原当麻駅
| 名称 | 原当麻駅 |
|---|---|
| 種類 | 木造駅舎(改札・待合一体) |
| 所在地 | 神奈川県相原市原当麻町一丁目 |
| 設立 | (仮駅)/(恒久化) |
| 高さ | 7.6 m(軒高) |
| 構造 | 在来軸組・切妻屋根、真鍮雨樋付 |
| 設計者 | 石田昌則(当時の市営営繕課技師) |
原当麻駅(はらたいまえき、英: Hara-Taima Station)は、にある[1]。現在では、古い改札文化と「当麻(たいま)」由来の木刻看板で知られる[1]。開業以来、周辺の小規模商店街の習俗にも影響したとされる[2]。
概要[編集]
原当麻駅は、に所在するローカル線の鉄道駅舎である。現在では、駅前に残る木刻の時刻表と、改札横の「到着の鐘」と呼ばれる小型の打鐘装置が観光資源として扱われている[1]。
この駅名は、近世の小地名「原当麻」に由来するとされるが、実際の史料に基づくというよりは、駅舎建立に先行して行われた住民投票の結果だとする説も有力である[2]。なお、当麻の漢字表記は開業時から三度ほど改められたとされ、案内板には旧字体が併記されている[3]。
名称[編集]
駅名の「原当麻」は、当麻川沿いの開墾地を指すとされ、の郷土史家である渡辺精一郎は「土地の形(原)と植物相(当麻)の双方を一語に折り畳んだ命名である」と述べたとされる[4]。
一方で、の議事録に残された「当麻の読みを統一すべし」という文言を根拠に、「発音統制」が駅名確定の主因になったという見方もある[5]。特に仮駅段階の呼称では、近隣の小学校教員が集計した「誤読率」が提出され、最終的に「はらたいま」に統一されたという逸話が語り継がれている[6]。
さらに、駅舎の装飾に用いられた木刻看板の職人が、当麻を“田の間(たのあいだ)”と解釈していたため、看板文言が「原当麻町」ではなく「原当麻間」と記され、半年ほど修正されたことも知られている[7]。
沿革/歴史[編集]
原当麻駅はに仮駅として設けられ、に恒久化されたとされる。仮駅は当初、単線の折返し運用を想定してホーム延長が必要とされ、駅舎は「半間(はんけん)」単位で増築可能な規格に設計されたという[8]。
当時の市営営繕課技師であるは、駅舎の部材の乾燥条件を「二十七日・室温十二度・湿度七十パーセント」と細かく記録したと伝えられる[9]。この数値は、のちに木材の反りを抑えるための標準値として、の公共建築に波及したとされる。
また、駅前の「到着の鐘」は、開業月に輸送品の誤搬出が月平均で16件発生したため、乗降客にも搬入合図を共有する目的で設置されたとされる[10]。ただし、その運用が“うるさい”として苦情が出た日もあり、鐘の打数は午前・午後で区別され、午前は3打、午後は5打に調整されたという記録が残る[11]。
なお、戦時期には駅舎の真鍮雨樋が供出対象になりかけたが、雨量観測が必要だったことを理由に免れたとされる[12]。戦後の昭和期には、待合室の床板を「二センチ単位」で更新した修繕が行われ、更新作業の延べ人員が41名だったとされる[13]。
施設[編集]
原当麻駅の駅舎は在来軸組の木造建築で、切妻屋根と真鍮雨樋を特徴とする。高さは軒高が7.6 mで、これは当時の建築指針における「視認性確保」の目安として定められた数値を踏襲したものとされる[14]。
待合室は改札と一体となっており、中央にベンチ状のカウンターがある。カウンター上にはガラス板の小窓が並び、そこから駅員が改札票の発行状況を確認する仕組みだったと説明される[15]。もっとも、現在の実見では窓が装飾の役割を残すのみになっており、改札票発行の機能は地域行事の際に限定して再現されている[16]。
駅舎外には木刻の時刻表が掲示されており、表面は薄い顔料層で守られているとされる。顔料の配合比を「灰分一に対し墨二」とする言い伝えがあり、職人間の口伝として残っている[17]。また、ホーム側には円形の石標があり、そこに「到着の鐘は北へ三歩」と刻まれているため、観光客が円周をたどって位置を確認する光景も見られる[18]。
このほか、構内には小さな温度計収納箱が設けられ、夏季には駅員が箱を開けて外気を記録したとされる。記録用紙が毎月「29枚」ずつ綴られていたという細則は、のちの市職員研修で“書式美”として紹介された[19]。
交通アクセス[編集]
原当麻駅は、ローカル線の終端に近い位置に所在するため、主要導線は徒歩を前提として形成されている。現在では、中心部からは路線バスと徒歩を組み合わせる動線が案内されることが多い[20]。
駅前には乗合待合所があり、標準的なバスの停車時間は2分とされる。遅延時には「到着の鐘の打数を増やす」とのローカルルールがあったとされるが、現行の運用では安全管理上、演出はイベント時に限定されている[21]。
自転車利用の場合は、駅舎裏手の専用ラックが案内される。ラックは当初、固定金具の数が24個だったと記録されており、台数の目安として扱われた[22]。ただし、のちに利用実態の変化に合わせて増設が行われ、現在は“数え直すと25個”になるという噂がある[23]。
遠方からの来訪者向けには、駅から徒歩圏の沿い散策路が紹介される。散策路の入口は、木刻看板がある側ではなく、円形石標のある側に回り込むのが正しいとされる[24]。
文化財[編集]
原当麻駅は、駅舎としては異例の扱いで「保存運用建造物」に相当する枠で地域の保護対象となっている。現在では、の要綱に基づき、木造駅舎の外観意匠が地域景観として扱われるとされる[25]。
また、駅舎の木刻時刻表は、制作手法が工房伝承型として記録されており、「意匠部材」として管理されている。管理台帳には、墨のにじみを抑えるための“湿度確認”が毎回記載されているという[26]。
一方で、真鍮雨樋の取り替え時期については議論があるとされる。雨樋を守るための補修は、耐食塗料の選定により外観が変わるため、2010年代に一度だけ替えた際、古い色味との違いを指摘する声が出たという[27]。ただし、現在の方針では「色よりも機能」を優先するとされ、観光客向け説明でも“反射率”の違いが丁寧に案内されている[28]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 相原市『相原市郷土誌(第3巻)』相原市出版局, 1934.
- ^ 渡辺精一郎『駅名に宿る地理と思考』神奈川地誌学会, 1952.
- ^ 石田昌則『営繕要録—木造駅舎の乾燥条件と反り対策』相原市営営繕課, 1921.
- ^ 相原市教育委員会『地域景観としての木造駅舎』第1号, 1989.
- ^ 田中綾子『改札文化の社会史—到着の鐘と労務記録』交通史研究会, 2001.
- ^ 森川健太『真鍮雨樋の耐食設計(研究メモ)』Vol.2, pp.31-44, 1966.
- ^ International Journal of Railway Heritage『Small Stations and Big Rituals』Vol.18 No.4, pp.201-219, 2012.
- ^ K. Thornton『Imperial Field Notes on Local Signage』第7巻第2号, pp.55-73, 1910.
- ^ 相原鉄道建設史編纂委員会『相原鉄道建設史—折返し運用と規格建材』相原鉄道, 1928.
- ^ 佐伯誠一『駅前噂話の統計—鐘の打数はなぜ3と5か』交通工学叢書, 1977.
外部リンク
- 相原市観光アーカイブ
- 木刻看板研究所
- 駅舎保存台帳ポータル
- 当麻川散策ガイド
- ローカル線時刻表ギャラリー