原動機付自転車型爆弾
| 名称 | 原動機付自転車型爆弾 |
|---|---|
| 分類 | 移動式爆発物・偽装兵器 |
| 起源 | 1930年代後半 |
| 主な運用地 | 東京・横浜・神戸 |
| 考案者 | 渡辺精一郎ほか(諸説あり) |
| 運用組織 | 内務省特殊輸送研究会 |
| 用途 | 攪乱、威嚇、車両検問の試験 |
| 別名 | 赤い二輪、発条式スクーター爆 |
| 終息 | 1954年ごろ |
原動機付自転車型爆弾(げんどうきつきじてんしゃがたばくだん、英: Motorized Bicycle Bomb)は、の外形を模した起爆装置一体型の移動式爆発物である。主ににおける資材輸送の混乱を目的として考案されたとされ、のちに都市交通の冗談めいた警備史の一部として語られるようになった[1]。
概要[編集]
原動機付自転車型爆弾は、見た目をに似せることで、遠目にはただの配達車両にしか見えないよう設計されたとされる装置である。車体下部に小型の起爆機構を収め、エンジン音の代わりにゼンマイ式の共鳴器を備えた型が多かったという[2]。
この種の装置はの戦時文書では「簡易攪乱車」として扱われたとする説が有力であるが、実際には研究会内での通称が先行し、正式名称は最後まで定まらなかったとされる。なお、終戦後もしばらくは自転車商会の倉庫で部品だけが流通し、解体業者が「妙に重い前カゴ」として記録していた例が残る[3]。
歴史[編集]
試作期[編集]
起源は、麹町区にあった内務省の外郭研究班であるに求められる。班長のは、当時問題となっていた夜間配達車両の不審停止を逆手に取り、「止まりやすい乗り物ほど検問をすり抜ける」と主張したとされる[4]。
最初の試作機は、の木工工場で作られた木製外装を備え、見た目は製の実用車に酷似していた。ただし、車体が前に進むたびに荷台が左右に揺れてしまい、試験走行では50メートル先の信号柱に自ら接触したため、班内では「自走失敗型」と呼ばれた。
量産と改良[編集]
になると、の一部工場で月産12基の試作準量産が行われたと伝えられる。ここで導入されたのが、消音目的で取り付けられた「三重ベル方式」である。これはのベルを三つ並べ、音色の違いで操作者が起爆手順を確認するという、きわめて人間的な安全策であった[5]。
また、の埠頭では荷役用の木箱に紛れ込ませる運用が試され、実際には爆発よりも港湾労働者の好奇心を誘発する効果の方が大きかったと記録されている。ある作業員は「二輪なのに前照灯が四つ付いていた」と証言したが、同時期の他資料では前照灯は二つであったため、研究者の間では記憶改変の一種ではないかとも指摘されている。
終戦後の転用[編集]
に入ると、原動機付自転車型爆弾の技術は解体され、主に盗難防止装置や郵便配達用補助車両へ転用されたとされる。とくにの町工場で発達した「空回りクラッチ」は、のちの業務用スクーターの始動補助機構に影響を与えたという[6]。
一方で、の沿線警備演習では、旧式の外装を再利用した模型が誤って本物と見なされ、演習が三時間中断した。これが最後の公的記録であるとされるが、県の私設博物館に同型機の残骸があるとの報告もあり、現在も真偽は確定していない。
構造[編集]
基本構造は、前輪・後輪・ハンドル・擬装ガソリンタンク・起爆箱の五要素からなると説明されることが多い。もっとも、実際の資料では起爆箱は荷台に隠されていたもの、サドル下にあったもの、あるいは前かご内部に押し込まれていたものの三系統が混在しており、統一規格は存在しなかったとみられる[7]。
動力源についても、を模した小型圧縮装置を用いた説、単純な押し出し式だった説、さらには「操作者が後ろから自転車を蹴って加速させた」とする口伝まであり、いずれも決定的ではない。なお、整備記録に「燃料は灯油ではなく麦茶」と書かれた一例があるが、記載ミスか秘匿符号かで研究者の議論が続いている。
運用[編集]
運用は主に夜間の市街地、駅前ロータリー、工場地帯の搬入口で行われたとされる。実際には大規模な被害よりも、検問側の心理的混乱を誘うことが目的で、巡回中の警官が「一般の原付にしては妙に礼儀正しい停車姿勢である」と記した例が残る[8]。
また、操作担当者は二人一組が基本で、前方の「案内役」と後方の「念押し役」に分かれたという。案内役は方向転換を担当し、念押し役は「いざという時に押す」だけの役割であったが、実際には押し役の方が現場で最も疲労したと伝えられる。東京都内の訓練では、最大で17台が一斉に走行したが、そのうち4台は途中で迷い込み、の花見客に取り囲まれて停止した。
社会的影響[編集]
原動機付自転車型爆弾は、戦時下の都市交通に対する不信を増幅させた一方で、のちの警備学に「乗り物は見た目だけでは判別できない」という教訓を残したとされる。これを受けてでは、戦後しばらく原付検査の際に「前かごの深さ」「ベルの数」「サドルの角度」を重点確認項目とした[9]。
また、民間ではこの装置の逸話が誇張され、子ども向けの脅し文句や漫才の小道具として流用された。特にの寄席では、空の車体を押しながら登場する芸が一時期流行し、観客が笑った後に「それ、まだエンジンかかるんですか」と聞くのが定番であったという。
批判と論争[編集]
本項目をめぐっては、そもそも実在性が極めて疑わしいという批判が長く存在する。とりわけの一部研究者は、戦時中の記録にある「原動機付自転車型」という表現は、実際には輸送容器の形状分類を指すだけで、爆弾そのものを意味しないのではないかと指摘している[10]。
一方で、に残るとされる閲覧制限付き文書には、車体番号の末尾が「B-17」で統一されていたこと、さらに署名欄に「雨天時は使用を避けること」と明記されていたことが報告されている。ただし、原本の所在は不明であり、複写に写り込んだ駅の看板がなぜかであることから、後年の偽作ではないかとの見方もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『特殊輸送と二輪攪乱装置』内務省外郭資料室, 1943.
- ^ 中村由紀子『戦時都市における模擬車両の研究』東京交通史研究会, 1978.
- ^ Arthur L. Pembroke, “The Bicycle Shell and Urban Deception”, Journal of Irregular Logistics, Vol. 12, No. 4, 1962, pp. 44-71.
- ^ 佐伯一郎『原付外装の軍事転用とその余波』港湾文化出版, 1981.
- ^ Margaret H. Sloane, “Acoustic Camouflage in Portable Vehicles”, Proceedings of the East Asian Security Symposium, Vol. 3, 1959, pp. 201-219.
- ^ 「原動機付自転車型攪乱具の規格差について」『近代警備史研究』第8巻第2号, 1994, pp. 15-39.
- ^ 山縣新吾『ベル三重奏法と検問心理』関東治安史料社, 2002.
- ^ Henry J. Wexler, “On the Matter of the Three-Bell System”, The Review of Applied Misdirection, Vol. 7, No. 1, 1971, pp. 5-18.
- ^ 藤井さやか『戦後解体技術の転用史』大阪町工場史刊行会, 1999.
- ^ 「雨天時は使用を避けること:ある輸送文書の再検討」『都市史と逸話』第14号, 2011, pp. 88-97.
外部リンク
- 東京都市警備史アーカイブ
- 近代二輪工学資料館
- 特殊輸送研究会デジタルコレクション
- 港湾攪乱装置史フォーラム
- 昭和裏交通博物誌