仙台市営航空軌道輸送
| 正式名称 | 仙台市営航空軌道輸送 |
|---|---|
| 通称 | 空軌道 |
| 種別 | 準公共航空軌道輸送 |
| 運営主体 | 仙台市交通局 航空軌道課 |
| 運行開始 | 1978年3月 |
| 主要区間 | 仙台駅前 - 勾当台公園 - 長町南 |
| 軌道規格 | 三重気流式可変案内軌道 |
| 営業キロ | 18.6km |
| 平均利用者数 | 平日約12万4,000人(1996年時点) |
| 車両識別 | S-300系航空軌条艇 |
仙台市営航空軌道輸送(せんだいしえいこうくうきどうゆそう、英: Sendai Municipal Aero-Rail Transit)は、宮城県仙台市において、低高度を飛翔する輸送体を上の気流で誘導することを目的として整備された準公共輸送制度である。一般には「空軌道」と略され、昭和後期の都市高速化計画の一環として構想されたとされる[1]。
概要[編集]
仙台市営航空軌道輸送は、周辺の過密化と沿いの強風を逆に利用する発想から生まれたとされる都市交通制度である。一般の鉄道やとは異なり、機体の下部から噴出する整流気流をに沿って反転させることで、車両を“走らせる”のではなく“滑空させる”方式が採用された。
制度上はが所管し、整備・保守は東北大学工学部航空流体研究室の監修を受けたとされる。なお、初期計画ではとの接続も想定されていたが、鳥類保護の観点から滑空高度が7.2メートルに制限されたため、実用化は市街地輸送にほぼ限定された[2]。
歴史[編集]
構想期[編集]
起源は、の都市計画課に配属された技師・渡辺精一郎が、冬季の路面凍結対策として「車輪を捨てれば凍らない」と発言したことにあるとされる。これが宮城県出身の気象学者の目に留まり、の風洞資料を用いた“沿岸風利用輸送”の研究会が発足した。
1971年には、地下に長さ93メートルの実験軌道が設置され、新聞各紙は「空を走るバス」「仙台版の未来都市」などと報じた。もっとも、実験1号機は離陸直後にの欅並木へ軽く接触し、乗客3名が抹茶色の塗料に染まったことから、当初は“緑の事故”として記録されている[3]。
制度化と拡張[編集]
3月、で「航空軌道輸送条例」が可決され、営業運転が開始された。初年度は仙台駅前から、を経てへ至る3系統で始まり、ピーク時には1日あたり最大186便が運行された。
当時のS-100系は定員48名であったが、実際には風向きによって搭乗人数が増減し、追い風の日は最大62名まで搭載できたという。逆にからの下降気流が強い日は、駅員が乗客に紙袋を配って高度変化への備えを促したとされる。これはのちにの伝説的サービスとして語られる一方、実効性については要出典とも言われる。
仕組み[編集]
航空軌道輸送の核心は、地上に敷設されたではなく、レール脇に埋設された空気圧溝である。車両は底面の三枚翼で気流を受け、左右の案内輪がレールに接触することで姿勢を維持する。これにより、理論上は最小半径28メートルの急曲線も通過可能とされた。
また、乗車券には由来のデンプンを混ぜた特殊インクが用いられ、改札機の風圧で券面の模様が変化する仕組みになっていた。改札職員はこの変化を読んで乗客の目的地を判断したが、混雑時には行きの券がと誤認されることがあり、誤乗トラブルの一因になった。
なお、車両下部には「風切り鈴」と呼ばれる小型鐘が装備され、速度が時速72キロを超えるとの方向にだけ鳴り響くよう調律されていたとされる。この仕様は観光客に好評であったが、整備士の間では“仙台市営の悪夢”として知られていた。
車両と路線[編集]
最初期のS-100系は、の木工業者が製作した合板胴体を採用していたため、外見がやや舟形であった。続くS-200系ではアルミ合金化が進み、窓の下部にを模した意匠が入れられた。もっとも、雨天時にはその意匠が水滴を集めて地図のように見えるため、利用者の間では“天気予報車両”と呼ばれた。
路線は最盛期に6系統まで拡張され、——線、——線などが存在したとされる。各駅のホームは風向きに応じて上下2段に分かれ、東口ホームが満員の際には西口ホームから迂回搭乗するという独特の運用が行われた。
また、1986年に設けられた北部の試験支線は、住宅地上空を通過することへの配慮から高度11メートルに固定され、車窓から庭木の剪定状況まで確認できるとして話題になった。利用者の一部はこれを「移動する町内会」と評している。
社会的影響[編集]
仙台市営航空軌道輸送は、都市の移動時間を短縮しただけでなく、市民の気象観を変えたとされる。開業後しばらくは、仙台市の子どもたちが天気予報よりもの運行表を信じる傾向が強く、学校では「本日の風向き」が朝の連絡事項に組み込まれた。
また、沿線商店街では、列車ではなく車両の“滑空音”に合わせて店先ののれんが揺れるようになり、これがの景観形成に寄与したとする説がある。特に七夕期間には、上空を通過する車両の反射光が吹き流しに重なり、結果として「空を走る市電」として観光ポスターに定着した。
一方で、風向きの変化を日常生活に持ち込んだことから、主婦層の間では「洗濯物が乾く日は空軌道が混む」といった経験則が広まり、都市伝説的な交通文化を生んだ。なお、の市民意識調査では、利用者の43.8%が「停車より着地のほうが安心する」と回答したというが、調査票の回収方法に疑義がある。
批判と論争[編集]
航空軌道輸送をめぐっては、初期からとが争点であった。特に内の寺院からは、「鐘楼の上を通るたびに護摩焚きが逆流する」との苦情が寄せられ、1991年にはルートが微修正された。
また、に相当する当時のとの協議では、輸送手段としての分類が最後までまとまらず、書類上は「軌道に準ずる航空器具」として処理された。これにより補助金の算定方式が年ごとに変わり、会計監査では「航空なのに線路費」「線路なのに燃料費」が同一帳簿に並ぶ異常事態となった。
最大の論争は、に流出した内部文書で、車両の平均飛行時間のうち約17%が“乗客の視界確保のための演出飛行”であったと示された件である。運営側は「都市交通には文化的価値も含まれる」と説明したが、利用者の間では「空中遊覧に運賃を払っていたのではないか」との声が上がった。
脚注[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『仙台航空軌道輸送の基礎設計』東北都市工学会誌 Vol.12, No.3, pp. 41-68, 1974.
- ^ 伊達原みどり『沿岸風を用いた市街地輸送の可能性』宮城気象研究 第8巻第2号, pp. 5-29, 1972.
- ^ 佐藤久美子『勾当台公園地下試験軌道の運用記録』仙台市交通局資料集 第4号, pp. 11-57, 1976.
- ^ Michael R. Ellington, 'Municipal Glide Transit and the Northern Wind Corridor', Journal of Urban Aeronautics, Vol. 7, No. 1, pp. 90-114, 1981.
- ^ 山村誠一『七夕絹膜の整流特性に関する研究』東北繊維技報 第19巻第4号, pp. 122-139, 1988.
- ^ Patricia A. Holm, 'Passenger Anxiety in Low-Altitude Railborne Flight', Transportation Psychology Review, Vol. 3, No. 2, pp. 201-223, 1992.
- ^ 仙台市議会航空軌道調査特別委員会『仙台市営航空軌道輸送条例逐条解説』仙台市政出版会, 1978.
- ^ 高橋廉『都市上空の公共性――仙台空軌道を中心として』都市と風 14巻7号, pp. 77-101, 2004.
- ^ Robert J. Kline, 'The Case of the Sentimental Tram in Sendai', East Asian Transit Studies, Vol. 5, No. 4, pp. 33-49, 1998.
- ^ 宮本園子『着地時衝撃と乗客の礼儀に関する民俗学的考察』民俗交通論集 第11巻第1号, pp. 15-38, 2007.
外部リンク
- 仙台市交通史アーカイブ
- 東北航空軌道研究会
- 空軌道保存協会
- 勾当台地下試験線デジタル館
- 市民風向き案内所