人力発電所
| 名称 | 人力発電所 |
|---|---|
| 英称 | Human Power Plant |
| 初出 | 1897年頃 |
| 主な起源地 | 東京府、横浜港、神戸居留地 |
| 施設種別 | 動力回収・蓄電複合施設 |
| 代表的方式 | 踏圧式、懸垂式、回転式 |
| 最大記録出力 | 3.8キロワット相当 |
| 運営主体 | 内務省都市動力局ほか |
| 流行期 | 1920年代-1950年代 |
| 現在の扱い | 一部が保存施設として残るとされる |
人力発電所(じんりょくはつでんしょ、英: Human Power Plant)は、の筋力や呼吸、歩行によって生じる運動エネルギーを、集約・変換して電力に近い形で利用する施設である[1]。主に末の都市衛生政策との接点から生まれたとされ、のちにや周辺で独自の発展を遂げたとされる[2]。
概要[編集]
人力発電所は、複数の人間が一定のリズムで動作することにより、歯車・滑車・フライホイールを介して電灯や信号機に近い機器を駆動することを目的とした施設である。一般には発電という語から想起される火力・水力・風力とは異なり、労働と余暇を同時に電力へ変換する点に特徴がある。
その成立には、後期の都市照明不足、浴場経営の副業化、そして競技会文化の拡大が関係したとされる。特にの一部官僚が「市民参加型電源」として注目したことから、各地のやに試験導入されたという記録がある[1]。なお、最盛期には一施設あたり平均87名が同時稼働していたとの統計があるが、集計方法はかなり雑であったと指摘されている[3]。
歴史[編集]
黎明期[編集]
人力発電所の原型は、に本所区で開かれた「都市余剰筋力利用展」にさかのぼるとされる。当時、展示品の一つであった自転式床磨き装置が、見物人の子どもたちにより異常な回転数を記録し、会場の卓上電球3灯を点灯させたのが発端とされる[2]。この出来事を見た技師・は、筋力を単なる労働力ではなく「都市資源」と捉えるべきだと主張した。
制度化と普及[編集]
にはの外郭団体である「臨時動力試験委員会」が、の倉庫街で踏圧式発電床の公開試験を実施した。ここでは荷役労働者24名が15分間にわたり交代で踏み続け、平均出力1.2キロワット相当を達成したとされる。もっとも、試験報告書の余白には「参加者の笑いで計器がぶれた」とあり、後年の研究者はこの記述を重視している[4]。
最盛期[編集]
末から初期にかけて、人力発電所は遊園地、共同浴場、地方博覧会へと拡大した。特にの「新天満人力電苑」は、回転木馬の客席をそのまま発電機に接続する方式で知られ、夕方には観客が乗れば乗るほど街路灯が明るくなると宣伝された[5]。またでは外国人商館向けに冷蔵庫電源として用いられ、ワイン1本を冷やすために平均6.4人分の漕ぎ運動が必要であったという。
衰退と保存[編集]
の改正以後、商用電源の安定化により人力発電所は急速に姿を消した。ただしやの山間部では、停電対策として「人力補助電源」として細々と継続されたとされる。現在もの旧倉庫跡に、踏み板23枚を備えた保存施設が残るというが、実際には倉庫改修の際に誰かが残しただけの可能性がある[要出典]。
方式[編集]
踏圧式[編集]
最も普及した方式は踏圧式であり、床板を踏むことで下部の偏心軸を回転させる仕組みである。1人あたりの理論出力は0.06キロワット相当とされたが、実用上は靴底の滑りやすさに左右され、の実験では6名が同時に転倒し、逆回転が発生したことで「負の蓄電」が観察されたと報告されている。
懸垂式[編集]
懸垂式は、利用者が吊り輪や握力器を用いて上半身の力を伝える方式で、主に見世物小屋で好まれた。運動後に回収した熱量で温水を作るため、では「汗の出るほど明るい電灯」として宣伝され、実際には電灯よりも利用者の発汗のほうが目立ったという。これが衛生上の問題を生み、からは換気設備の増設を求められた。
回転式[編集]
回転式は、複数人が円形の台に乗り、中央の軸を同時に回す方式である。学校の体操場や寺院の境内で採用されることが多く、のある寺では「念仏の拍子に合わせて発電が最大化する」として信者の列が長く伸びた。もっとも、回転数が一定を超えると軸が共振し、鐘楼の鐘が勝手に鳴るという現象がたびたび起きたとされる。
社会的影響[編集]
人力発電所は、単なる発電装置というより、都市における共同作業の儀礼として理解されることが多かった。では「家族で回す電気」「健康になれる電源」といった広告が掲載され、学校では理科教育と体育を兼ねた教材として導入された[6]。このため、児童の間では「算数の苦手な者が回転数を担当する」という妙な分業が生まれたとされる。
一方で、労働の強制性をめぐる批判も存在した。とくにので起きた「夜会発電騒動」では、町内会の催しに参加した住民が帰宅できなくなり、結果として発電量が増えたことが問題になった。これにより、都市倫理学者のは「人力発電所は電気を作るのではない。義理を作る」と述べたとされる[7]。
批判と論争[編集]
最大の論争は、出力の算定方法であった。多くの施設で「感動係数」「拍手補正」「笑いの持続時間」が独自に採用され、同じ施設でも調査と調査で数値が最大2.7倍異なったという。とくにの博覧会では、発電量を宣伝するために鼓笛隊が導入され、実際の電力と演出的な高揚が区別できなくなった。
また、動物の使用に関する問題もあった。郊外型の施設では、運搬補助として牛や犬が連動式のベルトを引く「半人力発電所」が試みられたが、これは後に労働力と畜力の境界を曖昧にするものとして批判された。なお、一部の古文書には「最良の運転者は雨の日に来ない者である」と記されており、これが勤怠管理の格言として流布したという[要出典]。
保存施設と現代的評価[編集]
現代では、人力発電所は産業遺産としてではなく、参加型インスタレーションの祖型として評価されることが多い。の廃校を利用した展示施設や、の関連イベントで再現装置が設置された例もある。来場者が10分歩くだけでスマートフォン充電1%相当が得られると宣伝されたが、実際には案内表示のほうがよほど電力を消費したとされる。
研究者の間では、これを「未完の再生可能エネルギー史」と見るか、「娯楽化した労働動員史」と見るかで評価が分かれている。ただし、いずれの立場も、人力発電所が都市のエネルギー概念に「誰が回すのか」という問いを残した点では一致している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『都市余剰筋力利用論』帝国工業出版, 1901.
- ^ 内務省都市動力局編『人力発電所試験報告書 第一輯』官報附属印刷局, 1909.
- ^ Margaret A. Thornton, "Muscular Energetics and Civic Lighting", Journal of Imperial Utility Studies, Vol. 12, No. 3, 1924, pp. 145-171.
- ^ 佐伯一馬『踏圧式発電床の理論と実際』東京電気学会出版部, 1913.
- ^ H. L. Pembroke, "Public Exercise as Grid Supplement", Transactions of the Royal Society of Applied Comfort, Vol. 8, Issue 2, 1931, pp. 21-44.
- ^ 神奈川県都市史編纂室『夜会発電騒動関係資料集』横浜歴史資料刊行会, 1930.
- ^ 高橋みのる『人力と義理の社会学』青葉社, 1962.
- ^ Eleanor K. Muir, "The Human Plant and the City", Proceedings of the New Tokyo Institute of Technology, Vol. 5, No. 1, 1958, pp. 9-38.
- ^ 京都発電文化協会『回転式人力装置の民俗誌』山鉾書房, 1974.
- ^ 田島園子『汗と光の近代史』港南堂, 1988.
- ^ R. C. Wetherby, "On the Measurement of Enthusiasm in Power Generation", Electric Leisure Review, Vol. 4, No. 6, 1947, pp. 201-219.
外部リンク
- 人力発電所保存会
- 都市動力史アーカイブ
- 踏圧式装置研究ネット
- 旧横浜港エネルギー博物館
- 近代余剰筋力資料室