再三承知
| 別名 | 三重承知、反復了承、再々確認 |
|---|---|
| 初出 | 1828年頃(文政年間) |
| 起源地 | 京都の呉服商街と江戸の問屋町 |
| 主な担い手 | 商家番頭、代書人、町役人 |
| 機能 | 意思確認、責任分散、合意形成 |
| 現代的用途 | 会議、稟議、口頭依頼、家庭内の買い物指示 |
| 関連制度 | 回覧板、稟議書、念書、復唱確認 |
| 学術分類 | 社会語用論・実務民俗学 |
再三承知(さいさんしょうち)は、相手に対して同じ説明を三度以上繰り返し、最終的に「理解した体」で同意を引き出すための日本独自の確認儀礼である。江戸時代後期の商家文書に端を発するとされ、現在ではの押印手続きや町内会の回覧板文化にも影響を残している[1]。
概要[編集]
再三承知は、単に「よく分かった」という意味ではなく、説明を三度以上受けたうえで、なおかつ受け手が自分の責任で理解したことを示すための表現であるとされる。特にやの文脈では、曖昧な同意を防ぐための安全装置として機能してきたとされる。
語義上は明快であるが、実際には「承知しました」と言った側が後日「そこまで強く確認されていなかった」と主張する余地を潰す、かなり攻撃的な合意語であるとも言われる。なお昭和30年代には、電話交換手の間で「再三承知」が復唱の最上位段階を示す隠語として流通したという説がある[2]。
起源[編集]
最も有力な説では、再三承知は京都の呉服問屋で生まれた。文政11年、反物の納入日をめぐって三度も約束を反故にした小間物商に対し、番頭のが帳場で「もう再三承知であろう」と書き残したのが初出とされる[3]。
別の説では、これは江戸の火消し組が使った確認法に由来するとされる。火事場では一度の指示では足りず、同じ内容を三度復唱させることで誤伝達を防いだため、結果として「再三承知」が命令完了の合図になったという。ただし、この説を裏づける木札はで一時保管されたが、のちに「火消しの字がやけに丁寧すぎる」との理由で再鑑定になった[4]。
さらに、奈良の寺院文書からは、僧侶が檀家に修繕費をお願いする際、「再三承知にてお願い申し上げ候」と記した例が見つかっている。ここでは宗教的な懺悔の色合いが強く、単なる確認ではなく、頼む側が先に敗北宣言をしている点が特徴である。
用法の変遷[編集]
商家での定着[編集]
江戸後期から明治初期にかけて、再三承知は商家の帳場で広く用いられた。帳面の余白に「再三承知済」と朱書きすることで、商品の遅配や値引き交渉に関する責任を相手に固定する効果があったという。とりわけの大店では、口頭での了承よりもこの朱書きのほうが強い証拠とみなされた[5]。
官庁語への転用[編集]
明治20年代に入ると、再三承知は官庁文書へ流入した。これは内務省の文書点検係が、住民への通知を三回読み上げてから押印する習慣を制度化したためである。書記官のが残した覚書によれば、再三承知は「理解したこと」ではなく「異議を言う気力が残っていないこと」を指す場合が多かったとされる[6]。
家庭内での拡大[編集]
昭和期以降は家庭生活にも浸透した。母親が子に「明日の遠足、帽子と水筒と着替え、再三承知ね」と念押しする用法が定着し、家庭内の誤解を減らした一方で、子ども側に過剰な緊張を与えたという指摘もある。1974年の民俗調査では、東京都内の小学校児童の約38.6%が「再三承知」と聞くと宿題の存在を連想したと回答している[7]。
社会的影響[編集]
再三承知は、日本の合意文化に独特の「確認疲れ」を持ち込んだと評価されている。企業の稟議書では、担当者の確認が三重化したことにより、承認速度が平均で1.7営業日遅くなった一方、後日の言い分相違は23%減少したという調査結果がある[8]。
また、やPTAでは、再三承知が強すぎると「詰問」に聞こえるため、柔らかい言い換えとして「一応三度ほど伺っております」を用いる地域もある。なお愛知県西部では、再三承知を受けた者は一度だけ深くうなずく慣習があるとされ、これは了承の代わりに首の可動域を示す実践として注目された。
一方で、過剰な再三承知がハラスメント化する事例も報告されている。2021年には大阪府内の会議で、同一案件について上司が17回「承知したか」と確認し続けた結果、議事録の半分が応答欄で埋まったという。これを受けて、の一部研究者は「再三承知は本来、三度で止めるべき技法である」と警鐘を鳴らした[9]。
関連する慣用句[編集]
再三承知と近い表現としては、「重々承知」「百も承知」「承知の上」などが挙げられる。ただし、これらが受動的な理解を示すのに対し、再三承知は相手の執拗な説明と自分の諦観が交差する点に特徴がある。
民間伝承では、再三承知の上位概念として「七転八倒承知」が存在するとされるが、これは主に酒席での言い間違いから生じたものと考えられている。また、関西圏ではこれをやや柔らかくした「再々ええ加減に承知」が用いられるというが、用例はきわめて少ない[10]。
批判と論争[編集]
再三承知に対しては、上から目線であるとの批判が根強い。言語政策研究者のは、2020年の論文で「再三承知は相手に理解を求めるのではなく、理解したことにする儀礼である」と述べ、現代の対話環境にそぐわないと指摘した[11]。
ただし、賛成派はこれを「責任の所在を明確にする高度な日本語技法」と擁護している。特にやの現場では、再三承知の有無が安全管理に直結するため、完全に廃れることはないとみられている。もっとも、実際には「安全確認」と「心理的圧迫」の境界がしばしば曖昧であり、この点が論争の中心となっている。
2018年、横浜市のある区役所で、窓口職員が申請者に対し再三承知を重ねた結果、申請者が「承知する前に帰りたい」と述べた事案が話題になった。これがきっかけで、自治体の窓口マニュアルにおける「確認は二回まで」とする非公式指針が広まったとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 松井源左衛門『帳場心得再三録』京都商業史料刊行会, 1831年.
- ^ 早川義一『官吏文書における再三承知の変遷』内務文書研究叢書 Vol.12, 第4号, 1912年, pp. 44-68.
- ^ 田島みどり『再三承知の語用論的圧力』日本社会言語学会誌 Vol.27, 第2号, 2020年, pp. 115-139.
- ^ K. Nakamura and L. A. Whitfield, “Threefold Acknowledgement in Japanese Clerical Culture,” Journal of Pragmatic Folklore, Vol. 8, No. 1, 1998, pp. 1-23.
- ^ 高橋久美子『町内会における確認儀礼の民俗誌』民俗と実務 第19巻第3号, 1974年, pp. 201-224.
- ^ George M. Ellison, “Repetition and Liability in Edo Merchant Houses,” Transactions of the East Asian Historical Society, Vol. 41, No. 2, 1966, pp. 87-110.
- ^ 佐々木恵理『再三承知と押印文化』印章研究 第5巻第1号, 2007年, pp. 9-31.
- ^ Mika Kobayashi, “The Psychology of Being Told Thrice,” Kyoto Review of Applied Language, Vol. 14, No. 4, 2015, pp. 233-250.
- ^ 渡辺精一郎『再三承知とその周辺』東京語彙学会紀要 第33号, 1989年, pp. 5-19.
- ^ Harold P. Sweeney, “On the Curious Expression ‘Saisan Shouchi’,” Asian Phrase Studies Quarterly, Vol. 3, No. 3, 1971, pp. 77-84.
外部リンク
- 日本再三承知研究会
- 京都帳場文書アーカイブ
- 東京確認語彙データベース
- 口承実務史研究センター
- 再三承知普及協議会