卑怯戦隊うろたんだー
| ジャンル | ヒーロー・バラエティ(疑似参加型) |
|---|---|
| 初出(推定) | 春 |
| 舞台 | 内の商業劇場と地方巡業 |
| 制作関係 | 社団法人「大衆遊戯文化推進機構」ほか |
| 中心コンセプト | 卑怯=恐怖の翻訳、焦り=勝利の起爆 |
| ファン層 | 学童〜若年層中心(のち成人層にも波及) |
| 代表的な玩具 | “うろたん”変形マスクシリーズ(全9色) |
| 関連する論争 | 教育目的化の是非、過度な“緊張演技”の問題 |
卑怯戦隊うろたんだー(ひきょうせんたい うろたんだー)は、で展開されたとされる“悪意ある英雄ごっこ”型の実演・映像企画である。恐怖心や焦りを武器にする演出が特徴で、の大衆娯楽の系譜としてしばしば言及される[1]。
概要[編集]
は、勇敢な正義ではなく、観客の“卑怯さ”を引き出して笑いに転換することを目標にした企画として説明されることが多い。名称は当初からやや攻めたキャッチコピーであったとされ、当時の宣伝文句では「恥は武器になる」といった表現が用いられた[1]。
具体的には、赤青黄のいわゆる戦隊形式を踏襲しつつ、各回で用意される“焦りギミック”が物語の起点になる仕組みだったとされる。たとえば進行係が観客に「今のうちに言い訳を書け」と促し、紙を回収した後に紙の内容が敵の作戦表に“勝手に変換”される演出などが、後年の回想でしばしば挙げられている[2]。
この企画はの小規模劇場だけでなく、の巡業館でも同様のフォーマットが採用されたとされる。ただし同一フォーマットが全国統一されたわけではなく、現場ごとに「焦りの比率」を調整する“ローカル脚本”が存在したことが指摘される[3]。
なお、公式の“完全な台本”が残っていないため、内容は当時の新聞広告、舞台写真のキャプション、そしてファンが保管していたチラシ裏のメモから復元された部分があるとされる。ここに、後述するような脚注付きの怪しい記述が混ざっている点が、記事を面白くしていると論じる編集者もいる[4]。
歴史[編集]
企画の誕生:恐怖の家計簿[編集]
企画の起源として、の“市民劇場向け心理教材ブーム”が挙げられることがある。社団法人「大衆遊戯文化推進機構」(当時の通称は「遊戯推進機構」)が、子ども向けに「緊張があると何が起こるか」を図解した冊子を配布したことが発端だったとされる[5]。
当該冊子の編者には、教育社会学者の「白鷺(しらさぎ)みのり」および、舞台技術者の「高座(たかざ)りんどう」が関わったと“複数の回顧録”に書かれている。もっとも、回顧録の発行年が互いにの後半でズレているため、史料の整合性は低いと注意する研究者もいる[6]。一方で、企画書の引用文として「恐怖は家計簿のように貯まる」という一文が残っているため、誕生の雰囲気だけは共通していると推定されている。
この理屈をヒーローものに翻訳した結果が、恐怖(卑怯)を敵にしない方式、つまり“卑怯であっても勝っていい”という逆転の物語に落ち着いたとされる。さらに、勝利条件を「勇敢さ」ではなく「うろたえ方(反応の速さ)」に変更することで、観客参加型のテンポが生まれたという説明がある[7]。
ここで重要なのは、卑怯が倫理的に肯定されたわけではない点である。むしろ卑怯を“演技化”し、緊張を笑いに変える装置として扱ったことが企画の売りだったとされる。のちにこの点が論争の種となるが、当時は商標登録前のキャッチコピーとして“卑怯戦隊”の語が広まり始めたとされる[8]。
展開:地方で変わる「うろたて率」[編集]
からにかけて、うろたんだーは巡業フォーマットとして拡張されたとされる。各公演には“うろたて率”と呼ばれる指標があり、これは観客の笑い声が一定以上に達した割合を、劇場側が独自に計測したものだとされる[9]。
計測は驚くほど具体的で、たとえばのある会館では「開演後3分以内に笑い声ピークが来る確率」をもとに、当日の“卑怯ギア”を2段階に切り替えたと記録されている。さらに別の記録では、の公演でピークが遅れたため、台本の“言い訳収集”を17秒短縮したとされる。この“17秒”がどこから出てきたのかは不明であるが、現場メモにその数字だけが妙に丁寧に書かれていたという証言がある[10]。
一方で、全国一律の制作体制が敷かれていたわけではなく、地方のプロダクションが独自の“卑怯ルール”を足した例もある。たとえばでは“名物の早口”を卑怯ギミックに取り入れ、観客が早口で負け台詞を言うと敵が慌てて撤退する演出が生まれたとされる[11]。
また、には“うろたん”変形マスクシリーズ(全9色)が玩具ラインとして展開されたとされる。色ごとに「焦りの周波数」が違うという説明が付いたが、科学的根拠は薄いとされつつも、当時の玩具カタログは「周波数は気持ちで測る」と真顔で書いていたと回想されている[12]。このあたりから、企画は教育的な言説から娯楽産業の論理へ寄っていったと整理する論文もある。
終焉と再評価:緊張の商業化[編集]
企画が一度終息した時期は、資料により説、説、説と幅がある。特に有力視されるのはの改編で、行政側が“参加型緊張表現”に関するガイドラインを提示したことが原因とされる[13]。
ガイドラインをまとめたのは、当時の自治体文化局ではなく、の横断機関として設置された「市民娯楽安全評価委員会」(通称は“娯楽安全委”)だったとされる。委員会は「観客の感情を煽る演出は、年齢層に応じて上限を設けるべき」とし、うろたんだーの一部演出が“緊張の過剰誘導”に該当しうるとして再検討を求めたと報じられた[14]。
これに対し制作側は、卑怯は倫理ではなく“反射”の問題だと主張したとされる。しかし、再検討の際に提出された資料の中に、脚注として「恐怖は反射神経ではなく、家計のように蓄積される」といった表現があったため、委員会は学術根拠が不足していると判断した、という流れが“内部報告書の抄録”として語られている[15]。この抄録の原文の所在は不明とされるが、文面だけがコピーで残っていたとされる。
なお、終焉後にもカルト的な再評価があり、には「卑怯戦隊うろたんだー」を“感情設計の先駆”として紹介する番組が作られたという。番組側は制作秘話として、当時の衣装ボタンが全部で1,204個あり、回ごとに“焦りの強度”に応じて付け替えていたと語ったとされる[16]。ただし衣装部の関係者名が不明であり、数字の信憑性は低いと研究者は慎重に指摘している。
社会的影響[編集]
うろたんだーは、ヒーロー文化の文脈を“勇敢さ”から“自己防衛の笑い”へ広げたとされる。とくに子ども向けの参加型イベントでは、失敗や言い訳を恥として封じずに、物語の部品として扱う手法が模倣されたと説明されることが多い[17]。
また、後年の演劇教育やワークショップでは、うろたて率の概念が比喩として利用されたとされる。たとえば演出家の「桐畑(きりはた)あおい」は、自己紹介ゲームで緊張が上がるほど参加者が“顔を作る”ようになるとし、うろたんだーの方式を「顔の家計簿」と呼んだとされる[18]。この言い回しは一定の広まりを見せた一方、元ネタの出所が曖昧で、うろたんだー本体の資料では確認できないとする指摘もある[19]。
さらに、テレビのバラエティ台本作法にも影響があったといわれる。たとえば“焦りの言葉回収”を仕掛けにする技法が、後半に舞台中継番組へ導入され、出演者が観客のメモを読み上げる構造が増えたという整理がある[20]。ただし因果関係は断定できず、“同時期に流行した別の手法”との類似として捉える研究も存在する。
いずれにせよ、うろたんだーが示したのは、卑怯さを悪として切り捨てるより、観客が自分の反応を理解するための装置にすることで娯楽が成立する、という考え方だったとされる。ここが支持層の核心であり、反対層が“危うさ”として問題視した点でもある。
批判と論争[編集]
批判は主に、卑怯を笑いに変えることが、責任回避の価値観を助長するのではないかという点に集中したとされる。とくに学童教育の関係者からは、「言い訳がゲーム化されることで、失敗の処理が学習より先に“ネタ”へ変換される」との懸念が出たとされる[21]。
また、緊張表現が強い回では観客の感情が高揚しすぎ、結果として“過呼吸ごっこ”のような模倣が起きたという証言もある。これに対して制作側は、模倣を禁止する誓約をパンフレットに掲載していたと主張したが、当時の配布数は「約63万部」とされる一方で、現存する個体数が極端に少ないため、配布が本当に全国で成立していたかは疑問視されている[22]。
一方で、別の批判として、企画が“自己分析”ではなく“他者の焦り”の収奪に寄っていた、という見方もある。舞台上で観客が書いた紙が、敵の作戦表として読まれる仕組みは、言ってしまえば晒しの構造である。これを擁護する論者は、紙の内容が毎回“勝手に翻訳”されるからこそ個人の責任が薄まり安全だと述べた[23]。ただし、翻訳ルールが明文化されていないことが問題として指摘された。
なお、最も笑いと炎上が同居した論点として、「卑怯戦隊の本当の敵は誰か」という議論がある。公式パンフでは“敵=慌てる心”とされていたが、ある深夜番組のインタビューで、出演者が「敵はレンズの奥の編集意図」と語ったと報じられた[24]。この発言は文脈が不明で、真偽も定かでないが、“百科事典的には脚注で残すべき怪しさ”として扱われている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 白鷺みのり『恐怖は家計簿である:市民劇場の感情設計』青葉学術出版, 1976.
- ^ 高座りんどう『舞台技術メモランダム(追補版)』東雲舞台研究所, 1980.
- ^ 桐畑あおい『顔の家計簿:自己紹介ゲームの演出論』星間教育出版社, 1993.
- ^ R. M. Calder『The Laughing Panic: Audience-Responsive Hero Formats』Tokyo Culture Press, Vol. 12 No. 3, 1984.
- ^ 田中宙也「参加型緊張表現の安全性に関する試案」『社会娯楽研究』第5巻第2号, pp. 41-58, 1982.
- ^ 林凪(はやし なぎ)『巡業劇場のローカル脚本術:うろたんだー調査報告』名古屋演劇協会, pp. 109-127, 1979.
- ^ 市民娯楽安全評価委員会編『市民娯楽安全評価委員会報告書(抄録)』官報系印刷局, 第1部, pp. 7-19, 1982.
- ^ K. Sato & J. Watanabe『Fidget Mechanics in Narrative Comedy』Journal of Performance Analytics, Vol. 9 Issue 1, pp. 3-22, 1991.
- ^ 遊戯推進機構『大衆遊戯文化推進機構 年次概況:昭和四十八年度』遊戯推進機構出版部, 1973.
- ^ (記事編集資料)「うろたんだー衣装ボタン総数の検証」『舞台検証通信』Vol. 2 No. 4, pp. 77-80, 2001.
外部リンク
- うろたんだー保存会アーカイブ
- 焦りギミック図譜館
- 参加型演出学会 うろたて率研究班
- 大衆遊戯文化推進機構 文書庫
- 変形マスクシリーズ 公式ファン台帳