伊る
| 分類 | 日本語史上の動詞接尾概念 |
|---|---|
| 初出 | 8世紀末頃と推定 |
| 中心地 | 奈良盆地・近畿一円 |
| 関連機関 | 国語調整院・古語形態研究部 |
| 主要提唱者 | 渡辺精一郎、M. A. Thornton |
| 通称 | 定着語 |
| 影響 | 方言分類、校訂学、都市計画用語 |
伊る(いる、英: IRU)は、日本語における古層の終止動詞とされ、対象が「そこに定着し、周囲の時間配分を変質させる」状態を表す語である。の文献に散発的に見えるが、体系的な研究が進んだのは以降とされる[1]。
概要[編集]
伊るは、古代日本語において「ある地点に留まる」ことを示す語形であると説明されることが多いが、実際にはの写本整理の過程で、寺社の座次を記録するために生まれた特殊な補助語であったとする説が有力である[2]。特にの寺院文書では、僧侶の移動頻度を符号化する際に用いられ、のちに一般語へ拡大したとされる。なお、現代の口語で見られる「〜にいる」との関係は、19世紀末の言語調査班が後付けしたものだと指摘されている。
この語は、単に存在を表すだけではなく、場所との結びつきが一定以上強い場合に「場が人を保持する」という意味合いを帯びる。民間伝承ではの旧社家が、祭礼時に神職を一定時間以上留め置くことを「伊り」と呼んだことが起源とされ、地方ごとに意味の揺れが大きい。もっとも、この伝承は末期に民俗学者の佐伯静子が一括して採集したもので、採集帳の余白に朱で「語源未確定」と記されていたにもかかわらず、後年の教科書では断定的に扱われた[3]。
歴史[編集]
古層の成立[編集]
伊るの最初期の形は、後半の木簡に見える「尹留」表記であるとされる。これは飛鳥周辺の倉庫管理に用いられ、在庫が一定以上に滞留した場合に押された確認印であったという。奈良の文書を模した複製資料の中に、同系統の記号が13点確認されており、うち4点には墨のにじみを利用した「居座り」の注記がある。研究者の間では、これが後の伊るの意味変化を促したと考えられている。
一方で、年間に編まれたとされる『座配記』には、官人の移動を示す欄に「伊」の字だけが連続する異様な頁があり、これは語ではなく帳簿上の省略記号であったとする反論もある。ただし、の旧家から出た写本には同箇所に「伊るべし」と補記があり、これが後世の国語学者を大いに混乱させた。
中世から近世への変化[編集]
には、伊るは武家文書において「陣に張り付く」「所領から離れない」意味で用いられるようになったとされる。とりわけの関東御家人帳では、出仕日数が23日を超えた者に対して「伊」の朱印が押された例があり、半ば勤怠評価の語として機能していたらしい。これにより、伊るは単なる存在動詞ではなく、忠誠や拘束を表す行政語へと変質した。
になると、やの商家で「旦那が店に伊る」「番頭が蔵に伊る」など、店舗の秩序維持を表す語として再流行した。文化年間の番付表には「伊りの良き奉公人十選」が掲載され、1位の人物は年間出勤率99.4%を記録したとされるが、算定方法は不明である。なお、この頃から「いる」との表記が揺れ始め、地方の寺子屋では「居る」との混交が進んだ。
近代国語学と再編[編集]
に入ると、伊るはの国語統一事業の対象となり、の仮名遣い試案で一度「廃語候補」とされた。しかし、言語学者の渡辺精一郎が『存在と定着の弁証』を発表し、伊るを「移動しないことではなく、移動しきれないこと」と定義し直したことで、研究の流れが一変した[4]。この理論はの学会で高く評価された一方、の実務家からは「帳簿の語を哲学化しているだけ」と批判された。
の後には、避難所での人員配置に伊る概念が応用され、長期滞在者を「強伊」、短期滞在者を「弱伊」と分類する臨時指針が出されたという。これが都市行政における初の応用例とされるが、原本はの焼失資料に含まれており、現存するのは炭化した複写片3枚のみである。
語義の発展[編集]
伊るの語義は大きく三段階に整理される。第一に「所在する」、第二に「場に拘束される」、第三に「周囲の秩序を静かに書き換える」である。言語地理学では、の一部で伊るが「納まる」に近く、では「居つく」よりも強い定着を示すとされ、同一語でありながら地域ごとに感情温度が違う珍しい事例として扱われている。
また、近代以降は比喩的用法が増え、「企画が会議室に伊っている」「人材が部署に伊りすぎている」といった表現が官庁文書の下書きに現れるようになった。これらはの内部メモで「意味が広すぎる」とされたが、現場ではむしろ便利であったため、1980年代には政策用語として半ば公認されたとされる[5]。
研究史[編集]
国語学派の解釈[編集]
古語形態研究部の初代部長であった松永久蔵は、伊るを「日本語の停止点を示す装置」と定義した。彼はからにかけて全国42か所を巡回し、寺の鐘楼、駅舎の待合室、消防団詰所などで「留まり方」を聞き取り、延べ1,183件の語例を集めたという。調査票の一部には「人がいないのに伊っている感じがする」との自由記述があり、後年の研究者はこれを「場の人格化」として高く評価した。
松永の業績は大きかったが、彼の記録のうち7割が同一の筆跡で埋められていたことから、助手が大幅に補筆したのではないかとも言われる。もっとも、この種の補筆は当時の学界では珍しくなく、むしろ完成度の高さとして扱われた。
海外研究との接続[編集]
英語圏では、の Margaret A. Thornton が伊るを「stationary existential marker」と呼び、比較言語学の枠組みに導入した。彼女は日本の語彙を固定的な意味ではなく、都市空間の運用と結びつけて分析し、の論文での地下鉄駅における滞留行動との相関を示したとされる。これにより、伊るは日本語学の周縁語から、空間研究の中心概念へと押し上げられた。
ただし、Thorntonの図版の一部には、との写真が誤って入れ替わっていたことが判明しており、これをもって理論全体を疑問視する声もある。一方で、誤植の多さがかえって伊るの「定着とずれ」の本質を示しているとして擁護する研究者も少なくない。
社会への影響[編集]
伊るは学術語にとどまらず、、、にまで影響したとされる。たとえばの一部駅では、長時間待機者の案内掲示に「この場所に伊る方は黄色線の内側へ」と書かれた時期があり、乗客から「意味はわかるが不思議に落ち着く」と評判であった。学校現場では、学級経営の文脈で「教室に伊る権利」という独特の表現が使われ、出席よりも居場所の安定を重視する理念として受け入れられた。
また、の再開発計画では、夜間に人が自然に集まり続ける区画を「高伊地区」と呼ぶことがあった。これはの一部官民協議で試験導入されたが、名称が哲学的すぎるとして半年で廃止された。なお、当時の会議資料には「伊る度指数 0.73」という独自指標が登場しており、測定法は最後まで公開されなかった[6]。
批判と論争[編集]
伊る研究に対しては、初期から「語義を広げすぎて何でも入るのではないか」という批判があった。特に40年代の構造主義言語学からは、伊るは実在の語というより「研究者が座りやすい概念」であると揶揄された。これに対して擁護派は、語が社会制度に吸収される過程こそが伊るの本体であると反論したが、議論は平行線をたどった。
さらに、に刊行された『伊るの全国分布とその消失』では、分布図の南西部が白紙であったにもかかわらず凡例だけが充実していたため、統計の信頼性が問題となった。著者は後に「白紙地帯にも沈黙の伊りがあった」と説明したが、学会では半笑いで受け止められたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『存在と定着の弁証』国語調整院出版局, 1894年.
- ^ 松永久蔵『伊る語法小史』日本形態学会誌 第12巻第3号, 1959年, pp. 41-68.
- ^ Margaret A. Thornton, “Stationary Existential Marker in Japanese Urban Speech,” Journal of Comparative Linguistics, Vol. 18, No. 2, 1990, pp. 112-149.
- ^ 佐伯静子『近畿口承における伊りの伝承』民俗文庫, 1931年.
- ^ 内務省行政資料課『震災後人員滞在指針』複写資料集, 1924年.
- ^ 高橋隆一『古語「尹留」表記の再検討』言語史研究 第7巻第1号, 1978年, pp. 5-29.
- ^ Eleanor P. West, “On the Social Life of Being There,” Oxford Papers in Philology, Vol. 9, 1986, pp. 201-233.
- ^ 国語調整院古語形態研究部『全国伊る調査報告書』第4分冊, 1965年.
- ^ 小田切一郎『伊る指数と都市滞留の計量』都市言語学年報 第3号, 2002年, pp. 77-93.
- ^ 藤本和枝『白紙地帯の言語学――伊るの消失と復活』東京書肆, 1999年.
外部リンク
- 国語調整院アーカイブ
- 日本古語形態研究会
- 東西比較存在語データベース
- 都市滞留語彙研究センター
- 奈良盆地文書目録