何読みの何
| 名称 | 何読みの何 |
|---|---|
| 読み | なによみのなに |
| 英語名 | Naniyomi no Nani |
| 発祥 | 大正末期の東京辞書会議 |
| 提唱者 | 渡会一三郎 |
| 分類 | 語義保留・仮読制度 |
| 主な舞台 | 東京都神田・日本橋周辺 |
| 影響 | 辞書編集、落丁札、索引規格 |
何読みの何(なによみのなに)は、における語義解釈の揺れを制度化したとされる、分類不能の用語である。主として、、および民間の言語遊戯の境界領域で知られている[1]。
概要[編集]
何読みの何は、元来、漢字仮名交じり文の中で読みが確定しない語を便宜的に保留するための符丁であったとされる。現在では、辞書編集上の未決定項目や、校正段階で意味が固定されていない語を指す準専門用語として用いられることがある[2]。
もっとも、この語は単なる編集記号ではなく、末期から初期にかけて、の辞書業界で半ば儀礼的に扱われた経緯があるとされる。記録によれば、当時の編集者たちは「読みが何であるか」をめぐる論争を避けるため、いったん「何読みの何」と書いて棚上げにする慣行を作り、これが後に独立した概念として流通したという[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
最初の用例は、の小出版社・帝都辞林社の校正刷りに見えるとされる。編集主任のは、難読語の注記欄に「何読みの何」と朱書きし、該当箇所を赤鉛筆で三重線にしていたという。これが校了直前の紙面上で奇妙に目立ったため、印刷所では逆に「正式な項目名」と誤認され、社内でそのまま通用したとされる。
この時期の界隈では、辞書の制作がしばしば口伝で進み、索引の不整合が頻発していた。そこで「仮に読めるが、まだ読まない」という発想が受け、の関東大震災後に再編された各社の用語集へ断続的に採用されたという。なお、当時の帳簿には「何読み・七件」「何の何・三件」といった記載があり、これは後世の研究者の間で「最初から制度設計だったのではないか」とする議論を呼んだ[4]。
制度化[編集]
には、の第4分科会で「語義保留項の統一表記」が議題となり、渡会の案が事実上の標準となった。ここで決まったのが、読みが未確定の項目をいったん「何読みの何」として登録し、校正の最終段階でのみ仮読を与える方式である。会議録によれば、反対派は「辞書が辞書でなくなる」と批判したが、賛成派は「読めない語に読ませないのが学術である」と応酬したという。
この制度は、の前身にあたる諮問機関にも影響したとされる。特に、見出し語の揺れを嫌う官僚的文体との親和性が高く、には一部の官庁用語集で「何読み」欄が正式に設けられた。もっとも、実務担当者の中には「何読みの何を何と読むのか」という循環的な記載に頭を抱え、別紙で注釈を増殖させる者も多かったという[要出典]。
普及と逸脱[編集]
戦後になると、何読みの何は辞書界から離れ、一般の言語遊戯としても流行した。とくに後半のの古書店街では、値札の判読不能な品に「何読みの何」と貼る習慣が生まれ、客と店主の間で「これは読むのか、読む前提なのか」が冗談の定型句になったとされる。
また、にはの学生新聞が、学内の掲示板に現れた不明瞭な語を集めて「何読みの何一覧」を掲載し、これが若年層の間で小さな流行語となった。以後、何読みの何は「未確定」「保留」「意図的曖昧」の三つを兼ねる便利な言い回しとして定着したが、一方で、本来の辞書編集上の意味からは大きく逸脱したとみられている。
社会的影響[編集]
何読みの何の影響は、言語学よりもむしろ事務文化に強く現れた。たとえばでは、ゲラに修正不能な語があると、赤字欄に「何」と書いて保留する慣行が一部で残り、編集部内での締切交渉を円滑化したとされる。またの目録作成でも、読み不明の旧字体を一時的に扱うための便法として応用された。
さらに、地方自治体の記録保存実務においても、古い戸籍・寺社文書の転写でこの語が援用された例がある。特にの一部町村史編さんでは、読みの確定に三年以上を要した漢字を「何読みの何」と括ることで、編さん委員会の会議時間を平均17分短縮したという。なお、この効率化は一部の委員から「問題を先送りしているだけ」と批判されたが、のちに同様の方式が索引設計へ波及したとする説が有力である[5]。
一方で、教育現場では妙な副作用も生じた。国語教師が「読めないときは何読みの何と書きなさい」と指導したため、児童・生徒が本当にそういう決まった読み方があると誤解する事例が相次いだのである。これにより、昭和後期の一部学習参考書では「何読みの何」は禁則表現として扱われ、逆に神秘性を帯びることになった。
批判と論争[編集]
何読みの何に対する批判は、主に「曖昧さを温存するだけで学術的ではない」というものであった。とくにの『言語標準化月報』では、匿名の編集者が「何読みの何は辞書の逃げ道にすぎない」と書き、これに対して別の論者が「逃げ道こそ実務の骨格である」と反論したことで、短期間ながら論争が拡大した。
また、のコンピュータ組版導入期には、何読みの何をそのままコード化すると、検索エンジンが「何」を二重に認識して暴走するという奇妙な障害が報告された。これを受け、ある印刷会社では内部規格として「何読みの何は1件まで」という制限を設けたが、同社のベテラン校正者は「制限すると本来の何らしさが失われる」と述べたという。
近年では、言語哲学の立場から「意味未確定性の保存技術」と再評価する動きもある。ただし、その多くは後付けの理屈であり、実際にはの紙文化に根ざした場当たり的な工夫であったとみる研究者も少なくない。
派生形[編集]
何読みの何からは、いくつかの派生表現が生まれた。代表的なのは「何綴りの何」で、これは読みではなく表記の揺れを保留する際に用いられた。また「何意味の何」は、意味だけが確定せず用法が複数ある場合に使われ、口語では「なんいみ」と略されることもあった。
さらに、頃には校閲現場で「何振りの何」という語が一時的に流行し、振り仮名欄の空白を埋める際の決まり文句として重宝された。この系列語群は、総じて編集者の負担を軽減する一方、外部の読者には極めて不親切であったため、しばしば「内輪の学術方言」と見なされた[6]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡会一三郎『語義保留と仮読制度の成立』帝都辞林社, 1935年.
- ^ 佐伯雅夫「何読みの何と昭和初期の索引慣行」『国語資料研究』Vol.12, No.3, pp. 44-67, 1964.
- ^ Margaret H. O'Connell, "Deferred Readings in Japanese Lexicography," Journal of Applied Philology, Vol. 8, No. 2, pp. 113-129, 1978.
- ^ 田中冬樹『校正記号の民俗誌』青霜書房, 1982年.
- ^ 小林志郎「神田・日本橋における語義保留文化」『近代出版史研究』第7巻第1号, pp. 9-31, 1991年.
- ^ Eleanor P. Whitby, "The Semiotics of Placeholder Terms," Tokyo Linguistic Review, Vol. 15, No. 4, pp. 201-220, 2003.
- ^ 三浦礼子『読めない語を読む技術』港の人文社, 2009年.
- ^ 山岸隆「何読みの何の運用と検索障害」『組版工学年報』第21巻第2号, pp. 88-102, 2012年.
- ^ Hiroshi Watanabe, "When Nani Means Nani: Editorial Provisionality in Early 20th-Century Japan," East Asian Journal of Textual Studies, Vol. 6, No. 1, pp. 1-26, 2016.
- ^ 『何読みの何大全』編集委員会『何読みの何大全』幻灯出版, 2021年.
外部リンク
- 神田書誌研究所
- 東京辞書会議アーカイブ
- 仮読文化資料館
- 日本校正史学会
- 帝都索引標準化センター