北船橋駅
| 名称 | 北船橋駅 |
|---|---|
| 種類 | 鉄道駅舎(保存計画中) |
| 所在地 | 北東埋立地一帯 |
| 設立 | 13年(1914年) |
| 高さ | 地上21.7m(時計塔除く) |
| 構造 | 煉瓦耐震壁+中空梁(湿度制御換気塔付き) |
| 設計者 | 渡辺精一郎(仮想) |
北船橋駅(きたふなばしえき、英: Kita Funabashi Station)は、にある[1]。現在では、海風対策と湿度制御をめぐる小さな技術史を体現する施設として知られている[1]。
概要[編集]
は、千葉の埋立地に所在する鉄道駅舎である。現在では、海塩霧の付着を前提に設計された“湿度制御ベンチレーション”が注目され、地域の技術文化として語られることが多い[1]。
本施設は駅そのものの単なる乗降機能を超え、停車時間に合わせて床下の水分を段階的に抜く仕組みを有するという点で、鉄道建築史研究の資料にもなっているとされる[2]。なお、実際の運用は時期により変動したとされ、当初から観光資源として扱われたわけではない[3]。
名称[編集]
名称の「北」は、駅の北側に“北風調圧区画”が設けられていた計画名に由来するものとされる[4]。また「船橋」は、当時の埋立計画が河川交通の“船留め橋”を基点に再編されたという俗説に基づくとされるが、公式記録では船着場の呼称に対応していないと指摘されている[5]。
駅舎の通称としては、開業当初に配布された時刻表が「K.F.(Kita-Funabashi)」の欄外略号を使ったことから、“K.F.駅”とも呼ばれたとされる[6]。この略号はのちに観光パンフレットで“恋人のフライト便”の語呂として再解釈され、地元の茶店で妙に定着したという記録が残る[6]。
なお、登録上は「北船橋駅」とされる一方で、切符の地紋版では「北船橋停留場」と表記された時期があるとされ、印刷会社の台帳が根拠になると主張されることが多い[7]。ただし台帳の真偽はしばしば争点となっている。
沿革/歴史[編集]
13年、埋立地の工業団地拡張に伴い、当時の交通管理局が海塩霧対策を主目的に駅舎の試験建築を計画したとされる[2]。同計画では、ホーム下に設置された換気塔を“列車本数連動”で開閉することで、湿度を区間ごとに平準化することが目標とされた[2]。
設計者としては渡辺精一郎が挙げられることが多いが、実務に関わった技術者としては、湿度計の校正担当だったという佐倉雲太郎の名も断片的に現れる[8]。また駅舎の時計塔は、時刻の遅れを抑えるためではなく“遅延時の気流が変わる”という観測結果に由来したとされ、時計盤の針が一定角度で固定される仕様だったとも言われる[9]。
戦後、駅舎は一時的に“防湿倉庫併用”へ転用されたとされる。1952年に実施された改修では、床下の排水路の勾配が「0.8度刻みで調整」されたと記録されているが、当時の測量機がどの程度の精度を持っていたかは不明であるとされる[10]。この“細かすぎる数字”が後年、研究者の間で最も笑いの種になったという逸話が伝わる[10]。
ただし1980年代の保全計画では、駅舎が保存対象になる条件として“換気塔の運転ログ”が必要になったため、当時の運転記録が一部改ざんされた疑いが持ち上がり、要出典に近い扱いで語られることもある[3]。現在では、保存計画中でありながら、観光導線の整備が先行したために“本来の目的からズレた人気”が生まれていると考えられている[1]。
施設[編集]
駅舎は、煉瓦耐震壁と中空梁からなるとされ、海風による塩害を抑えるために壁面の目地幅が「ちょうど7.2mm」に揃えられているという説明がなされている[11]。この寸法は設計図に由来するとされるが、寸法が現場で測定可能だったかは疑問視されている[11]。
ホームは二層構造で、上層は旅客通路、下層は“水分回収レール”として運用されたとされる。特に下層の排水は、停車中のみ開く逆流防止弁を介し、雨量に連動する仕組みだったという[12]。雨量連動の算出式は「降水量(mm)×0.37+12」だったとされるが、出典が不明でありながら、なぜか古参の清掃員が口伝で暗記していたとされる[12]。
駅前広場には“潮風低減マルチポール”と呼ばれる円形の支柱群があり、風向に合わせて傘状に開くとされる[13]。ただし実物の開閉機構は長年停止状態で、現在は装飾として残っていると報じられている[13]。
また、改札口の脇には「湿度表示盤」があり、列車の到着時に“前回湿度からの差分”を掲示したとされる。掲示は小さな文字で、差分が±3%以内なら“平穏”、±8%を超えると“注意”の札が出たという。札の文言が不自然に文学的であったことが、駅舎人気の一因となったとする見方がある[14]。
交通アクセス[編集]
現在では、北船橋駅へは複数の乗合ルートでアクセス可能とされる。主要導線は、駅舎南側に整備された“北風通り”であり、商店街が時刻表に合わせてシャッターの開閉を行うという、やや特殊な運用があったとされる[6]。
鉄道路線は時期により変化したとされるが、少なくとも試験運用の段階では、1時間あたり最大9本の到着を想定したと記録されている[15]。なお、当初の計画では“到着間隔が7分±20秒の場合のみ換気塔を通常開放”とされていたため、遅延が続くと湿度制御の挙動が乱れるという設計思想が露呈したとも述べられている[15]。
駅前からは“埋立地循環バス”が運行された時期があり、所要時間が毎回「13分13秒」とされる資料がある。もっとも、この数値は運行開始当初の運転士の記録に由来する可能性が指摘され、のちのダイヤ改正で変更された可能性がある[3]。
文化財[編集]
北船橋駅は、構造部材の保全状況と湿度制御の思想が評価され、の“工業建築の技術景観”として登録されているとされる[1]。登録区分では「駅舎群(換気塔機構型)」に分類され、煉瓦耐震壁の目地設計が選定理由に含まれている[11]。
一方で、時計塔の固定仕様については“遅延時気流説”の根拠が薄いとされ、文化財審査でも異論があったと指摘される[9]。この点に関して、審査委員の一人が「数字が綺麗すぎる」と述べたという逸話が残っている[9]。
駅舎周辺には、当時の作業員宿舎跡の基礎が一部保存され、「湿度研究小径(遺構歩道)」として利用されているとされる[16]。ただし、遺構の範囲については資料の解釈が一致していないため、現地説明板では“推定”の表現が採用されている[16]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北船橋駅保存会『潮風と換気塔:北船橋駅技術記録集』保存会出版, 1987.
- ^ 松田和之「海塩霧環境下における駅舎換気の実験例」『土木建築技術誌』Vol.41, No.2, pp.11-29, 1976.
- ^ 佐倉雲太郎『湿度校正の手引き(抄)』千葉工業技術資料館, 1959.
- ^ 交通管理局『区画設計要領(北風調圧区画)』運輸文書局, 1913.
- ^ 船橋埋立計画調査班『船留め橋と呼称の系譜』地方史研究叢書, 第3巻第1号, pp.57-74, 1968.
- ^ 匿名「K.F.駅と呼ばれた日々」『駅前喫茶通信』第8号, pp.2-5, 1991.
- ^ 印刷所記録室『切符地紋台帳:北船橋停留場』印刷技術文庫, 1949.
- ^ 渡辺精一郎『湿度を読む設計図(草稿集)』建築工房, pp.101-143, 1920.
- ^ 中村由紀「時計塔機構と気流観測の関係について」『建築気象研究』Vol.12, No.4, pp.201-219, 1982.
- ^ 武田朗「0.8度刻み再考:戦後改修の測量誤差」『測量史報』第27巻第3号, pp.88-96, 2001.
- ^ 千葉県教育文化財課『煉瓦目地設計の保存基準(湿度制御型駅舎)』千葉県出版局, 1998.
- ^ 国分健次『雨量連動排水の数式と運用』水処理技術紀要, Vol.19, No.1, pp.44-63, 1967.
外部リンク
- 北船橋駅換気塔アーカイブ
- 潮風低減マルチポール研究所
- 千葉・工業建築ウォーク
- 湿度表示盤ファンサイト
- 埋立地循環バスの記録館