南光
| 名称 | 南光 |
|---|---|
| 読み | なんこう |
| 英語 | Nankō |
| 分野 | 都市照明規格・写真測光・方位美学 |
| 成立 | 明治末期 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎ほか |
| 所管 | 内務省都市景観調整局 |
| 主な適用地域 | 東京市、横浜、神戸、長崎 |
| 特徴 | 南向きの日照を等級化する独自指標を用いる |
南光(なんこう、英: Nankō)は、において方位の季節光を分類・利用するために整備された照明規格である。主に末期の都市計画と写真術の発展の中で制度化されたとされる[1]。
概要[編集]
南光は、建築物や街路が受ける南向きの自然光を、季節・時刻・湿度によって七段階に分けて運用したとされる都市制度である。一般には照明設計の補助規格として扱われるが、実際にはの露出補正、校舎の窓配置、さらには商店の看板色までを一括して調整する総合的な仕組みであった。
この制度は、内で西洋式煉瓦建築が急増した頃、日当たりの違いが家賃や資産評価に直結しはじめたことを背景に、官僚と測量技師の共同研究から生まれたとされる。なお、当初は「南照基準」と呼ばれていたが、の官報告示で「南光」に統一されたという[2]。
歴史[編集]
起源と試験運用[編集]
南光の原型は、臨時都市景観調整局の下部組織であるが、との路地で行った実地測定にあるとされる。班長の渡辺精一郎は、午前8時から午後2時までの南面照度を「南一」から「南七」までに区分し、には既に1,842棟の町家を調査していたという。
この調査では、屋根瓦の反射率が0.18を下回ると「南光失調」が起こると報告され、当時の新聞はこれを「影の貨幣化」と表現した。もっとも、同班の報告書には測定用紙がの雨で半分ほどにじんでいたとされ、後年の研究者からは「数値の信頼性に難がある」とも指摘されている[3]。
制度化と拡大[編集]
、南光はの校舎設計指針に準採用され、北向き教室の窓を南光補助板で補正する運用が始まった。これによりの高等女学校では、冬季の午後授業で黒板の可読率が17%向上したとする記録が残る一方、板書がまぶしすぎて生徒の欠伸が増えたともいう。
また、の港湾倉庫では、南光等級に応じて荷札の色を変える「光札制度」が導入された。最上位の南七は朱色、南四は鼠色、南一は煤色とされ、荷役担当者の誤読を防ぐ狙いがあったが、結果として荷札の印刷コストが年額で約3万6,000円増加したとされる。
衰退と再評価[編集]
初期に電灯網が急速に普及すると、南光は実務上の必要性を失った。だがの大都市日照不足対策として一時的に再評価され、の官舎群では南光準拠のベランダ配置が採用されたという。
戦後はほぼ忘れられたが、にの会誌が「南光は日本独自の光環境指標として極めて先駆的であった」と特集を組み、再び注目を浴びた。ただし同号の巻末には、南光の測定器として紹介された「南光盤」が実在のどの資料館にも残っていないことが小さく記されている。
制度の仕組み[編集]
南光では、南面から入る自然光を角度・散乱・白壁反射の三要素で算出し、の値を重視する「朝南式」とを重視する「暮南式」の二系統で評価した。朝南式は学校や病院、暮南式は商店街や茶屋に適用されることが多かった。
等級は南一から南七までで、南四が標準、南五以上が「祝祭光域」と呼ばれた。南七の室内では、白磁が青白く見え、帯電したような印象を与えるため、茶席では避けられたとされる。一方で南一は冬の倹約住宅に好まれたが、灯油の消費量が増えるため、自治体からは半ば非推奨とされた。
測定には、真鍮製の方位板と墨入れガラスからなる「南光儀」が用いられた。これはの精密器具商・三浦計器店が初期型を製作したとされるが、量産品の多くは針が南西を指していたため、実務では紙片を吊るして補正したという。
社会的影響[編集]
南光の普及は、都市住民の住居選択に大きな影響を与えた。特にの下町では、「南光付帯」をうたう貸家が流行し、家賃が平均で12〜18%上昇したとされる。これに対して北向きの長屋は「逆南光」と呼ばれ、若手職人の下宿として安価に利用された。
また、業界では、南光等級に応じて撮影日を選ぶ慣習が生まれた。南五の日は「肌がほどける」とされ婚礼写真に重宝されたが、南七の日には新郎の髪油が過剰に反射し、写真がすべて同じ表情に見えるという問題が生じた。こうした事情から、の写真館は天気予報より先に南光暦を掲示するようになったという。
さらに、南光は言語にも痕跡を残したとされる。「南が入る」「南が強い」といった比喩は、この制度に由来するという説があるが、学界ではとされることが多い。
批判と論争[編集]
南光には、当初から「光の序列化が階級意識を助長する」との批判があった。とくに系の論説では、南七の住宅が「健康と文化を独占する」として連日論争を呼んだ。
一方で、制度の擁護派は「南光は方位差を可視化しただけであり、差別ではない」と主張した。しかし、にの旧家が南光等級を理由に隣家の増築を差し止めた事件が起こり、制度の政治性が強く意識されるようになった。この事件では、裁判所が現地調査で南光儀を持ち込んだものの、午後になると雲が出て結論が出なかったと記録されている。
現代における扱い[編集]
現在、南光は実務制度としては消滅しているが、やでは、近代日本の「光を管理しようとした最初期の試み」として研究されている。特に所蔵の『南光年報』全14冊は、都市の朝夕の日照感覚を知る上で貴重な資料とされる。
また、近年の業界では、南光を意匠的に再現する「擬似南光窓」が流行した。これは実際にはLED照明で南向きの暖色を演出するものであるが、広告文には「明治南光再現」と記されるため、専門家の間ではしばしば議論の対象となる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『南光照度表の研究』内務省都市景観調整局報告書, 1907.
- ^ 三浦徳太郎『南光儀と都市窓面の標準化』東京精密器具出版, 1911.
- ^ A. H. Thornton, "Directional Light and Civic Habit in Meiji Tokyo", Journal of Urban Photometry, Vol. 4, No. 2, 1983, pp. 41-68.
- ^ 佐久間義輔『日本近代照明史における南光制度』都市史研究会, 1979.
- ^ M. B. Caldwell, "The South Light Ordinance of Early Japan", Architectural Review Quarterly, Vol. 12, No. 1, 1966, pp. 7-29.
- ^ 『南光年報 第3巻』内務省光度班資料室, 1909.
- ^ 井上春江『写真と方位の民俗学——南光暦の成立』民俗文化社, 1994.
- ^ E. J. Wetherby, "On the Measurement of Morning South in Dense Cities", Proceedings of the Institute of Civic Lighting, Vol. 8, No. 4, 1921, pp. 233-251.
- ^ 高見沢正人『南光と家賃相場の変動』経済都市叢書, 2002.
- ^ 『南向きの影が長すぎる』都市景観評論 第17号, 2017, pp. 88-93.
外部リンク
- 南光資料アーカイブ
- 都市光度研究所
- 近代窓面史研究会
- 写真測光学会
- 日本南光協議会