸郭の膨らみを互いに記録する。これはに医学部出身の団員が導入したもので、当初は健康管理のためだったが、次第に「数値が良い日は音程も良い」という迷信へと発展した。
夏季合宿はの山間部で行われることが多く、夜間は琵琶湖の風向きが和声に影響するとの理由から、窓を少しだけ開けたまま就寝する習わしがある。なお、合宿最終日の朝に全員で唱える「起床和音」は、近隣の宿泊施設から“最も穏やかではない目覚まし”として記録されている。
組織と特色[編集]
京大合唱団は、一般的な学生団体よりも縦割りが細かいことで知られている。パートごとの責任者に加え、譜面保管係、音響湿度係、京都方言コーチ、そして「拍子のずれ監査役」が置かれていた時期がある。
また、団内文書には「練習時の笑いは原則として2回まで」や「ハミング中の眼鏡の曇りは自己責任」など、独特の内規が見られる。こうした規則は一見ふざけているようであるが、長年の演奏事故の蓄積から生まれた合理的運用であると説明されることが多い[6]。
社会的影響[編集]
京大合唱団の影響は、学内文化にとどまらず京都の音楽活動全体にも及んだとされる。特にの一部サークルでは、団の「譜面への注釈文化」が模倣され、楽譜の余白に天気図を描く習慣が一時流行した。
さらに、1990年代以降は高校生向けの公開講座を通じて、合唱における発声と統計の関係を広く普及させた。これにより、のいくつかの学校では、朝礼で音程確認を行う文化が生まれたが、教育委員会が正式に推奨したことはないとされる。
批判と論争[編集]
一方で、京大合唱団には「学術的すぎて気軽に聴けない」との批判も根強い。観客アンケートでは、曲の感想欄に「美しかった」よりも「第2楽章の転調根拠を知りたい」が多く記入される傾向があるという。
また、の定期演奏会では、団員が本番直前に発声法をめぐって三派に分裂し、舞台袖で7分間にわたり“母音の位置”を討論した結果、開演が遅れた。この件は一部の新聞で小さく報じられたが、当事者らは「遅延ではなく、熟成である」と反論した[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田島文雄『京大合唱団史 1911-1975』京都音楽文化研究会, 1978年.
- ^ Hermann Graf, “Vocal Humidity and Choral Cohesion in Kyoto”, Journal of East Asian Music Studies, Vol. 12, No. 3, 1924, pp. 41-58.
- ^ 長谷川澄夫『学生合唱における拍節の社会学』吉田書房, 1932年.
- ^ 京都大学文化会編『戦後学内団体復興記録 第4巻』京都大学出版会, 1951年.
- ^ M. S. Caldwell, “The 3:17 Rehearsal Phenomenon”, Proceedings of the International Choral Symposium, Vol. 7, No. 2, 1969, pp. 203-219.
- ^ 岡本千春『鴨川変奏曲とその周辺』ローム出版, 1989年.
- ^ 『京都の学生音楽運動年報』第18号, 京都音楽史料協会, 2005年, pp. 88-96.
- ^ 渡辺精一郎『可変静寂法の理論と実践』近代発声研究所, 1971年.
- ^ A. L. Fenwick, “On the Anti-Authoritarian Gesture in Choral Conducting”, Music and Society Review, Vol. 9, No. 1, 1970, pp. 11-29.
- ^ 山岸友里『合唱団の内規とその心理的効用』京都学術印刷, 2016年.
外部リンク
- 京都大学文化団体アーカイブ
- 関西合唱史研究会
- 京大合唱団OB会資料室
- 日本学生声楽連盟
- 鴨川音響実験センター