反ワク資本主義
| 名称 | 反ワク資本主義 |
|---|---|
| 別名 | 免疫市場主義、清浄需要経済 |
| 分野 | 社会思想、消費文化、疑似医療史 |
| 成立 | 1978年ごろ |
| 起源地 | 米国オレゴン州ポートランド周辺 |
| 中心人物 | Eleanor B. Haskins、桐生 恒一 |
| 主要拠点 | ポートランド、ロサンゼルス、神戸 |
| 主要文書 | ポートランド共同免疫宣言 |
| 影響 | オーガニック市場、地方コミュニティ通貨、選択的予防文化 |
反ワク資本主義(はんワクしほんしゅぎ、英: Anti-Vax Capitalism)は、とが結びついて成立したとされる以降の社会運動・経済思想である。の米国で、健康食品業界と地域住民の自衛的な流通網から発生したとされる[1]。
概要[編集]
反ワク資本主義は、ワクチンへの不信を単なる拒否ではなく、購買行動・共同体の結束・物流の再編として制度化した思想体系である。一般にはに対する反発として理解されるが、実際には「誰が身体の安全を売買する権利を持つのか」という問いを軸に、とを横断して発展したとされる[2]。
この思想は、医療の外部にある安心を商品化する点に特徴があり、抗菌石鹸、浄水器、玄米粉、銅製ブレスレット、自己決定権をうたう会員制サロンなどが、同一の消費圏で扱われた。なお、1984年の段階で既に「免疫は価格弾力性をもつ」とする会合メモが残されており、当時の市場分析がやけに具体的であったことが知られている[3]。
歴史[編集]
萌芽期[編集]
起源は後半のにさかのぼるとされる。ポートランド郊外の共同体市場で、健康志向の卸売業者であったEleanor B. Haskinsが、冷蔵流通の不安定さから「注射より保存食の方が長く信頼できる」と発言したことが契機となったという[4]。これに地元の自然食品店主らが反応し、身体の防御を国家の管理から引き離すための購買連合が作られた。
初期の活動はきわめて実務的で、反対運動というよりは代替流通の整備に近かった。会員は月額12.75ドルを支払い、オート麦、ハーブ、ろ過水、家庭用体温計の共同購入に参加できた。後年、これが「免疫をサブスクリプション化した最初の例」と呼ばれるようになったが、当時の会報には単に「不安をまとめて安く買う」と記されていた[5]。
制度化[編集]
1980年代に入ると、反ワク資本主義は都市部の健康食品チェーンと接続し、会員証の提示により一部商品が割引になる仕組みを採用した。とりわけロサンゼルスの「West Sun Cooperative」では、ワクチンを受けないことを条件に入場できる夜間講座が実施され、最盛期には週平均430人が参加したとされる[6]。
この頃、思想家の桐生 恒一がの港湾研究所から招聘され、「身体の主権は通貨の流れに従う」とする論文を発表した。桐生はのちに、予防接種をめぐる選択を「医療への拒絶」ではなく「市場への投票」と再定義し、同派の理論的支柱となった。もっとも、彼のノートには疫学と価格表がしばしば混在しており、後年の研究者からは「会計と陰謀論の区別が薄い」と指摘されている[7]。
拡大と分派[編集]
には、思想は急速に細分化した。純粋な拒否を重視する急進派、予防接種の代替としてビタミン市場を拡張する実務派、そして「国家ではなくブランドが免疫を証明する」と唱える企業連携派が現れた。特に後者は、の一部ショッピングモールで、買い物履歴に応じて「健康リスク格付け」を配布したことで知られる[8]。
一方で、の神戸港健康フェアでは、無料の漢方茶とワクチン忌避パンフレットを同時配布したことから、来場者の17%が「どちらを信じればよいか分からない」と回答したという調査が残る。この混乱は、反ワク資本主義が単なる反科学ではなく、選択肢が増えすぎた社会の不安を吸収する装置であったことを示しているとされる。
思想と実践[編集]
反ワク資本主義の中心概念は「免疫の私有化」である。これは、身体を守る責任を公共制度から家庭、さらに家庭から個人の購買力へと段階的に移し替える考え方で、会員制通販、相談料、認証ラベルの三層構造で運用された。
実践面では、独自の決済手段として「健常ポイント」が導入された時期があり、特定の自然食品店では、契約書に署名することで有機野菜と健康セミナーが同時に付与された。なお、ある加盟店ではポイント残高が一定額を超えると、店員が「今月の免疫は十分です」と声を掛ける習慣があり、これが地域コミュニティの儀礼化を促したともいわれる[9]。
また、同思想は反ワクチンの主張を「恐怖」ではなく「購買者の美学」に置き換えたため、一般的な抗議運動よりも商品パッケージが重要視された。1980年代後半の広告には、白衣の人物が笑顔で玄米を差し出す図像が頻出し、批評家からは「診療所の体裁を借りた百貨店」と評された。
社会的影響[編集]
社会的には、地方の自然食品業界と相性がよく、サンフランシスコ、、京都などの都市で周辺産業を発達させた。とくに無添加石鹸、家庭用浄水器、樹液系サプリメント、月額制の相談会は、反ワク資本主義の周辺市場として1980年代末に売上を年率11〜14%押し上げたとされる[10]。
他方で、学校保健と地域商店街が結びついたことで、予防接種の案内が割引チラシの裏面に印刷されるなど、行政文書の体裁が奇妙に変質した事例もある。これにより、住民の一部は「公的通知なのにポイントカードが付いている」と困惑したという。後年、この現象は「通知の民営化」として社会学の講義で扱われたが、実際には印刷所の判断ミスだった可能性も指摘されている[11]。
批判と論争[編集]
批判の多くは、医療不信を利用して高額商品を売りつける構造に向けられた。1994年にはニューヨークの消費者団体が、同派の通信販売における「安心保証」が実際には返品不可であったとして集団訴訟を提起し、和解金は総額2,400万ドルに達したとされる。
また、内部では「無菌社会をめざすべきか」「不安こそが需要を生むのか」をめぐって激しく対立した。とくに桐生派の一部が、免疫の価値を先物取引のように扱う「健康デリバティブ案」を示した際には、支持者からすら「さすがに行き過ぎである」との声が上がった。なお、当該会議の議事録には、決議よりも休憩時間の弁当配分の方が詳細に記録されている[12]。
遺産[編集]
以降、反ワク資本主義は明示的な運動としては衰退したが、その要素はウェルネス産業、自己責任型保険、定期購入型の健康食品サービスへと分散した。現在では、同思想をそのまま名乗る事業体は少ないものの、「医療を信用しないことを個人最適化された消費として再編集する」手法は、各種プラットフォームに受け継がれている。
研究者のあいだでは、反ワク資本主義は「疑似科学の政治経済学」あるいは「不安の会員制流通」として再評価されている。一方で、運動の初期文書に見られる手書きの価格表や、なぜか横浜で印刷された会員規約など、資料的には説明のつかない点も多い。こうした不整合が、かえってこの思想の半ば伝説化された地位を支えているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Eleanor B. Haskins『The Immunity Marketplace: Notes from Portland』Northwest Social Press, 1981.
- ^ 桐生 恒一「免疫の私有化と会員制流通」『神戸港湾経済研究』第14巻第2号, 1987, pp. 41-68.
- ^ Marjorie L. Penn『Consumer Faith and the Anti-Vax Capital Order』University of California Press, 1992.
- ^ 渡会 俊一「身体主権の価格弾力性」『保健社会学年報』第8巻第1号, 1990, pp. 12-29.
- ^ Helen R. Kessler『Organic Panic and Market Discipline』Harbor & Axis, 1995.
- ^ 中沢 みどり「健康ポイント制度の成立過程」『流通文化研究』第22巻第4号, 1998, pp. 77-103.
- ^ Robert J. Halpin『Vaccines, Malls, and the New Civic Consumer』Columbia Meridian Books, 2001.
- ^ 小笠原 蓮『反ワク資本主義史序説』青潮社, 2004.
- ^ Priya N. Sethi『The Subscription of Health: Risk as a Service』Routledge, 2008.
- ^ 『ポートランド共同免疫宣言とその余白』オレゴン民俗文庫編, 2011.
- ^ 木村 由佳「通知の民営化と配布物デザイン」『都市保健行政史』第19巻第3号, 2014, pp. 5-22.
- ^ Edward F. Baines『The Wellness Derivatives Crisis』Palmer Institute, 2019.
外部リンク
- 北米免疫市場史研究会
- ポートランド代替流通アーカイブ
- 神戸港湾思想資料室
- 現代ウェルネス批評フォーラム
- 反ワク資本主義年表プロジェクト